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日曜日のnote:ウエディングドレスにときめかない私

この日曜日のnoteでは、Aセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。


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恋愛感情が欠落している私は、その特定を愛おしく思う感情を知りたくて、体感したくて今まで多くの恋人と形式上のお付き合いをしてきた。その感情を持っていたことは嘘じゃ無いけれどそれと同じ大きさの気持ちも私の中に存在していたということを白状する。心の深い場所にある感情は「恋愛」をどこか小馬鹿にしている自分がいるのだ。一人で生きていけるのに誰かと繋がりをわざわざ求めることを弱さだと思う瞬間がある。事ある度に感情が乱れ、周囲に愚痴をこぼす人を見て愚かだと思ったこともある。

みんなが「綺麗・大切」と言うものを私は綺麗だと思えない。その裏側の欠点を見つければ心の中で罵ってしまう様な感情を持ち合わせている。純白のウエディングドレスを見ても胸はときめかないし、結婚式にこだわる気持ちも憧れる気持ちも分からない。この感情を本当は言わないだけで全人間が持っているものなのか、はたまたやっぱり私だけが持っている汚い部分なのか、私は私だけだから知りようも無く人に聞いてみるなんて、そんなこと怖くて誰にも聞けなかった。


それでも恋をする人の話を聞くと、人生を豊に過ごしていることが羨ましく思う。その先の将来も夫・妻という絶対的な見方が手を握ってくれている安心感を想像すると、私の誰とも繋がれない両手を切なく思う。人の物理的温かさでは無い部分の温もりを知れる人生に生まれたかったと僻む。私のこの虚無感は何に変えて癒されるのかまだ模索中だ。


そしてきっと私の様な感情を抱く人が他にもいるとすれば、きっとその人も私と同様周囲には相談できないことだろう。だって相談したところで異質の様な目で見られるのが経験からするとオチだと思うから。「普通を他人に押し付けない」という言葉が大きく世の中に発信されている中で、いかにそれを体感できたかというと、微塵も体感したことは無いのが現状なのだ。

優しい言葉ばかりをいくら本で読んでもこの心は癒されない。同じ言葉をかけられるなら同じ人間からかけられたいと願うから、私は私と同じ様な人と出会ったら、気休めではなく真摯に優しい言葉をかけてあげたい。


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今日は家でクッキーを焼いた。カロリーを気にして砂糖を半分にしたら甘味が全くなく、時として欲張ることの大切さを思い知った。


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