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「好きなタイプは?」の模範回答〜「女らしさ」の正体は自分への投資

「人は見た目じゃない。中身だ」という言葉は一体誰が言い始めたのだろう、とずっと考えていた。それを言い出した人は一体どんな人生を送った人なのだろう、と。

先日、異性の友人と夕食を共にした。気心知れている中で、私達はまぁまぁお酒も進んだ日にはよく恋愛トークをする。今はお互いフリーで惚気話も何もない状態、だから初心に戻って「どういう人を好きになるか」という中学生のようなピュアなトークをしたら、思いがけない方向へ盛り上がった。

彼は「女らしい人」の一点張り。髪がつやつやで、爪の手入れもされていて、化粧もちゃんとしている人、と何とも「まじか」と思わせるようなことを言うのだ。完璧に脱毛し終えていて、華奢だけど出るとこは出ていて、ふんわり女性らしい服装。そんな絵に描いたような「女性像」を彼は求めるらしい。それを聞いて私は思わず聞き返した。「女らしさを求めてるけど、じゃああなたは男らしいの?」と。


「女らしい人」というその回答は酔っ払っていた私の頭をキレさせるにはあまりに十分。ちなみに私は冒頭、「人は見た目じゃない。中身だ」とは異なる「人は最初は外見、最終中身」だと思っている。興味を持たれるとっかかりは、どうしたって外見からだと思うけど、「見た目」に対してかかるのは、時間お金だけでなく、時々精神のほうが大きい。

その3点を踏まえた上で気づいてもらえないことの方が多いと知りながらも手入れを継続するのは、キラキラした恋愛への憧れではなく、「自分のテンションのため」とほぼ自己満足でしかない。合コン前に意識したとしも、日々必死に働く会社員にとっては365日中のほとんどはモテるためにしてる訳じゃない。

私自身、手元が綺麗だと気持ちが上がるからネイルをし、美容室も手入れのしやすさと鏡に写ったときに満足のために行くし、会社に出社する平日の忙しい朝から「モテ」を考えて化粧をしているわけではない。正直そんなこと考えている余裕なんて1mmたりとてない。だから時短だけど練習をして納得できる顔を探究するようになった。何でもない日であっても「自分が満足するためにしている努力」、それが女らしい外見の正体なのだ。


何もそんなこと知らず、「女らしい見た目」が当たり前と考え、それを求める男は果たして「男らしい」のか?


そもそも「男らしい見た目」ってなんだろうと考えた時、まず思い浮かんだのが筋肉、次は髪型・髭、でもその次の見た目ってもう肌とかファッションになるのか、と驚いた。男らしさを磨くって女より項目が思い付き辛い。それでもなんとなく世間を見ていると、大学生や若い男の子は見た目に気を遣っているイメージがあるけど働き盛りの大人はどうだろう。一度電車に乗ってぐるり見渡して、社会人の何割に「男らしい人」がいるのか、甚だ疑問である。コロナでリモート化が甚しかった一時を過ぎるとまた出社する社会人が増えた。私も然り。そして通勤ラッシュに再び放り込まれた大人達は疲弊し、一体どこを見つめているのか分からないほどぼーっと真顔なのだ。おしゃれもクソもあるか。


話が脱線するけどなんとなく元彼のことを思い出した。彼とデートをしていた時に、元AKB48の小嶋陽菜ちゃんが着ていそうな「THE女」と言わんばかりのワンピースの試着を促された時「この人とのショッピングデートはつまらない」と思ったことがある。「似合いそうだから」ではなく「俺がこの服好きだから」と言われた瞬間、確実に私の中の何かはヒュッと冷めた。私は153cm、性格的にも綺麗なお姉さんのお洋服が似合うタイプではない。それを知りながら自分の好みの服を押し付けられた時の屈辱は、男の人には分からないものなのか。例えるなら、サッカー一筋で生きてきた人に、「野球やったらいいと思う」と真逆のことを言われるイメージ。

相手が望んでいない時や、よっぽどのおしゃれカップルでない限り、女が「こっちとこっち、どっちがいいと思う?」と言う時と、元々着ている洋服に近い系統のもので良いものがあった時、それ以外は恋人の洋服選びには口出しをしない方がいいと思う。全く正反対の系統を持ってこられたら、今の見た目が嫌なのかと、本気でがっかりしてしまう。あと例外は、「全身あなた色に染まります」系の恋人以外。促されることは時として、ただの押し付けでしかない。

話を元に戻す。女に「女らしさ」を求める男性に限って「男らしい」からちょっとした距離があり、その上女性の日々の努力に気が付かないくせに、努力をサボってしまった日に敏感なのが腹立たしい、そんな思いを私は何度か経験してきた。キューティクルのケアをしているのに白髪数本を見逃してくれなかったり、新しいネイルに気が付かないくせに伸びてきたら「長くない?」と指摘してきたり、まつげパーマの予約が取れずまつ毛が下がってきたときに限って「眠い?」と聞いてきたり。全く持って遺憾。マイナスな面ばっかりに気がつきやがって、それならば普段の綺麗な状態の時に思いっきり褒めてくれ。

「女らしさ」を求めるならば、「男らしさ」追求してもいいのではないか。「女は女らしくあってほしい。でも俺は男だからそこまで気にしなくてもいい」なんていう、自分だけは許されるみたいな顔をして、そんな理想論を語るのが私には理解できないのだ。女が美容をすることがさも当然だと言い張るのならば、それは違う。私たちは誰も男性のために綺麗になりたいんじゃない。日々自分の気持ちを高める手段、自分のために綺麗になりたいのだ。

でもこの「らしさ」については外見の話だけでなく、例えば家事にも言える。私は同棲を解消した経験があるのだけど、その原因の一つが「家のことは女性が中心にする」という今時古い固定概念が二人の間の溝となったことだった。「相手はダメだけど自分はいい」「相手はして当然」みたいな自分本位なことは意外と日常にも潜んでいる。そろそろ、その「決めつけ」を取っ払う時ではないのか、と私は考えている。もちろん逆も然り。「男性が稼ぐべき」というのも今時ではないだろう。私達は相手に過剰に期待しすぎている。

兎にも角にも、ここまで女らしさ・男らしさについて書いてきたが、正直その「らしさ」を追求することがもう既に良くないことのだろう。「どういう人を好きになるか」の回答は「自分のできる範囲の努力をしている人」これでいいのではないでしょうか。


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