見出し画像

休職を経て〜私達は誰も間違ってなんかいない

周囲に伝えていないような話ですが、昨年の夏前に精神的負担を理由に休職をしていた期間がありました。人生で初めてと言えるほどのどん底を味わい、朝9時に会社へ出社しても過呼吸を起こし冷や汗ダラダラで早退する日々が続き、上司と相談した結果お休みをいただきました。

「心と体を整える期間」を手にした訳ですが、それを友人や家族に相談することがとにかく恥ずかしく出来ませんでした。20代後半にもなって、自身をコントロールしきれない不甲斐なさと、みんなが働いて生活しているその当然のリズムに乗り切れない羞恥心、そういったものが私の心の中に渦巻き続けていたことを今でも覚えています。

ですが私にとって「苦しい時期」であったことは確かでしたが、それを経験し終えて思うことは「私には絶対に必要な時間だった」という単純なことでした。当時、自宅で一人考えては記録をつけていた「休職するメリットとデメリット」を再度考え直してみました。

メリット
・読書の時間が確保 
・読書から学べることの多さ 
・言葉を投稿する場所の作成 
・通勤ストレスがない 
・素敵な言葉を使う配信者に出会えた 
・お金の重さを再確認 
・好き勝手しているうちに傷を癒すことができた

デメリット
・会話と比例してリアルな学びの感覚の減少
・金銭問題
・金銭面を理由に行動に制限
・孤独
・長期計画が崩れる
・日中眠い、夜眠れない
・部屋が散らかる
・出会いがない
・読書からのアウトプットができない
・生涯設計が立てられない
・自身の必要性が感じられない
・「別にそれでもいいや」という思考になる

今上げてみると、休職することは私にとって「デメリット」の方が遥に多かったように感じます。その中でも特に何が問題だったのかというと
①金銭面 ②社会的自身の必要性 ③学びの減少  この3点が顕著でした。

まず ①金銭面では、ほぼ収入が0になり貯金を崩して生活をしましたが、固定費用は生きているだけで引き落とされていくことの不安。健康だった時の出費が不健康になると重荷になる苦しさ。そして少しでも節約しようという気持ちから、何も考えず費やせた趣味「一人旅行・ワインを飲みにいく・野球観戦」の回数はガクッと減り、化粧水がなくなるけど買うか買わないか悩む、といった必要だと分かっているものに対してすらも、お金を素直に出せないことが強いストレスになりました。

次に ②社会的自身の必要性。「自分がいなくても社会は回る」という言葉はその通りでした。会社を休んでも会社は回る、私の代わりはいくらでもいる。それでも「必要とされている」その瞬間が日常的にあること、誰かに名前を呼ばれる日々は、自分の存在を誰かが見ていてくれていることでもあり、その視線が何一つ向けられない状態は、透明人間にでもなったかのような孤独を私に与えました。

最後に ③学びの減少。読書をする時間が増え様々な知識が身につきました。ですがインプットはいくら出来ても、それについて議論をする相手「アウトプット」が出来ない、ということが難点でした。勿論こうしてネットに自分の考えを残すことは可能ですが、それについてディスカッションする機会がなく、私の中で淡々と温まって次第に忘れられていくだけ。人間力は一人では鍛えることが出来ません。誰かと会話をすることによって形成され、意見を取り込み再構築していくことによって、必然的に向上するものだと感じました。

以上のことを一人冷静にノートに箇条書きしていく過程は、自然と自分自身でお尻を叩くことに繋がり、「あ、私は働きたいんだ」というやる気の活力に包まれていて、次の日から時間短縮でしたが出社する覚悟を決めていました。

人それぞれ精神的に追い詰められていく理由は異なります。仕事面・日常・家族・友人・恋人。これらがいくつも掛け合わさる場合もあります。苦しい理由が100以上あるように、きっと抜け出し方も100以上あります。私のように一人の時間を過ごすことでフラットな精神状態を作り自身を奮い立たせることによって立ち上がれる人もいれば、誰かに相談して吐き出して前を向く人、病院に通って前進しようとする人。正しい方法なんてきっとないけど、間違いもないはずです

冒頭にも述べた通り「この苦しい期間は私には絶対に必要な時間だった」と今はそう理解しています。悩みがあることはとても苦しい、人生うまくいかないことが悔しい、その感覚は私にもあります。ですがそれ以上に「悩みがあることは強みだ」とも思うのです。「この出来事は今の私にとって必然だから起こっているんだ」、と考えられるようになると、「この経験は人生の偏差値を上げてくれる材料だ」或いは「全てが思い通りにいく攻略本付きの人生なんてつまらない」なんて風に笑って言えるようになっていました。私の場合、人間関係からの苦痛が主な原因でしたが、いつの間にか外部からの刺激を楽しむ余裕が生まれたのです。

「どんな出来事も人生の一瞬でしかなく、それは先の幸せの糧であり、自分でいかに楽しく困難を学びとして受け取れるか」が大切なんだと思います。子供の頃、学校の先生や母親に叱られて、泣き虫な私はメソメソしていました。でもそのおかげで「改善」を学んだのです。鉛筆の持ち方から食事の所作、挨拶、そういったことは次第に小・中・高・大学・社会人として、そして一人の大人としての基本になりました。

誰といてもお箸の持ち方にドキドキすることも誤魔化すこともないし、友達との割り勘計算が簡単にできる。店員さんへの横柄な態度は無駄ということをを知っているし、そうした価値観が同じ人と出会い生きることができる。時には悔しくて泣いてきたけれど、その時は頑張っている自分を受け入れて褒める、そうすることでより自分を大事に、そして信じてきました。

「今の私はダメなんだ」と思うことは自分自身が一番望んでいないことではないでしょうか。今の自分の情けないところを全て否定しそうになった時は、先の自分を想像してみてもいいのではないでしょうか。振り返ると、苦しみは先の幸せのためにあります。目先の幸せよりも遠くの幸せの方が大きくて美しいはずです。お箸の持ち方がダラシないまま魚を人前で食べるより、堂々と食べられる方が格好いい、ただそれだけの話です。弱い自分を受け入れる、でも少しだけ強くなることを意識してみる。今日より明日、明日より明後日、少しずつ好きな自分に変わればいい。自分を楽しむことを許していけばいい。

こんな、ありきたりな言葉しか手元に残らなかったですが、実際に自分が体験した感想は以上のことでした。症状が簡単に一発で無くなるような薬や治療が安価で受けられるなら、とそんな無責任なことを何度も考え夜を過ごしました。自分自身を何度も抱きしめて泣きながら過ごした日もありました。でも今の時代それはまだ難しいことだから、自分が楽しみながら変わるしかないのかもしれません。誰とも比べず、ただ自分の楽しい未来を、素敵な姿を想像して。

「それができないから辛い」というのは正論です、
でも「辛さを経験していない人はいない」というのも正論。ゆっくり自分と向き合う時間こそが、近道なのかもしれません。

2023/2/1  「水曜日にちょっとの一息を。 shiina」

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

53,636件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?