72候【花鳥風月】穀雨の候
百穀うるおすめぐみ雨、春眠三昧、春土用
春のおわりを告げる穀雨の候は、天からふりそそぐ滋養たっぷりの雨が、今年も植物界にもたらされる季節がやってくるよと、お知らせする季節。
百の穀物を生かす雨、雨生百穀ということばの力強さから、雨のめぐみをリスペクトしてきた古の人々の思いが伝わってきます。
天からふりそそぐ雨と、うけとる大地。
地球に浸透した雨は、植物をとおして気化もするし、川や海から蒸発して天に昇ることもあり、天地を往来しながらうごきつづける水には、いったいどれほどの「情報」が含まれているのだろうと、日ごとうるおい増す朝の空気を吸い込みながらひとりごちております。
「情報」は成分、栄養、酸素量など、分解することで見えてくるものもありますし、切り刻んだカケラをコレクションして、あーだこーだと配置しながら探求をつづける楽しみもあると思います。
そうして分解・分類をすすめていくと、その裏側では、対極にある統合・包括へのベクトルも同じように掘削されてゆくので、そちらにも目を向けないとバランスを崩してしまう。
全体像と細部の正確性は、地図づくりみたいなもので、かたいっぽうだけを妄信する信念体系では、やがて行止まりとなってフリーズしてしまうのだろうと感じています。
水は18世紀までは森羅万象を創出した根源と考えらていたそうです。
それ以前のおよそ2000年間、ギリシャ哲学・医学、インド哲学、中国思想など洋の東西を問わず、水は基本的な元素のひとつで、万物のはじまりと考えられていました。
19世紀にはいると分子説が登場して、水の正体はH2Oであると定義され、水への理解が変わりはじめます。
人類が化学や栄養学に没入していく以前、古の人々が考えていた「栄養」には、ビタミンやミネラルなどの知識だけではなく、人智をこえたものへの敬意と畏怖がこめられていたのではないかと想像しています。
立春から数えて88日目の「八十八夜」は、穀雨の候もそろそろと終わるころ。2023年は5月2日です。
茶摘みや田植えの風物詩、神事を催す地域もあり、とくに八十八夜に摘まれた新茶は「栄養」が豊富と伝えられてきました。
「栄養」の部分は、もとは「精妙な栄養」だったかもしれませんし「精気」あるいは「天地の気まじわるもの」だったかもしれません。
天地をつなぐ媒介者としての植物について、直感的になにかを悟っていたのではないかと思わせる伝説や神話にふれるたび、植物を、意志も意識も、いのちも宿らないモノとして切り刻みながらつみあげてきた近代の歩みは、はたしてヒトをしあわせに導くものだったのだろうかと、新茶をいただきながら、これまたひとりごちております。
冬の土用については72候【花鳥風月】大寒の候 でご紹介しましたが、土用と呼ばれる時期は年に4回、立春、立夏、立秋、立冬まえの14日間程度です。
穀雨は春と夏のあいだにある、立夏のまえの春土用になります。
土用は脾臓が季節の変わり目を察知して、からだに必要な調整要素であるビタミンやミネラルを要求する時期といわれており、ミネラルを十分受けとったと脾臓が満足できるまでは、まだ足りん!という勢いで食べたい欲求を発動させるのだとか。
五臓を元気にするという五菜「にんにく、ネギ、ニラ、しょうが、エシャロット(らっきょうか、島ラッキョウでも)」をつかったメニューは、内臓の満足度が高く少量で脾臓OKが出る土用のころの万能レシピといわれています。
五行説はマクロビオティック普及協会にお世話になっていたころ、中医学の本からおもに学びました。
「漢方の起源と発達」という項目に風土の特色を描いたものがあります。
4つの風土によって発達するヒトの器官と、4エリアの物産品を雑食する中央エリアで発達する器官は、植物とおなじで気候風土とともに歩をすすめ、からだという器を特徴づけてゆきます。
・東の民は海岸エリアで海産物をよく食べ、海にでて潮にあたり、体内に熱をもって血が濃くなる(肝臓が発達し、怒気含む声質にリーダー的たのもしさがある)
・南の民は果樹のなる地で果物をよく食べ、水があつまり常夏の陽気もさかんなので肌は日に焼け血気盛んとなる(心臓が発達し、喜悦にみちた笑い声が空気を明るくする)
・西の民は乾燥した砂漠と岩石の地で狩猟をして肉を食べ、豪風ふきすさぶ荒々しい気候のなかでガタイのよい骨格となる(肺臓が発達し、静謐で憂いのある風情が磁力のように関心を引き寄せる)
・北の民は冷たい水と風の牧草地帯を移動しながら野外生活をして、家畜の乳品を食べる(腎臓が発達し、恒常的なバランス感覚と、緻密で繊細な思考力、決断力がそなわる)
・東西南北の貿易によって各地の物産が集まる中央エリアは、雑食で頭脳労働が主なので消化力が強い(脾臓が発達し、寛大で懐ふかく、許容力のある縁の下の力もちに)
と、()内は独自解釈も混ざっておりますが、食べるものや気候風土、くらしぶりによって臓器の発達具合が変化して、体内の水分量や皮膚の質感、色味、表情筋や立ち方・歩き方・しゃべり方(つまり思考の基本的な建てつけ)、発現しやすい感情などが、からだといういれものを形成するとともに特徴づけられてゆくという発想です。
春土用は、立春のころから活発にはたらいてきた肝臓から、陽気さかんになる夏を元気にすごせるよう、心臓へバトンタッチする準備期間。
肝臓と胆のうさまにおかれましては、今春もたいへんおつかれさまでした。
深い眠りはなによりの回復魔法。
春眠むさぼりつつ、肝臓回復と自浄活動を応援したいと思います。
穀雨の候、2023年は4月20日から。
しあわせのクローバー
「クローバー」というタイトルの物語、店舗や商品名、歌やグループ名はとても多いです。
都市にも田舎にも、どこにでも自生して、いつもどおりの日常に、とけこむように繁殖してゆきます。
東の海街にも、北の牧草地にも、温暖な農園や、都会の公園、川べりにも、クローバーは常設カーペットみたいに横たわり、小さい子には首飾りの材料となり、若い恋人たちには四つ葉さがしのダンジョンとなり、ピクニックでごろ寝するのにちょうどいいふかふか大地を提供してくれます。
四つ葉のクローバーをみつけると、いくつになってもうれしいものですし、デザインも家具から日用品まで、あらゆるカテゴリーで使用されています。
国や民族を問わず、ひろく愛されてきた植物なんだなぁと感じます。
クローバーはマメ科シャジクソウ属(車軸草属)、和名を詰草といい、ヨーロッパ原産の帰化植物です。
白い花を咲かせるものは白詰草、ピンクの花は紫詰草(または赤詰草)などありますが、一般的にクローバーというときは白詰草をさすことが多いようです。
和名の白詰草は、江戸時代にオランダから輸入されたガラス製品などの緩衝材として、乾燥したクローバーを使用していたことから、クローバー全体を「詰草」と呼んだのがはじまりです。
明治以降、あらためて牧草として日本に入ってきた詰草は、ほふく性の茎を地表にくまなく広げるしのび寄りの達人で、あっというまに日本全国にひろがったといいます。
ウィキには1938年の文献に「日本國中至る處」繁殖していると記載があり、
食用になる地上部はたんぱく質、ミネラルがおおく、イネ科の牧草とまぜて家畜に使用されてきました。
クローバーはちみつは世界でもっとも生産量がおおく、白詰草はポピュラーな蜜源植物でもあります。
小さいころは紫詰草の花穂をちぎっては根元の蜜をちゅうちゅう吸っていましたっけ。
人にとっても白詰草の葉は食用になり、花は体質改善薬、解熱剤、鎮痛剤として用いられてきた歴史があります。
やわらかい若葉と花をさっと茹でて水にさらせば下準備OK、汁もの、あえもの、炒めもの、なんでも使える灰汁のすくない食材になり、摘みたての花は焼酎につけるとクローバー酒になります。
クローバーはマメ科なので、ほんのりコクがあります。
わたしはクローバーをつかった調理は酢の物にばかりしていましたが、クックパッドにレシピいろいろのっていて、便利になったもんだなぁとまたまたひとりご(略)。
ひまわりの記事でもご紹介しましたが、クローバーは菌の作用で窒素を固定させ、大地の力を向上させる植物として緑肥になります。
白詰草の種小名 repens は、ほふく性のという意味で、地を這うように地面をおおってゆくので、四つ葉のクローバーをみつけたときは、茎をたどると遺伝的つながりのある葉がでやすく、シアワセシンボルをもういっこ、みつけやすいという裏技があるそうです。
神殺しの棍棒
牧歌的で平和を絵にかいたようなクローバーから、突如物騒な見出しになりましたが、クローバーの語源はラテン語の clava (棍棒)が由来です。
またシャジクソウ(車軸草)属を学名表記にすると、Trifolium属となり、トリは3、フォリウムは葉っぱを意味します。
3つの小葉をもつのが由来でトランプのクラブとなり、クラブはタロットカードの小アルカナでは棒(ワンド)です。
棒(ワンド)はマインクラフトでもその重要性が示されたとおり、家をつくったり松明をつくったり武器や塀など、地上生活の滑りだしをサバイブする必須ツールです。
棒(ワンド)がなければ一夜をのりきることさえできません。
生きるための原始的な力を意味します。
数字の3+棒とくれば、3つのこぶをもつ棍棒をエモノとして携えていたギリシャ神話の英雄ヘラクレス。
3つのこぶつき棍棒を、どかんどかんとふるいながら、半神半人のヘラクレスは、新旧とりまぜていろんな神々(怪物)をなぎたおし、地球という箱庭づくりの地ならしをしていったのでは、と妄想しています。
棍棒にとりつけた3つのこぶは、火と風と水を象徴し、ふりおろされるごとに土元素界は地表に定着して、固定・不動という概念が実装化されていったのではないかな、と。
ヘラクレス12の功業から、神々との戦いを彷彿とさせる冒険譚をかいつまんでみると、
ネメアの獅子退治⇒獅子座に。
水蛇ヒュドラ退治⇒うみへび座に。ヒュドラのともだち巨大な化け蟹をふみつぶす⇒蟹座に。
ケリュネイアの金角鹿を生け捕り⇒女神アルテミスの聖獣に。
大猪を生け捕り⇒このとき武術の師であるケイローンに毒矢を射ってしまいケイローンは射手座に。
青銅のくちばしをもつ怪鳥を退治。
クレタ島の怪物牛ミノタウロスの父牛をアルゴスまで連行。
人食い馬を生け捕り、持ち主だった軍神アレスの息子ディオメデスを馬に食わせる。
冥界の番人、ケルベロスを生け捕り地上に引きずり出す。(余談ですが、そのよだれでトリカブトが生まれたとか)
メデューサの孫から紅い牛の群れをうばう。この冒険譚では太陽神ヘリオスに矢を射って金の杯を授かり、帰路では登るのがたいへんだからと山脈を棍棒で叩きわってジブラルタル海峡をつくったとか⇒ヘラクレスの柱。
10.へスぺリデスの黄金の林檎をうばい、まもっていた竜・ラドンを退治
⇒りゅう座に
へスぺリデスの黄金の林檎とヒュドラ、ラドンについては梨の記事にも綴っています
ネメア王国とネメアの獅子は、パセリの記事とエーデルワイスの記事にも綴りました。
ヘラクレスは12の功業以外にも、有名な冒険譚に登場しては、腕っぷしのつよさを刻印してゆきます。
新旧ふくめていろんな神々に挑み、なぎたおしては地上の地盤を固め、逆に退治された怪物たちは地上要素から解放されて、液状(水)になり大気(風)になり、精妙なエーテル(火)へと昇華してお星さまになりました、と。
ドラゴン、ペガサス、ケイローン、ネメアの獅子やデイダラボッチ。
地上世界で役割を終えたものたちが天界に昇るたび、彼らが守っていた民族魂も一緒に昇華して、地球次元から消えていったのだろうと妄想しています。
ヘラクレスの最期は、自らも星座へと昇華し、ヘラクレス座となりました。
クラブ(棍棒)からクローバーへ。
平和で牧歌的な植物とはあまりにかけはなれた印象がありますが、クラブをぶん回してヘラクレス成分多めのクローバーやタイムをひろげていったとするならば、忍び足で地面を這うようにほふくして、いつのまにか地表をおおいつくしたハーブたちは、怪物と称される古い神々が地球に降臨できないようセットされた結界、あるいは緩衝剤のような植物なのかもしれません。
地球と異界を分けたヘラクレスの功業は「ヘラクレスの柱」というメタファーに隠されているのかもしれないな、と。
太陽は牡牛座にはいります
クローバーの芝地は安心感をもたらし、怪物や魔物とは無縁の、ごく一般的な人間らしいくらしを保証してくれる象徴のようだと感じます。
日常生活のすみずみを自分好みに豊かにしつらえる特性がある牡牛座のように、身近にあるものを慈しむこころが自然とわきおこり、あらためて手にしているものに関心がむいていく。
クローバーを冠する物語や商品には、そんなメッセージがこめられているものが多いなぁ、とも。
ふかふかのクローバーじゅうたんにからだを投げだして、春らんまんの花鳥風月につつまれると、あたまもこころも芯からくつろいで、うつらうつらと春眠にいざなわれ、からだの浄化を終えたばかりの純粋な自分(いちばん身近なもちもの)に、あらためて焦点をあわせる機会もふえるように思います。
ちょうど日本はこの時期、大型連休もありますから、社会的ペルソナをぬぎすてて、ほんらいの自分らしい立ち方、歩き方、話し方、感情の発現など、自己のプレゼンス・チャンネルにチューニングするにはもってこいの季節です。
おりよく自然界は千紫万紅、美しいものにはことかきませんし、春眠暁を覚えず、現世と夢世のはざまでとろりとろりと過ごすあいだに、あたまもこころも、からだのなかも、調整はすすんでいくように思います。
山や大地に浸透した滋養たっぷりの雨が、あふれるように川をくだり、お里に流れていくように、からだという「ふもと」に流れくるエネルギーが集約されて、資質開花スイッチを押してゆく。
みてみぬふりを決めこんでいると、ふいなる棍棒がふりおろされて、なさけ容赦なく巨大な山(信念体系)を砕かれることもありますが、それは大海につうじる門となり、才能や資質が百花繚乱する場所にみちびかれる前兆、というケースも多々あると思います。
山ほどある三つ葉の草原から、四つ葉のクローバーをみつけるくらい、生まれもった資質や才能を自分でみつけるのはむずかしいものですし、ようやくみつけたとしても、現代社会の「みんな同じでみんないい」システムのなかで、四つ葉資質を生かすのは至難のワザといえるでしょう。
ところで「生まれもった才能や資質」って、いったいどこからきたのでしょう?
からだの特徴や、基本的な感情、思考の建てつけは、血統を土台にして地球環境にはぐくまれるとして、遺伝的特性におさまらない、生まれるまえからもちこしてきたような資質は、どこでどんなふうに受けついできたものなのだろうか、と。
ホリスティックな階層構造という体系を、絶賛探求中の個人的所感としては、ヒトは遺伝的情報をうけつぐ器を継承しつつ、銀河にきらめくの星々の系譜を、精妙なエネルギー体のなかにうけつぐものではあるまいかと、想像ゆたかにふくらませています。
星の系譜にまでひろげて描きだす地図のなかに、「生まれもった=脈々とうけついできた」資質の源泉をみつけだすことができたなら、そこでようやくこころのそこから安堵して、「ただいま」っていえるのかもしれないと感じています。
それは四つ葉どころか、五つ葉や六つ葉、七つ葉のクローバーをみつけるような、まさしく夢のような発見ではありますが、可能性ゼロではありません。
「生まれもった資質、才能」をみつけるのに要領よく近道する方法はないし、素早くみつけるコツも、確実にみつかるという保証もないけれど、みつけられるのは「探すのをやめなかった人」だけです。
星の系譜を含めた地図づくりは、牛歩のあゆみで着々と、夢見世界の体験を反芻しながら、着実につみあげていくしかないんだなぁと感じています。
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お読みくださりありがとうございました。
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