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72候【花鳥風月】白露の候 2023



天地惹かれて雷はしる、いわしとひつじは空駆ける


いわし雲やひつじ雲など、高度のちがう雲たちが空を駆けまわる9月は、温度差のある層が大気のなかを遊泳して、四大精霊たちもあちらの風にのり、こちらの雫にのって、上空からの最終確認に余念がありません。

春分の日に地球に降りてきた精霊たちは、ことしも植物界で開花と結実の大仕事をおえて、秋分の日にひらかれる精霊界ポータルにむかって帰省の準備にはいるころかな、と想像をめぐらしています。

雲の段差で空の奥行を感じると、いやおうなしに宙のふかさに思いがいたり、わたしたちは広大な宇宙のなかに浮かんでいる地球という星の一員なんだとあらためて思いだしたりして。
澄みわたる秋の空には、いつもの空間認識を変化させる力が秘められているように思います。

パーソナルスペースを定義した心理概念には4つのディスタンスがあるそうで、親密な人に許される密接距離は15cm~45cm。
個体どうしの距離、パーソナルディスタンスは、あいての表情がよみとれる45~120 cm。
社会的な距離、ソーシャルディスタンスは会話ができる120~ 350cm。
公共の場での距離、パブリックディスタンスは、おおぜいの人々が見わたせる350cm以上といったガイドラインがあるそうです。

対人間だけを軸に、肉体を認知することありきで設定されている距離感は、社会という極小エリアのみで通用する空間認識で、持続可能な循環システムをベースにセットした地球人類は、これからもっとおおきな空間認識力を共有するようになるのだろうと考えています。

たとえば1個人のからだという輪郭をこえて、自分が住んでいるおうちや環境全体に意識をひろげた距離感や、国、惑星、さらには大気層までの距離とか、月の軌道までの距離、太陽までの距離など、宇宙時代に突入するとともに、地球という稀有な惑星に生きているという意識も発達し、すでにわたしたちの住んでいる星はじゅうぶんな循環システムを有して、悠久の年月をかさねてきたことを再確認できるのだろうな、と。

そうした意識の拡大は、肉体だけを軸にして数値におきかえた距離よりも、こころやあたまで意識したり意図したり、あるいはつよい感情のこもった念が、他者や環境におおきな影響をあたえることを実感させ、と同時にエネルギーはいつでも双方向に両者をつらぬき、意識の交流があるもの同士で変化してゆくプロセスが、一般常識になってゆくのではないかと。

ヒトのからだをもって生きる経験は、地球という惑星になじみ、国や民族や社会という輪郭を他者といっしょに形成する一細胞になることを意味します。
「大衆心理」は時代の特徴として、歴史のなかにみる巨大な社会生物(文化、文明)をつまびらかにし、たとえば「ルネサンスさん」とか「明治維新氏」、「ゴールドラッシュくん」など、時代霊ともいえる大天使の顔ぶれをあきらかにします。

つぎにくる宇宙時代は太陽系ファミリーの一員という自覚をもった文化を花ひらかせる時代霊が登場するのかもしれません。

いわしの大群ショーをどこかの水族館でみたときは、1匹が1細胞のようにうごめき、巨大な生きものと化している群れに感動しました。
ドローン技術が発達して、さいきんではYoutubeでひつじの群れ空撮もみることができますが、羊たちの移動は地を這う巨大な生きものにみえて、これまた新鮮なインパクトがありました。

雲はいってみれば水と氷の群れで、自在に輪郭を変化させながら空をおよいでいるあたり、群れる地上生物なんかをほんとうに投影しているのかもしれず、鏡面のように澄みわたる秋の空は、地上の創造物を映しだすという説は、あながち嘘じゃないのかも、と感じています。

すいこんだ空気のつめたさにハッとして、秋だなぁと空をみあげる瞬間に目にとびこんでくる雲のカタチは、そのときどきのこころの状態を表しているようにも思います。

いのちがやどる森羅万象は、この時期になると一様に立ちどまり、大地に夢中だったものは空を仰ぎ、天に向かっていたものはこうべを垂れて、昼夜おなじ長さになる秋分をめどに、踵をかえす準備をしているのかもしれないな、と。

地表からだんだんとはなれてゆく太陽の光を埋めあわせるかのように、稲光は昼夜、明け暮れ、ところかまわず鳴りひびき、天地のプラスとマイナスがひかれあう「聖なる結婚」ともいえる現象には、まいどあらたまるように畏怖の念をおぼえます。

炎を生み風をしたがえ、水をつかさどる龍神さまのご咆哮のような雷は、植物の生長をうながしているという言い伝えをよく耳にしますが、科学的に解明してみようという気運も昨今たかまりつつあるようです。

稲のつま(相方)と命名された稲妻は、地球をおおう植物たちと袂を分かち、天地に分霊したツインソウルで、稲光と轟音はエーテル体を象徴するという植物の、天界へつなぐきざはしの片りんなのかもしれません。

白露の候、2023年は9月8日から。

草露白くさのつゆしろし-朝露が白く涼しくみえるころ
鶺鴒鳴せきれいなく-鶺鴒の声がひびきわたるころ
玄鳥去つばめさる-つばめが南へかえっていくころ


地球をつつむイネ科植物


イネ科植物は地球世界にひろく分布する穀草、牧草で、自然草原や林をつくり、芝生にも使用される植物界の大御所クラスターです。
イネ科は地表をおおう面積では世界一、陸地面積の40%ほどを占めると考えられているそうです。

大地にひろがるイネ科植物は、動物やヒトが利用できるように、太陽エネルギーを変換する光の循環者たちともいえますし、太古の時代からいのちをつなぐ進化プロセスをくりかえし、森から抜けでて草原地帯をひろげ、その草をはむ草食動物を生みだしてきた、地球生物創造・進化の源でもあります。

草原や牧草地にみられるイネ科は総じて茎の生長点をうんと低くして、葉が動物たちに食べられても生きのこれるよう工夫しています。
イネ科植物が乾燥地帯にも生育場所をひろげていったことで、草食動物は豊富な食糧源をかくとくし、多様に進化をとげてきました。

ヒトもまた、イネ科植物の栽培で「蓄え」ができ、生活を安定させることができるようになりましたが、その反面労働時間がながくなり、あたらしい秩序や道徳、通念がうみだされました。

草食動物を養い、人類に高い生産性をもたらして農耕文明を立ちあげたイネ科植物は、地球の歴史におおきな転換点をもたらし、現代の食物連鎖をつくりあげた縁の下の力もちです。

総じて草とか雑草とよばれる野生種のイネ科には、ねこじゃらしでおなじみの えのころぐさや、雑草の代名詞みたいな めひしば、おひしば、背のたかい葦、茅、すすきのたぐい、芝生になるシバ属、お山をつつむ竹や笹、はとむぎの野生種じゅずだまなどもあります。

ウィキペディアーエノコログサ
ウィキペディアーメヒシバ
ウィキペディアー芝
ウィキペディアー芝
サッカー場(埼玉スタジアム2002)
ウィキペディアー芝
内外野総天然芝の野球場(USセルラー・フィールド)
ウィキペディアー芝
日本のゴルフ場
ウィキペディアージュズダマ

イネ科は栽培種をふくめると世界中でおよそ780属、なかでも経済的植物のとうもろこし、小麦、米、大麦、きびなどの穀物はヒトの主食であり、家畜動物の飼料でもあり、現代社会ではヒトの食事エネルギーの半分くらいはイネ科植物でまかなっているといいます。

日用品や建築材料として活用されてきた竹や茅といったものから、バイオ燃料源(動物や植物から得られる有機性資源)として注目されているとうもろこしやさとうきびなど、イネ科植物の活躍はますます多岐にわたって未来社会にひろがってゆくのだろうと感じています。

イネ科は風によって結実する風媒花で、果実は穎果えいか、または穀果こくか、一般的には穀物とよばれ、ちいさくてたくさんのつらなりとなって実ります。
種子はひとつづつ包まれて自然裂開することなく、果皮につつまれたまま乾いて、さらに特殊な葉っぱで包まれるものもあります。

ウィキペディア-穎果
食用とされるさまざまな穎果
(上段左から) black corn、イネ、オオムギ、エンバク
(中段左から) モロコシ、トウモロコシ
(下段左から) アワ、コムギ、ライムギ、ライコムギ


一粒万倍、蓄え=富という観念


もみがらをとりのぞいて、かたく乾燥した果皮をむく(精穀)する技術を発達させた民族は、文明を築いて栄えることができました。
穀物は種なので、まけば芽が生えてきて数カ月もするとまた収穫でき、米一粒から生えた稲には、およそ1500粒が実るとききます。

日本で栽培されている稲の学名はOryza sativaオリザ・サティバ
宮沢賢治がのこしてくれた創作物のなかに、オリザの名前がでてきます。

その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるこぶしの木もまるで咲かず、五月になってもたびたび霙(みぞれ)がぐしゃぐしゃ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年播(ま)いた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。

 そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗の木は青いからのいがばかりでしたし、みんなでふだんたべるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。
野原ではもうひどいさわぎになってしまいました。

青空文庫-「グスコーブドリの伝記」宮沢賢治


日本国土には縄文時代(BC1000~BC300年ころ)に米が伝来したと考えられています。
縄文時代にも米栽培をする集団はいたそうで、後半はどんどんふえてゆき、ざっくりBC300年~3世紀に米栽培が定着した時期は弥生時代と命名され、農耕によって狩猟・採取による移動生活から定住生活が一般的になったとガッコウで習います。

弥生時代から栽培地のひろさで収穫量が変わることと、それまでの食料品とちがって傷むことなく大量に貯蔵できることで、食料をたくさん持つものと持たないもの、いわゆる貧富の差が生まれます。
農耕によって「時間とエネルギーをかけたものを収穫=貯蔵=自分の富」という観念が生まれたことで、こんどは富をうばいあう戦争のような観念も、どうじにうまれたといいます。

「農業のはじまりによって戦争が起こる」という学説があります。
農業が始まると、収穫した作物は個人のものとなります。
作物のできぐあいによって、個人個人の収穫量の差がうまれます。
これによって、財産を多く持つ人と財産が少ない人の違いが出てきます。

(日本の)縄文時代に戦争をした証拠は見つかっていません。
人骨に石のやじりが刺さったものが発見されていますが、これは全体の人骨の中ではごくわずかなもので「殺人事件」とも考えられます。

弥生時代は、本格的に農業を始めます。
弥生時代には、戦争をした証拠があります。
獣をとるためのやじりより大形のやじりを作ったり、敵の攻撃に備えて堀をめぐらせたムラの跡がみつかったりしています。

栃木県埋蔵文化センター


穀物は植物界のなかでも血糖値を急上昇させる特徴をもっているので、狩猟や採集をしていた時代とは、ヒトの身体組成もおおきく変化してきたのだろうと思います。

雷さまを後ろ盾に、地球のグランドカバーとして繁栄してきたイネ科植物と歩調をあわせて築いてきた一時代は、数百年後、数千年後にふりかえるとき、いったいどんな社会的巨人(文化・文明・時代霊・大天使)を浮かびあがらせるのでしょうか。

イネ科植物には糖や香り成分をもつものもあり、さとうきびからは砂糖を生産でき、レモングラスやベチバー、パルマローザやシトロネラなど、精油をもつハーブは香辛料や香料の保留剤として活用されています。

衣食住をささえ音楽の一助となってきた種もあり、断熱材や紙の材料となったり、なにかとべんりな不織布になったり、木管楽器のリードとしても活用されています。
よくしなる竹製の足場は強風に耐えることで有名です。
湿地の水を浄化するはたらきが認められ、土地の保全や、埋め立てに使用されている種もあります。

芝生として利用されているイネ科植物は、あらゆるスポーツフィールドに欠かせないグランドをつくり、スポーツ産業を下支えしてきました。

過去記事に綴ったイネ科植物たちの記事はこちらです。


太陽は乙女座後半です


乙女座でもっともあかるい α 星のスピカ(Spica)はギリシャ語で穀物の穂先を意味し、日本では麦穂星と訳した文献もあるそうです。
もとは尖ったものという意味でスパイク(Spike)の語源説とおなじです。

羽をもつヒト型の姿で描かれる乙女座ですが、そのモデルとなった女神はたくさんいます。
正義の女神ディケ(ホーライ3姉妹、BC700年ころ「神統記」)
星乙女アストライア(ホーライ3姉妹、ギリシャ神話)
大地と豊穣の女神デメテル(ギリシャ神話12柱神、穀物栽培を人に教えた)
豊穣の女神、玉座の守護神イシス(エジプト神話4柱神、「天上の聖母」「星の母」「海の母」ともよばれる)

ウィキペディア-ホーラー
季節の正しい移り変わりを司る3柱のホーライと
人間社会の秩序を司る3柱のホーライ
(エドワード・ポインター/画、1896)

雨を降らせ花を開花させ、果実を実らせる
季節の規則正しい巡りと自然の秩序を司る
天界と地上を結ぶ雲の門の番人
神々がオリュンポスから外出する際、天界の門の雲を掻き分ける


ホーライ3姉妹のひとりとされるディケやアストライアにまつわる神話で有名なのが、人と神がともにくらしていた時代から、神々が天界へと去ってゆく移行期の物語です。

人間が争いもなく平和に暮らしていた時代(黄金時代)は、神もまた地上で人間とともに暮らしていた。
しかし次第に人間たちには文明と欲が生まれ、争うようになったため、神は1人ずつ天に帰っていった。
最後まで地上に残ったディケーは人間に正義を教えていたが、人間が次第に悪心を持つようになると彼女も失望し、まずは山中に隠棲、それでも人倫の荒廃がとどまらないのを見ると最後には地を離れて自ら天に昇った。
後世には、おとめ座の隣にあるてんびん座を、彼女の持つ善悪を計る天秤であるとする話も付け加えられた。

ウィキペディアー乙女座


宇宙時代に突入した地球社会では、神々に愛想をつかされたとか見捨てられた人類というたてつけではなく、あたらしい解釈の神話が登場するかもしれません。

「宇宙のはじまりにあるエネルギーから分割され、創造降下した霊魂たちは、精妙なエネルギーと物質的なエネルギーをさらに分化しながら降下をくりかえし、地球という惑星に時間秩序と空間でしきられた固形成分のおおい社会を創造した」

「さいごまで創造降下に同行した上位エネルギーはホーライ3姉妹と呼ばれ、火から風、水、土の元素に分化して、のちにディケやアストライヤ、デメテルなどの神格と結びつけられた」

「分割魂はこれ以上降下できないところまで小さく分割され、地上世界という土元素界優位のフェイズを構築し、ホーライ3姉妹がさいごまでつなぎつづけた上位フェイズとのきざはしは、地表に生きる人類という種がひきついだ」みたいに翻訳されていくのかな、と(得手勝手な想像です)。

ヒトのからだという小宇宙に対応する乙女座の器官は大腸で、からだにとりこんだ異物を消化したのち、いるものといらないものの最終的なよりわけ作業がおこなわれます。

五行説


大腸と表裏一体とされる臓器は肺臓で、季節は秋、色は白、五行では金、方角は西を象徴し、秋は肺臓の感受性がたかまる季節といわれています。

からだのなかで仕分け作業を緻密に綿密におこなう大腸も、一年の折りかえし地点である秋分の時節にむけて、最終的な選別を開始し、今年の集大成である「肉体という果実」の輪郭を決定づけるように、成分をよりわけているのではないかと。

乙女座成分のとくいワザである「観察する」「分別する」「輪郭を明確にする」「ラベリングして整理整頓する」ちからは、時間秩序と空間認識を固定するために地上降下した女神エネルギーから受けつがれたもの、とするならば、地の理を観察しつづけ、底の底に到達した時点で、こんどはモノやヒトの気配や印象、雰囲気を「排除しないで見る」方向へ、転換するちからとなってゆくのだろうな、と。

見ることは相互作用で、かなりの情報とエネルギーが交換されるものだと感じています。
誰かにじっとみられているとき、その視線にこめられたメッセージで元気になったり、気がめいったり、いろいろな気分が醸成されますが、成熟した乙女座成分をつかいこなせるようになると、エネルギーのより分け作業も朝飯まえ、同化するものと排泄するものをさくさく処理するのはかえっておもしろい、という具合になると思います。

視線は自分をみるときにも同じようなはたらきをしますが、自己同化が強いほどなんにでも自身を投影してしまい、誰を見ても、なにを見ても、「自身を語るに落ちる」的な言動がふえていくのだろうな、とも。

結実した果実は因果の「果」。
「因」の側にある印象や気配を整理できれば必然的に収穫物にも変化がおこります。
潜在意識へダイビングして、マインドマップなど描きながら、春夏のあいだは育てよ咲かせよと放任してきたぼうぼうの草を、野分でたおされみはらしがよくなる季節に乗じて整理整頓するのも、秋分まえのおたのしみのひとつ。

物質界の成立は四元素ぬきには語れません。
けれど四大精霊たちにも循環は必要で、シュタイナー曰く「四大精霊にも故郷はあり、人間界は通過点に過ぎない。春分、秋分は四大精霊にとって、故郷の精霊界にかえるとびらがひらく日だ」ということばが(どの本か忘れてしまいましたが)印象にのこっています。

循環、めぐりは活力の源。
地球をおおう魔法のじゅうたんのようにひろがったイネ科植物とおなじように、地表にひろがった人類が精霊たちの気配を「みる」ことによって、彼らの循環フローも活発になり、ホーライ3姉妹の分霊ともいえる四大精霊たちは、地上世界の固形物から解放されて、お里帰りできるように感じています。

物質や肉体は地の恵み、結実したお宝として現代脳で「見る」ことができる輪郭をもっていますが、エッジをさらに拡大して、感じる輪郭、匂う輪郭、聴こえる輪郭、温感輪郭なども視野に入れると、秋の収穫祭はよりいっそう楽しくなるのではないかな、と。

稲妻にのっておりてくる乙女座モデルとなった女神たちは、四大精霊をしたがえて、いまもむかしも人類のいちばんちかいところで、天地のきざはしが断たれないようにと植物たちのエーテルを紡ぎつづけているような気がします。

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お読みくださりありがとうございました。
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