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消化試合みたいな大学3年生

ここ最近の僕の貴重な学生生活はまさに消化試合という四文字に尽きる。

何かに熱中しているわけでなければ、目標に向かって何かを頑張っている訳でもない。

日々が何となく過ぎていき、何となくそのうち訪れる就活生としての日々を恐れている。

本来であれば、就活が本格化していない今こそ何かに熱中していた方が良いし、何かを頑張っているのがあるべき姿なのかもしれない。

ただ今の僕にはそうしたものは何もない。

終わりの見えない閉塞感に満ちた日々が僕から気力を削いでいく。

今ある日々は何かを頑張ろうとしなければ頑張れない日々だ。

新たに人と出会うにも例えばSNSとかで事前に知り合いになったり、新しくバイトを始めたり。

偶然誰かと出会うにはあまりに限定的で偶然に身を委ねるにはあまりに頼りない。

今、思い返せばバイトを変えた段階で、もっと人間関係の築きようがあったようにも思うが、コロナ禍において人と仲良くなるにはそう容易ではない。 
 
何となく必要以上の会話をすることが躊躇われるし、マスク越しで相手の表情が見えない状況ではなかなかその人のことを信頼出来ない。

正直、マスク姿しか知らない人と仲良くなるのはSNSで仲良くなるのと大差ないように思える。

そのため、これ以上人と仲良くなろうという気が起きない。

仲良くなろうにも、人と仲良くなれる環境が現状バイト先のみではなおさらだ。

バイトを辞めたら間違いなく疎遠になる人の方が多い環境で僕は当たり障りのない関係性に終始する。

同年代よりも先輩が多く、それだけでも何となく生きてる時間が変わってくる気がする。
 
特に学生にとっての一年の差は大きい。

同級生と仲良くなるのも良いけど、異性が多くて自分が一番求めてる人間関係を築くに容易でない。

今、一番欲しいのは同性でくだらない話をくだらない話として受け取ってくれるようなそんな気軽な仲なのだ。

気を使いあってようやく仲良くなれるような煩わしさが存在しない人間関係が欲しい。

大学生活、本来であれば人間関係がもっと流動的なはずだった。

限られた人間関係で仲良くなれそうな人と仲良くなるというよりかは、無限に広がった中から合う人と仲良くなれればそれで良い。

ずっとそう思ってたし、今でも可能ならそうしたい。

人と仲良くなるのに、初歩の段階で妥協なんかするもんじゃないだろう。  

初めから妥協して仲良くなった仲なんか一生深い仲になれない気がする。

でもコロナが大学における人間関係の構築のメカニズムをまるで変えてしまった。

明らかに出会える人の数が少なくなったし、下級生は少ない人間関係から何とか気の合う人を見つけなければいけないんだなって思うととても大変だと感じる。

まともに大学に通えた一年生の間で出会った人はコロナ禍と比べると圧倒的に多い。

そのなかで合う人もいれば合わない人もいた。

合わないと思ったけど合う人もいたし、時間をかけて仲良くなれた人もいた。

合わない人とは関わりを減らしても差し支えない環境でもあった。
 
大学構内には常にたくさんの人がいて、関わりの少なくなった人とは案外会わないものだし、仲良い人とは案外頻繁に会うものだ。
  
その一年間を知っているからこそ、仲良くならなきゃと思って人と仲良くするのは何か違うなと思ってしまう。
 
この違和感を拭いきれない僕は間違いなくウィズコロナに対応できていない。

閉塞感、窮屈、閉鎖的、消極的、自粛……………


この現状を憂いるより慣れてしまった方がきっと遥かに生きやすい。
  
ただそれが分かっていても出来ないのは、上に挙げたような要素が人間生活に逆行しているからなのかもしれない。

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