最近の記事

名前をつけたがる

私はキチンとしているわけでもないのに納得できないことは受け入れられないという面倒くさい人間なので、定義したがり、名前をつけたがる。 違和感を覚えるとずっと考え続けてしまう。 わからないことがあると自分の存在価値を見失い、居場所がないと感じてしまう。 そういう時はたいてい考えすぎて視野が狭くなっている。 目線を3センチあげれば全部見えるのに、そうした方がいいと気づくことすらできない。 適当なくせに頑固で融通がきかない不便な脳みそを持っている。 だけど、別に名前がなくたって、

    • 不器用な人間とか、親子関係とか

      またしてもnote書いている場合じゃないけど書いておく。 書かずにいると「今書かなきゃいけない仕事の文章」より「今思っている個人的なことの言葉」で頭がいっぱいになって何も書けなくなるので書く。 「違国日記」を読んでいて、主人公の槙生には近しいものを感じる。 ……これとか。 ただ、槙生は不器用な人として描かれているけれど、ものすごく器用な人だと感じる。 学生時代からの友人が何人もいて、年上の女性に甘えたり、男性に頼ったりもできる。 「ちゃんとやれている人」で羨ましい。

      • 自分のための覚書

        締切が迫っている原稿があり、noteを書いている場合じゃないけれど、覚書として書いておく。 時間が経って「ああ、そうだったのか」という納得を忘れたり、せっかく定義できたものが曖昧になったりしないように。 あなたが自分の子どものことを話すのは新しい家族の形を模索しているからだと思っていた。 自分の母親の話をするのは、自分の家族観を知ってほしいからだと思っていた。 でも、そういうスタンスで接すると話がズレてしまい、私だけが空回りしているように感じた。 え? あなたが言ったから

        • 愛とは、人を思いやるとは

          愛のある関係とはなんだろうなと思っている。 夫婦は運命共同体というか、お互いの面倒も受け入れて一緒に解決する関係だろうけれど、恋人同士はそうはいかない。 彼氏と彼女の関係では、相手を大切に思うからこそ会わない・話さない・距離を置く、という状況がある。 自分の個人的な事情・感情に相手を巻き込みたくないがための行動なのだけど、それはそれで「寂しい」と思われてしまう。 そして、距離を置く方も、相手を巻き込みたくないと思いながら「私を理解してほしい。複雑な事情を汲んでほしい。支え

        名前をつけたがる

          陽キャとは合わねぇ…。この年になっても相容れねぇ。あいつらはあいつらで別の世界で生きてくれ。こっちくんな。

          陽キャとは合わねぇ…。この年になっても相容れねぇ。あいつらはあいつらで別の世界で生きてくれ。こっちくんな。

          キングダム映画の主題歌、ONE OK ROCK。スケール感がやっぱり一番しっくり来るから嬉しい。

          キングダム映画の主題歌、ONE OK ROCK。スケール感がやっぱり一番しっくり来るから嬉しい。

          それは自分で確認した方がいいと思う

          私は基本的に怒ることが面倒で嫌いだ。 できることなら怒りという感情を実感せずに毎日を生きていきたいのだけど、久々に腹が立つことがあった。 先月末、二男のクラスで揉め事があって、知り合いのママさんの子も関係者だったため、個人的にやり取りする場面があった。 関係者となる生徒は複数人いて、小3でもあるため、記憶が曖昧だったり、発言がその場その場で食い違ったりもして、我が家でも相当めんどうなことになった。 (二男はバッチバチに私に詰められ、次の日は落ち込みすぎて学校を早退している…

          それは自分で確認した方がいいと思う

          個人的な感想ではあるけれど、賢いことと品があることは別次元の話。ロジカルに論じる人は正しいのかもしれない。でも、つねに炎上しているのは品がないからだろうな。#なんか見た

          個人的な感想ではあるけれど、賢いことと品があることは別次元の話。ロジカルに論じる人は正しいのかもしれない。でも、つねに炎上しているのは品がないからだろうな。#なんか見た

          泥臭い自分自身をモロ出しすること

          先日、ある方に自分の企画を見ていただいた。 プロジェクトとして素材が決まっているとか、誰かの原案が存在するものではなく、ゼロから自分が考えたものだった。 私の勝手な妄想といってもいい。 有り余るほどの実績がある聡明なその方は、提案書をざっと見てひと言、「もっと作家性を出した方がいい」と仰った。 アナタが本当に作りたいものはコレじゃないですよね、と。 すべて見透かされていた。 ユーザーペルソナを設定して、その層に受け入れられ喜ばれるような要素をふんだんに盛り込んだ”幕の内

          泥臭い自分自身をモロ出しすること

          サッカーを始めた頃はぶかぶかのユニフォームだったのに、今はちょうど良くなっているのを見ると、子どもの成長の速さにハッとさせられる。

          サッカーを始めた頃はぶかぶかのユニフォームだったのに、今はちょうど良くなっているのを見ると、子どもの成長の速さにハッとさせられる。

          プロのクリエイティブと個人が作る創作

          最近、エンタメとはなんだろうなと思っている。 世代の違いや好みの違いで片付けていいのかなと疑問に感じたり。 たとえば、そもそも“ストーリー”を必要としない人たちがいるとか。 マイクラやフォートナイトを「既にある世界観にお邪魔して遊ぶ」ではなく「既にある世界観を利用してクリエイトしながら遊ぶ」感覚に慣れている10~20代は、そっちの方が自由で楽しいんだろうか? キャラやざっくりした世界観だけあれば、「私たちで作りたい」なのかな? 作り手がストーリーを考え、人物の感情の起伏を

          プロのクリエイティブと個人が作る創作

          結局、やっぱり書いている

          私は書くことを仕事にしている。 仕事にしてもう18年ほどが経ち、仕事としては好きも嫌いもなく書いている。 ただ、「これを書くのはもう飽きたな」とか「こんなこと書いて何になる」とウンザリすることがない訳でもなく。 忙しく書き続けていれば疲れて気持ちも荒んでくる。 何も言葉が思い浮かばなかったり、「もう書きたくない」と心がくちゃくちゃにくたびれる時もあるのだ。 そして、心身ともにボロボロになるとき、 私はさらに書き出す。 「仕事の原稿はもうつまんないから、好き勝手に書きたい

          結局、やっぱり書いている

          ママ友という集団

          ママ友という属性がとても苦手だ。 子どもを通じた関わりなので、子どものライフステージが変われば縁も切れるライトな関係ではあるけれど。 ママ友同士で交わされる会話の不毛さにはため息しか出ない。 愚痴、噂話、悪口、自慢、その場にいない人に対するマウンティング、同調圧力。 子どもを遊ばせるために渋々付き合うけれど、「早く終わらないかな」としか思えない。 どんなくだらない話にもそれなりに意味はあるのだろうか。 ネガティブなムードしか見出せない私の視野が狭いのだろうか。 あるママ

          ママ友という集団

          大人の階段をのぼる

          長男君が4月から中学生になるので、学習塾を決めるために面談~体験授業を繰り返している。 三者面談では塾の先生から「大人になったら何になりたいの?」と聞かれることもあり、長男は少し首を傾げた後で「プログラマー」と答えている。 ほんとかな? 母の押し売りを言っているだけじゃない? そう思うと、自分の母親としての言葉と行動にプレッシャーを感じる。 長男にプログラミングを習わせたことも、将来はそういう道を進むのが安泰なんじゃないかという考えも、私にとっては真摯で真面目なのだけれど

          大人の階段をのぼる

          100個、幸せの種があるとしたら

          100個、幸せの種があるとしたら「50:仕事、50:プライベート」になるのが良いのかもしれない。 「98:仕事、2:プライベート」は相当な覚悟がないときついし、「0:仕事、100:プライベート」という専業主婦的な生き方は令和の時代では物足りなく感じるだろう。 私は、人間が持つ幸せの種はみんな同じで、100だとしたら100以上はないと思っている。 一世を風靡した有名アーティストが安定したあたたかな家庭を持っているとは限らないし、何かに特化して大きな幸せをすでにつかんでいるな

          100個、幸せの種があるとしたら

          救急車に乗った

          先週末、体調を崩して救急車に乗ってしまった。心身ともに疲労困憊しているところに、さらに無理をしてどうにもならなくなった。 外出から戻ってそのまま玄関に倒れ込み、動けなくなる私を見て、子どもたちは「これはまずいんじゃないか?」と動いてくれた。 12歳になったばかりの長男には、5歳くらいから「110・119の電話のかけ方」を教えていて、何を話せばいいのか書いた紙はつねに冷蔵庫に貼ってある。 ウチはシングルマザー家庭で、家には大人が私一人しかいない。 実家も遠い。 何かあったとき

          救急車に乗った