愛とは、人を思いやるとは

愛のある関係とはなんだろうなと思っている。
夫婦は運命共同体というか、お互いの面倒も受け入れて一緒に解決する関係だろうけれど、恋人同士はそうはいかない。

彼氏と彼女の関係では、相手を大切に思うからこそ会わない・話さない・距離を置く、という状況がある。
自分の個人的な事情・感情に相手を巻き込みたくないがための行動なのだけど、それはそれで「寂しい」と思われてしまう。

そして、距離を置く方も、相手を巻き込みたくないと思いながら「私を理解してほしい。複雑な事情を汲んでほしい。支えてほしい」と願う気持ちがある。
会わない・話さないと思う側も、相手を思いやりながら寂しさを抱えている。

人間は一人では生きてはいけない。
けれど、寂しいからといって他人に依存するのは違う。
適切な距離を保って、それぞれが自立するからこそ、関係は安定して長く続いていく。

だから、恋愛がうまくいかず悩む人へのアドバイスには「自分を愛して」という話をよく聞く。

自立して感情と行動をセルフコントロールできる人は、ちゃんと自分を愛せている。自らを大切に扱えている。
だから、恋人に依存することなく、つねにご機嫌に振る舞えている。

落ち込んでいる恋人を見れば、元気づけたあげたいと思う。
それも愛。

一方で、落ち込んでいることを見せないのも、愛するがゆえ。
元気な姿を見せられないなら「距離を置きたい」と言うのも仕方ないこと。
元気になったら、また会いましょう。
1ヵ月くらい顔を合わせなくても、それでいいのだと思う。

そう思いながらも、釈然としない私がいる。
「それって、ちょっと特別な友だちと何が違うんだろう?」

人間関係なんてすべて曖昧で、夫婦や家族といってもいびつな付き合い方や不自然な距離感がごまんとあるわけで。
定義づけること自体が無意味かもしれないが、それでも気になってしまう。

特別な友だちと恋人の境界線は何なんだろうな、と。

結婚と離婚を経験しているから、そんな疑問を抱くのだろうか。



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