自分のための覚書
締切が迫っている原稿があり、noteを書いている場合じゃないけれど、覚書として書いておく。
時間が経って「ああ、そうだったのか」という納得を忘れたり、せっかく定義できたものが曖昧になったりしないように。
あなたが自分の子どものことを話すのは新しい家族の形を模索しているからだと思っていた。
自分の母親の話をするのは、自分の家族観を知ってほしいからだと思っていた。
でも、そういうスタンスで接すると話がズレてしまい、私だけが空回りしているように感じた。
え? あなたが言ったから、その期待に応えようとしただんだけど?
という困惑がつねにあった。
目の前に差し出された(と思っていた)手を握り返そうとして、スッと引き戻されたような、そんな感覚。
握手することが叶わず気まずく空をつかむ私の手は、いつも虚しい空気をまとっていた。
馬鹿にされているのかな。と憤ったことさえある。
でも、気づいた。
あなたが子どもや母親の話をするのは、一人親である私に対抗しているのだと。
対等に向き合おうとか、あるいは私よりも優位に立ちたいという意識があったんだろう。
僕だってこんなに頑張っているんだよ。
僕にも子どもがいるんだよ、家族がいるんだよ。
僕は独りじゃないんだよ。
知ってる。
それは、あなたが自分で自分に言い聞かせるべきことで。
私も巻き込む必要があった?
私が知る必要があった?
私は一人親で、実家も遠く、自営業者で。
すべての責任は私にあり、これまで全部一人でやってきた。
そういう自負はあるけれど、それを自慢してあなたの優位に立とうとしたことはない。
私は「そういう人間」というだけで。
離婚もフリーになったのも、自分から望んだわけじゃない。
そうしなくちゃ生きていけなかったから、なっただけ。
なぜ、あなたは私と張り合おうとしたんだろう。
いや、張り合うつもりはなかったかもしれないけれど。
結果的にそうなっているから、何となくしらけてしまう。
ただ仲良くするだけなら、そんなもの要らないんだよ。
そして、張り合ってしまったから、私はいま「そうなんだね。じゃああなたは独りで頑張って。これまでと同じように」と思っている。
いや、そう思うしかないでしょ。
そんなんじゃ足並みが揃うことはないけれど、お互いに大人だし、狡い感覚も持っているから、当たり障りなく寂しさだけ共有してごまかしてしまうのかもしれない。
どこにどう進むかなんて、わからないよね。
だって、私が何も望んでいないから。
漠として現状を受け止めているから、それでいい。
今はそんな感じ。
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