マークの大冒険 常闇の冥界編 | 遅すぎた真実
赤煉瓦のキャンパス、旧校舎の教室にて_____。
教室の窓は、小さく開けられていた。その隙間から入るそよ風がカーテンを静かに揺らしている。この時間帯の陽光はカーテンを黄金色に輝かせ、教室の中を優しく包み込む。宙に舞う埃さえ、宝石のように煌めき、全てが愛おしく見えた。そんな日の放課後、俺たちは先ほどまで考古学の授業が行われていた教室で、互いの夢を語り合っていたんだ。
「これ、読み終わったから貸すよ」
マークは、鞄から分厚い洋書を取り出した。
「A Dictionary of Late Egyptian?」
「世界で唯一の新エジプト語を取り扱った辞書なんだ。上下巻でワンセット。ファーストより、こちらのセカンド・エディションの方が入手が難しくてね。もともと部数が少ない上、ほとんどが海外の大学図書館に入るか、欧米の研究者に渡ってしまって国内での入手は難しいのだけれど、作者夫妻の手持ち在庫から分けてもらったんだ。作者が一度は手に取っていたことを考えると、ボクのような古書マニアはそっちにもワクワクするね」
「凄く高価なんじゃないか?」
「高価だが、それを上回る価値が十分ある。それで、新エジプト語はグループ・ライティングと呼ばれる綴りと発音が一致しない厄介な局面が訪れるからね。そうした時に役立ってもくれるから、読んで損はないよ。いつでも好きな時に返してくれれば良いさ」
「本当に良いのか?」
「もちろん。天才マーク様は、頭の中に既にインプット済みだからね。それと、これも。バッジのエジプト・ヒエログリフ辞書は安定性に賛否両論あるが、結局は使い手の力量だと思う。使える部分も多くある。知識ある人が、それを理解した上で扱えば有用ってわけさ。これも上下巻でワンセットだけど、家にもうワンセット持ってるから、キミにあげるよ。父さんがボクがまだ持ってないと思って、間違って買ってしまったんだ」
「さすがに悪いよ」
「良いんだ。ボクがダブって持っているより、キミが持っていた方が本のためにもなる。それに、キミならきっと使いこなせると思う」
「本当に助かるよ。持つべき者はやっぱ友人だな」
「ああ、間違いない。ボクの夢は、自分に関わった人全てを幸せにすることだ。だからボクに関わったキミは、ラッキーだな」
「最後の一言がなければ、完璧なのにな」
「ミロのヴィーナスのように不完全だからこそ美しい!」
🦋🦋🦋
「ハデスとケルベロスを倒す必要はない。ボクらは地上に繋がる扉を開けて脱出さえすればいい。ボクが時間を稼ぐから、キミが扉を開けるんだ。文献によれば、扉は巨大で重く、開くのは困難かもしれない。だが、かつて一人だけ脱出に成功したオルフェウスという人物がいる。望みは決してゼロじゃない。可能性はある」
「でも、それじゃお前が危険すぎる。俺が囮になった方が」
「橘......。やっぱりハデスと戦う前に話しておかないといけないことがある。ここで言わなければ、何だか後悔する気がする」
「タチバナ?」
「それがキミの名だ。ボクも気づかぬうちに記憶を失っていたみたいだ。途中までキミの顔を忘れていたよ」
「は?」
「ボクとキミは友人だった。エジプトの発掘調査に一緒に行ったじゃないか?サッカラ未盗掘の墓の発見前夜、ボクらは夜空の下で共に研究者の道に進むことを誓ったんだ。キミは優秀だった。なぜだ、橘。なのにどうして自らここに赴くようなことを」
「......!!」
「......思い出したみたいだね」
「マーク、俺はお前が羨ましかった。裕福で才能もあって、何でも持ち合わせていた。お前がいつも高価で稀少な研究書を読み終わったら貸してくれるのが嬉しかった。だけど、同時に凄く虚しくもなった。俺は何も返せなかったし、心底自分の立場にウンザリした」
「ボクはキミの感想が聞けるだけで良かったんだ。見返りも何も求めてはいなかった」
「マーク、持たざる者は何も望んではいけないんだ。どうせ叶わないのだから、望めば望むほど虚しくなる。
「そんなことはない。情熱さえあれば、遠回りしても夢はきっと叶う!」
「ドラマみたいに人生はそう上手くいかないよ。何とか卒業はできたけど、資金面で俺は完全にショートしていた。卒業した瞬間に奨学金の返済で借金まみれ。研究者志望で就活は出遅れていたし、母さんが倒れてからは介護で全ての時間が溶けていった。最初は何とかバイトで食い繋いで、研究者の道を目指したさ。煮えたぎるような情熱があった。でも、ある日もう無理だと思った。心が突然ポッキリと折れたんだ。心が軋んで砕ける音が聞こえるようだった。それから身体に力が入らなくなった。力の入れ方が急に分からなくなって、しばらく白い天井だけを見ていたよ。起き方も、歩き方も、何もかも忘れてしまった。呼吸するだけでも精一杯だった。このまま一生この生活から抜けられないなら、もういっそ消えたいと思った」
「どうしてボクに話してくれなかったんだ。卒業してから連絡しても全く連絡がつかなかった。何度もキミに会おうとした」
「ライバルだと思ってたから。お前に頼るのが辛かった。自分が惨めに思えて」
「友達が頼り合うのは、いけないのか?」
「何でも持ってるお前は、いつも無邪気で、嫉妬心のかけらさえなかった。でも俺は、毎日妬みと嫉みしかなかったよ。お前と接する度に自分の醜さに胸がはち切れそうだった。だから、もう会わない方が良いと思った。お前ほど良い奴はいない。それは断言できる。でも、俺のような濁った心の人間には、それが綺麗すぎて辛かったんだ」
「橘......。いろいろと気づけなくて申し訳なかった。ボクはただ、共感する相手が欲しかっただけなんだ。それが知らぬうちにキミを傷つけているとは思いもしなかった_____」
Shelk 🦋
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