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古代エジプト語の"初期研究者"たちと"彼らの研究書籍"の歴史


現在、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにおいて、「古代エジプト展 〜美しき棺のメッセージ〜」が公開・展示されており、古代エジプトへの注目が再熱している。人々を魅了し続ける古代エジプト文明だが、私たちが今日のように彼らの多くのことが分かるようになったのは、千年以上忘れられていた文字が解明され、その内容を自由に読むことができるようになったからである。今回は、そんな古代エジプト文明の解明における最も強力な鍵となった"古代エジプト文字の解読"に貢献した人物とその書籍の一部を紹介していく。

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書籍名:Essay on the Hieroglyphic System of M. Champolion, Jun. and on the Advantages with it Offers to Sacred Criticism.
著者:Champollion. Greppo (J.G.H.)
出版社:Perkins & Marvin
刊行年:1830年
備考:グレッポ編纂。背革装。
Translated from the French by Isaac Stuart. Small 8vo. xii, 276pp. 2 plates. Half calf, marbled boards, rubbed, internally spotted. Y15010997

古代エジプト文字の解読者フランソワ・シャンポリオンの研究論文『ヒエログリフ体系概説』(英題:Essay on the Hieroglyphic Systems)。本書は1824年に仏語で発表された論文を英訳したもので、1830年に米国ボストンのパーキンズ・マーヴィン社から出版された。この英訳によってエジプト・ヒエログリフの知見が世界中に拡がることとなった。装丁は革張りによるオリジナル・カスタムとなっている。英国を中心とした欧米圏では本の表紙と背を一旦ばらし、豪勢な装丁に差し替える文化が存在した。本書もその例のひとつで、オリジナルは簡素なペーパーカバーだったが、革張りによる装飾が施されている。おそらく、19世紀に前の持ち主がカスタムオーダーし、現在の装丁を施したと思われる。

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シャンポリオンによって書かれた論文は、グレッポによって編纂された。また、仏語はアイザック・スチュアートによって英訳された。欧米圏の人間でもシャンポリオンの論文が読めるようになった画期的な翻訳プロジェクトだった。

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巻末には、古代エジプト文字を示したプリントが見開きで挿入されている。左側のページには、カルトゥーシュ内に記されたエジプト・ヒエログリフが記されている。上段が「プトレマイオス(1世ソテル)」、下段が「クレオパトラ(7世フィロパトル)」の名を示している。シャンポリオンは両者の名をヒントに古代エジプト語の音価を再建し、解読の道を切り拓いた。ナポレオン・ボナパルトの調査隊によって発見された「ロゼッタ・スターン」は、古代エジプト語と古代ギリシア語の両言語で併記されていたため、シャンポリオンはこれを基に音価の解明に至った。既に古代ギリシア語は解読されていたため、このバイリンガル文献が見つかったことで、古代エジプト語を解明することができたわけである。右側のページでは、シャンポリオンが推測する古代エジプト文字の音価を示している。エジプト・ヒエログリフ、ヒエラティック、デモティックにおける三つの書体を併記し、自説の音価を説明している。後に独国のリヒャルト・レプシウスがシャンポリオンの研究を引き継いで音価の訂正点を見つけるものの、おおよその推測は的中していた。

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本書が出版された1830年にシャンポリオンは念願のエジプト現地調査旅行を果たした。それ以前の彼は、博物館からの提供品を基に研究活動を行っていた。翌年にはフランスにおける学問教育機関の頂点「コレージュ・ド・フランス」の古代エジプト学教授に任命される。だが、1832年にコレラにを患い、若くして他界した。シャンポリオンの死後、その研究の功績は彼の兄の手によってまとめ上げられた。シャンポリオンはもともとエジプトマニアだった兄が最大のパトロンであり、善き理解者だった。エジプトに強い憧れを持っていた兄は結局、一度もエジプトに赴けずに他界したが、弟を経済的に支援し、多言語の学習を勧めた。若くして亡くなった弟の業績をまとめ、世に発信する役割を担った彼の功績も大きい。


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19世紀の英国の研究者アラン・ガーディナーが1927年に出版した『エジプト語文法』(英題:Egyptian Grammer : Being an Introduction to the Study of Hieroglyphs)。本書は、そのサードエディションにあたる。2020年にピーターズ社から発行されたもので、従来のハードカバー製ものより軽量化され、扱いやすくなっている。古代エジプト語を学ぶ上での最初の入門書として、特に日本では推薦・紹介されることが多い。実際に本書が最初に勧めるべき入門書として適切であるかは別として、一度はページを開くべきバイブルであることは確かである。

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本書は幾度も改訂はされているものの、出版から1世紀近く経過した書籍で、情報としてはかなり古く、一部の文法解釈において欠陥が見られる。日本における古代エジプトの研究が欧州に比べて半世紀近く遅れていることが、この書籍が初心者への入門書としていまだ推薦されている原因なのだろう。だが、現在はガーディナー学派からポロツキー学派の文法フレーム解釈に移行されており、加えて、初心者・玄人に限らず、最先端の研究内容を身に付ける必要性がある点において、本書は古代エジプト語における文法学習の最初の一冊としては本来勧められるべきではない。だが、古代エジプト学における研究の歴史を理解する上では重要な一冊であり、いずれにせよ必読であることに変わりない。また、ガーディナーはエジプト・ヒエログリフにおけるサインリストを創り上げた人物であり、このリストは現在の研究においてもベースとなる偉大な功績となっている。

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ガーディナーは富豪の家に生まれたため、潤沢な資金を基に研究活動に没頭することができた類稀な人物だった。また、自身で古代エジプトの考古遺物をマーケット及び美術商から購入し、コレクションもしていた。手元に原資料を置いておくことは、彼の独創的な閃きを大いに手助けしたことだろう。富豪にして天賦の才を持った英国が誇る古代エジプト学のスーパーレジェンドである。


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19世紀英国の研究者ウォーリス・バッジの『エジプト・ヒエログリフ辞典』(英題:An Egyptian Hieroglyphic Dictionary)。研究者から問題も多く指摘されているが、「死者の書」を研究していた彼の業績もあって、その引用が多い点で有用である。また、コプト・エジプト語の掲載も兼ねた充実した内容となっており、従来の研究者らに強く批判されるほど実際は酷い内容でもない。精査する能力を身に付けた上で向き合えば、有効的な使い方ができるだろう。

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本書のペーパーカバーの表紙にはセンネジェムの墓の壁画が採用されている。センネジェムは古代エジプトの貴族階級に属した人物で、彼のために造営された墳墓はほとんど欠損のない良好な状態で発見された。

富豪の家に生まれ潤沢な研究資金に恵まれたガーディナーと異なり、バッジは貧しい家庭に生まれた苦労人だった。だが、彼の才能に気付いた者たちが協力してパトロンとなり、バッジは名門ケンブリッジ大学への入学を果たした。卒業後は大英博物館に就職し、研究の資料となる考古遺物の獲得に尽力した。また、レプシウスによって命名された「死者の書」を追求し、190章に分類した。バッジによる分類は、ガーディナーのサインリストと同様、現在でも研究おけるベースとされている。バッジが出版した『エジプト・ヒエログリフ辞典』に学説上の問題があるにせよ、彼が古代エジプト学におけるレジェンドであることには変わりない。


今回は、三人の言語学者と彼らが出版した書籍を紹介した。今となっては彼らの学説は古く、時には後代の研究者らに批判されることもある。だが、彼らの功績なくして現在の研究発展はない。日本では特に古代エジプトにおける研究史が手薄く、軽視されている印象にある。だが、先人が歩んだ軌跡を辿ることで見えてくるものもある。それゆえ、今回は至極簡単ではあるが、古代エジプト語の解明にあたって尽力・貢献した初期の研究者たち及び彼らの書籍を紹介した。古代エジプト語はひどく難解のように思えるかもしれない。実際、決して簡単な道ではないが、少しでも興味・関心を寄せる人々が現れ、この分野の研究が盛り上がることを切に願っている。


Shelk 詩瑠久 🦋

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