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本の紹介:『空気の教育』外山滋比古

本屋にはいつも吸い込まれる。

その日もふらっと車で大きな書店に行き、通い慣れた文具コーナーを抜けておなじみの棚に向かった。いつも眺める岩波書店コーナーの隣にはちくま書店コーナーがあって、ついでにのぞいてみたのである。

有名な本が置いてあった。

書店員さんが書いたポップにもデカデカと「東大と京大で一番読まれています!」ということが書いてあって、ひねくれ者の私にはその本を手に取ろうという気が起きなかった。だが、その作者はきっと良い本を他にも書いているだろうと安易に考えて、「外山滋比古とやましげひこ」の文字を探した。

その本を手にするまでは、そう時間はかからなかったと記憶する。

***

『空気の教育』(著:外山滋比古)

今回紹介する本は『空気の教育』。エッセイ本だが、学ぶべきところが多い良著である。

著者の外山滋比古さんは英文学者。東京文理理科大学英文学科を卒業後、月刊誌『英語青年』の編集長を経て、その後東京教育大学やお茶の水大学で教鞭を取られた。現役時代から前述の『思考の整理学』をはじめとする数々の名著を残され、引退後も『アイディアのレッスン』や『空気の教育』を著すなど、精力的に活動された。(参考:Wikipedia / 外山滋比古

「教育のことを薫陶くんとうという。これはまさに空気による育成を意味する」、家庭には家風、学校には校風があることを考えてみよう。人間が生活しているところにはやがて、一定の空気、雰囲気が生じる。本当の教育は押し付けや口先だけの注意ではない、子どもを包む家庭や学校の空気こそ、最も深いところに作用する。お茶の水女子大学附属幼稚園の園長でもあった著者独自の教育論は目からウロコである。

『空気の教育』(著:外山滋比古)あらすじより

この一冊には表題の『空気の教育』をはじめとする、さまざまな教育や子どもにまつわる著者の思考が載せられている。著者の経験と知識からくる洞察にとんだ語りには惹きつけられるものがあり、家庭ないし学校における教育について考えさせられる。あらすじにもある通り「目からウロコ」な一冊だ。

①教育=「薫陶くんとう」という視点

あらすじにも書いておる通り、外山滋比古さんは「教育」という言葉を作中で「薫陶くんとう」と表現している。

薫陶とは何か。

ネット辞書によると以下の意味なようである。

くん‐とう〔‐タウ〕【薫陶】
[名](スル)《香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる意から》徳の力で人を感化し、教育すること。

デジタル大辞泉/「薫陶」

「人を感化」とあるように、人格を形成しようとする行為が「薫陶」であるらしい。ひとえに「教育」といっても意味は様々で曖昧な言葉ではあるが、薫陶という表現はより具体性があって目的がはっきりしている表現だ。土をこねて形を整えながら丁寧に陶器を作るように人間を育てるのが、学校と家庭の責任である。

教育基本法の第一条にも「人格の完成をめざし」とあるように、本来の教育は知識の詰め込み以前に、子どもたちをちゃんとした人間を育てようという目的がある。

外山氏は教育の大前提として、教育は品位を持って、子どもたちを立派な人間に育て上げることを考えている。だから著書では「薫陶」という表現を多用しており、内容もいかに学力を上げるかというような知育偏重的な教育とはまた別の「人間を育む教育」について語っている。

そのため、この本では子どもの目の前における教師や親の振る舞いや、学校・家庭における雰囲気について大変多く触れられている。つまり、いかに学校や家庭における空気(すなわち「文化」)を作るかが、薫陶(=すなわち人格の形成)を施す上での鍵となると、外山氏は繰り返し述べる。

②中高生こそ読むべき一冊 〜頼るべき先生はどのような人物か〜

この本のあとがきにおいて、外山氏は「人を育てる方々の参考になれば幸いである」と言っているが、私は中高生こそこの本を読むべきだと感じた。
なぜなら、学生がこの本を読めば、自分がどんな先生に従事すべきかを考えるときに大変参考になるからだ。

先にも述べた通り、外山氏は教育を「薫陶」と表現しており、品位または文化をもって子どもたちの人間性を育む重要性を語っている。その語りの中では現代の学校や家庭(比率的には2:8)の雰囲気の俗化(=品が劣ること)を批判しており、私たちが想像するに難しくないような教師や親がたくさん登場する。

一番わかりやすい例が「サクラ切るバカ」という章。
外山氏は「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」ということわざから、現代にありがちな教師について語る。子どもの特性を考慮せず、一辺倒な対応をしてしまうことで潰れてしまう子がいる。もちろん外山氏は、全ての子に合わせた指導をすることは神業で大変難しいことであると語っており、「そこに学校の難しさがある」と述べているのだが、この子どもたちの個性を尊重しようという外山氏の視点は、学生たちを救うのではないかと思う。

学生なら誰しも、自分がどんなタイプの学生なのかが(なんとなくでも)わかるはずである。

叱られて伸びるタイプ
褒められて喜ぶタイプ
比べられたくないタイプ
個人内評価を好むタイプ

この本を読むと、人それぞれに特性があっていいのだと、外山氏から語りかけられているように感じる。学生のタイプを見極めて寄り添ってくれようとする先生こそ、頼るべき先生なのだ。

また、家庭についても同じようなことが言えると感じた。この世の中には色々なタイプの家庭があり、親がいる。学生の皆さんには、外山氏の視点から改めていい親とは何かを考えてほしいと思う。自分の家庭に流れる空気感というものが、はたして品があるのかどうか。その家庭で育って、恥ずかしくない大人になれるのか。自分の家庭や親を省みるきっかけを、この本は与えてくれると思う。

そんな外山氏の思考から、親を含めた頼るべき大人を見極める技術をぜひ学んでほしい。

③自分は誰の文化で育った?

子どもは学校や家庭の文化の影響を受けて育つという外山氏の指摘だが、これを自分ごとに捉えてみると思い当たる節が多くある。

私の場合であれば、早起きの習慣。
私の両親はとにかく朝が早かった。母親は5時に起きては自分の時間を過ごして、朝食と昼食を作っていた。父親も同じくらいの時間に起きて、本を読んだり、ちょっと仕事をしたり、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。

私もそんな両親の元で育てば、早起きが当たり前になった。朝は早く起きるものなのだという固定概念が身についたというわけだ。だから母親と同じように早起きしては、当時通っていた「くもん」の宿題をしていた。プリントを終わらせたら読書をして、布団の上でゴロゴロしたりして、自由気ままに朝の時間を過ごしていた。この両親から受け継いだ早起きの文化は今も健在で、最近では毎日4時起きでいろいろと作業をしている。

早起き以外にも色々あって、例えば読書の習慣は通っていた学校や父親の影響が強いし、外食をあまりしないのも家庭の影響を受けている。独立して自ら生活してみるとそんな学校や家庭の文化の影響がはっきり見えてきておもしろい。

ちなみに、誰かと共同生活をすると、自分の家庭と相手の家庭の違いがよりはっきりと見えてくるので、ぜひ会話のネタにしてみて欲しい。

まとめ

外山滋比古さんの『空気の教育』は、学校や家庭の在りかたについて新しい視点をもたらしてくれた。読みながら自分の学校や家庭の文化はどうだったのか、その文化にどう影響されて育ってきたのか。その上で改めて、受け継いで行くべき文化とそうでない文化は何か。そんなことを考えるきっかけにもなり、自分の子どもを持つ前に出会えてよかった本だと感じた。読んでいて自分の背筋が伸びる本は、バイブル的存在である。

そして改めて学校教育の大切さも実感した。
今の自分が学校生活やそこで出会った先生・友人に影響されていることを振り返って認識できたからこその感想だと思う。子ども時代が人格形成に大きな影響を与えるとはわかりながらも、どこか完全に理解したわけではないと感じていた。そんなところに外山氏の教育に関する考察が加わり、府に落ちた。これから子どもたちと対峙していく場所を作り、彼らの目の前に立つものとして、やはり自己研鑽というのは欠かせない。

それも、色々な側面における自己研鑽である。

それは知識であり、人間性であり、優しさであり、厳しさであり、人としてのおもしろみでもあり、もう様々である。


人の目の前に立つということは、それだけ責任が伴うことなのだ。


相手が子どもであれば、なおのこと。

***

ぜひ手に取って読んでいただきたい。

特に子どもを持ちたいと考えている若い世代や教員を目指している学生の方々。外山滋比古さんの洞察には、これからの時代を担う私たちに対する何かヒントのようなものが隠されているように感じる。

教育で地方を盛り上げたいと考える私も、読みながらそっと背中を押された気がした、そんな一冊であった。

2023.01.22
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