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アジカン精神分析的レビュー①『崩壊アンプリファー』/初期衝動とアイデンティティ

今年メジャーデビュー20周年を迎えるASIAN KUNG-FU GENERATION。その作品史を精神分析的視点から紐解いていく、勝手なアニバーサリー記事シリーズです。


1stミニアルバム『崩壊アンプリファー』(2003.4.23)


2002年11月にインディーズでリリースされた初の流通盤を再録などもせず翌年にキューンレコードから再発売し、メジャーデビュー作となった1枚。再販に際してテレビアニメ『NARUTO』のオープニングテーマとして収録曲「遥か彼方」が起用され、アジカンの名は広く知れ渡るようになった。

アジカンの結成は1996年の4月。2000年代に入り大学を卒業してからもそれぞれが会社員生活を続けながら活動してきたバンドだ。2001年頃から徐々に軌道に乗り、結成から5年以上の歳月を掛けて辿り着いた『崩壊アンプリファー』には、20代中盤までの彼らの精神状態がありありと刻まれている。


その"荒々しさ"の正体

本作はアジカン作品の中でも屈指の荒々しさを誇る。eastern youthやNUMBER GIRLを影響源とする和的メロディとWeezerやoasisをルーツとする太いギターサウンドを衝動のままに焼き付けたようなヒリヒリとした聴き心地を持つ1枚だ。6曲22分というランタイムも吹き荒れる突風のようである。

歌われている事象もこの時期のアジカンならではだ。1曲目の「遥か彼方」から全能感そのもののような言葉が並べられ、その猛々しいテンションは《届くよきっと伝うよもっと》という想いを滾らせていく。自分たちの音楽を世の中に刻み付けようとアクセルを踏み込み、日々を削る意思の表出だ。

偽る事に慣れた君の世界を
塗り潰すのさ、白く…

ASIAN KUNG-FU GENERATION「遥か彼方」より

この曲で歌われる"君”とは、聴き手のことでもあり、そしてアジカン、特にソングライター後藤正文自らのようにも聴こえる。《君じゃないなら意味はないのさ》というサビ後半のリリックも自らを鼓舞しているように響くし、上記の歌詞は何ものにも染まらない”純粋性“を求めているように聴こえる。

当時の彼らは会社員という堅実な人生とバンドマンとして進む人生という可能性に挟まれていた。そんな状況下でリリースのチャンスを掴んだ『崩壊アンプリファー』の1曲目は純粋な今への欲動に溢れた「遥か彼方」でなければなかった。表現の道を何としても掴み取ろうとする、この曲でなければ。


自信/不安の狭間で

発達心理学者/精神分析家・エリクソンは人間には8つの発達段階があると定義した。その中では13~20歳を青年期、20歳~40歳を成人期と分類する。アジカンの活動初期は青年期から成人期の狭間にある。この時期、人はアイデンティティの確立を経験する。自分とは何者か、と自分に問う期間である。

だからこそ、『崩壊アンプリファー』では自信不安が引き裂かれそうになりながら同居する。「遥か彼方」に続く「羅針盤」もまた、欲をも原動力に未来へ突き進むハイエナジーな曲であるし、「青の歌」は爽やかさとともに、絶対的な"君"への想いが瑞々しく零れる。気恥ずかしい程の青さだ。

一方で「粉雪」では諸行無常なる僕と君との関係性を嘆き、「サンデイ」では雄々しく激しいサウンドで“傷つく”ことと無情について書き殴る。クロージングナンバーの「12」では悲恋に泣き腫らし、絶対的な“僕と君”の関係性など存在しないことを悟ってこのアルバムは幕を閉じていく。この寂寥感もまた、この時期の青年の心象を鮮やかに映し出しているように聴こえる。

モラトリアムの境界線上で揺れる時期だからこそ、可能性は拡張し気分は上がり、同時に世界の大きさに恐れ慄きもする。その両極端さがこのアルバムの焦燥感を生んでいるのだろう。音楽という増幅器により、未来は爆散することも、最大限に輝くこともあり得たこの時代のアジカン。『崩壊アンプリファー』という題はそのギリギリの心象を言い当てているように思うのだ。


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