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クオリティという言葉を考える

クオリティ。よく使う言葉です。

でもよく使う言葉だからこそ、
少しずつ曖昧になっているような気がします。

曖昧というか、
たくさんの顔色を持ち始めたことによって、
いろんな意味になってきていると。

いろんな意味があるにもかかわらず、
ひとつの「クオリティ」という言葉でコミュニケーションをしていないか?

そんな気分になることが最近多いのです。

そこで今回は「クオリティという言葉」に関する話です。
※クオリティに関する話ではなく、クオリティという言葉についてです。

クリエイターやアーティストといった
作品を作る人たちが使う「クオリティ」には
多くの人がイメージできることが多いと思います。

✅色彩だったり、✅描写だったり、✅表現だったり

まさに作品そのものに向けられたクオリティです。

しかし、世の中そこだけで回っているわけではありません。

例えばビジネスマンが暮らしてる中で、
自分を高めていく中で意識をする「クオリティ」は

色彩ではないですし、描写ではないですし、
表現ではありません。

ビジネスマンにアプローチできるクオリティは、

✅サービスの内容だったり、✅プレゼンテーションの振る舞いだったり
✅ノミニケーションでの接待の方法だったり

かもしれません。

そんな感じで一言で「クオリティ」と言っても
様々な立場やコンテキストによってそれが指し示すものが
異なるのです。

この違いを把握した上で、世の中にある情報を
自分にむけてアプローチしないといけません。

今、世の中にはいろんな情報が発信されていますが、
まだ発信している人の割合としては
なにかしらの「表現者」が多いと思います。
続いて、表現者に憧れている人、影響を受けている人です。

受信者は様々な人がいることでしょうから、
「クオリティ」という言葉での語り方が
本来だいぶ異なってくるんですね。


「圧倒的なクオリティを見せつけてやる!」


この考え方は素晴らしいし、刺激的だし、
僕自身も感化されるワードです。今でもワクワクします。

しかし、この「圧倒的なクオリティ」を
アーティストと同じそれとして受け取ってしまうと
自分とのギャップに動きが取れなくなります。

一番よくないのは、動きがとれないことです。
せっかく感化されたり感動したら動きがとれないともったいない

違うジャンルであればなおのことですが、
これは同じジャンルでも言えることなので
実は注意が必要です。

例えば、
三つ星レストランがいう「クオリティ」と
チェーン店がいう「クオリティ」は違いますが、
それぞれ「高い」ということが言えます。

もっと言えば、
家族が作ってくれる料理や、もてなしてくれた料理は
三つ星レストランとも外食チェーンとも違いますが、
「クオリティの高さ」はあるわけです。



まとめます。

クオリティという言葉そのものは
それぞれの立場や状況によって指し示すものが異なるのだから
使う時、意識する時にはその前提をきちんと把握すべきです。

そして、クオリティという言葉を
表現者から受けとる時には、表面上の言葉ではなく、
その軸にあるものを感じることが必要だと思います。



今日、圧倒的なクオリティを目の当たりにしました。
僕はクリエイターの端くれではあります。
しかし、僕はミュージカルを作るわけではないので、
見たままのクオリティには素直にすげーとワクワクした上で
この裏にある、この奥にある「軸」みたいなものに
感動し、感化されていく・・・という気持ちで
いたいと思うわけです。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!