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noteに感じる可能性

一応・・にはなりますが、
noteで記事を書きづつけて2年と7ヶ月が経過をしました。
毎日何かしらの書き続けているのですが、
やればやるほど、note特有の可能性を感じています。

まずはアウトプットの必要性です。
アウトプットは今や誰でもやりやすい環境になってきました。
それはnoteももちろんですがツイッターやインスタ、Youtubeも。。

アウトプットがやりやすい環境において
アウトプットをしないという選択肢は
僕の中ではないのです。やらない理由がない。

やる、やらないの話の次にあるものは
やり続けるか、止まってしまうか。。です。

アウトプットはやり続けてなんぼだと思うのです。

このやり続ける際には、モチベーションももちろん重要ですが、
なにより簡単であることが大切だと思うんです。

簡単の最たるものはツイッターでしょう。
ただ、ツイッターは生活に入り込んでしまったこともあり
冒頭でアウトプットのひとつだとは言いましたが、
アウトプットをしてる感はありませんね。

・・でnoteなんですよね。
ある程度の文字数を書く必要がありながらも
このアウトプットの仕方というのが非常にカジュアル。

確かに、有料で稼ぐとかを意識すると
文体や画像やいろいろとマーケティング的な要素を設ける必要があり
それはそれで骨の折れる作業や思考であることは間違いありません。

そこに手を出すと、ハードルが上がっていくのでしょう。

しかし、そこを目指さなければ
どんどんアウトプットをすることはできます。


このカジュアルさは、過去なかったようにも思います。
ブログサービスとも少し違う、この感覚に可能性を感じます。

このカジュアルさを肌で感じるためには、
やはり続けないとわかりません。

そういう意味では、この2年7ヶ月続けてきたというのは
体験談、経験談を自分の言葉で
伝えることができるすごい財産だと改めて思う今日この頃です。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!