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オヤジの拳は、うじゃけている

いくつになっても青春、なんて恥ずかして言えない。もう21歳だから。

就職活動を始めた今だからこそ、青春なんてぬるいモノに浸かりたくない精神状態にある。大人からしたらそれさえも青春なのだろうか。そんなこと、知らない。アタシはアタシだし、今は今だ。

父親とまともに話さなくなって2年。
課長に昇進した父親がボクシングを始めたと聞いた。今どき珍しくカツアゲにあってボコボコにされたのが悔しかったらしい。
朝、鏡の前でシャドーをしているのがむかつく。まぁ何をしていてもむかつくのだが……。

プロ・アマ問わず30歳以上の健康な男性でボクシング経験者またジム練習生であれば、誰もが参加できるボクシング・スパーリング大会がある。「OFG」、またの名を『ザ・おやじファイト』と言う。

要はボクシングジムに通っていれば、どんなオヤジでも出場できる大会で、元プロで筋肉隆々のイケメンマッチョとやせこけたフリーターおっさんが戦うというなかなか見ごたえのある試合が繰り広げられているらしい。
それに、運動神経皆無(アタシが遺伝した!)の父親が参戦するというのだ。バカなの? 死ぬよ? 飛ぶよ?

「決めたんだ。いくつになっても青春って言うだろ」
「……パパ。死なないでね」
「心配すんな。――勝つから」
「あぁ。なんでそんなことするのかね」
「貴美子は分かってないねぇ」

そんな夫婦の会話を横耳で聞きながら夕食を食べ終えて、明日の二次面接に備えて企業のサイトを何度も見返す。
「青春ねぇ……」

迎えた面接当日。
叩きこんだ知識、いくばくかの矜持、大いなる不安を持って面接に向かった。勝機は5割。伝えたいことは話せたし、面接官と会話もできた。面接は対、他人との勝負だ。相手を一方的に攻めるのは得策じゃない。
土曜日。平日に面接しない会社はブラック。平日、余裕ないってことじゃん。ゼミの友達はそう言っていたが、もうアタシに駒はない。

ダメかも。やっぱりダメかも。時間が経つほど後悔が疼いてくる。
ランドマークタワー近くのオフィスを出て関内駅に向かっていた。

そういえば、父親のボクサーデビューは野毛のホールらしい。
父親の死にざまを覗いてみるか、と興味に駆られる。
こういう曲がった性格がお祈りメール量産の理由なのだろう。


ホールには家族連れが集まっていた。
「パパ、頑張れ!」
「動け! 足使え!」
不格好なサマで拳をぶつけるというより、手を前に放り出しているだけのおじさん、軽快なステップでボディにパンチを決めるおじさん。
おじさんでも、こうも違うのだ。人生って無情だ。

アリスの「チャンピオン」が流れるとともに、中肉中背の中年男が叫びながらリングに上がってきた。
父親だ。
相手は……絶対経験者だ。体つきが違う。

ゴングの音とともにアタシはリングに背中を向けた。
好きでもない、どうでもいい人でも、血の繋がった身内がボコボコにされる姿なんて見たくない。
「はぁ! はぁ!」
ジタバタとする足音とキュキュッという足音。
パンチンググローブが何かに当たる鈍い音。
アタシはゆっくりと振り返ってみた。
ただよう熱気と汗で曇る眼前。

父親がロープに立って、勝者のポーズを決めていた。

翌日、アタシは面接に落ちたことを知る。
そして洗面所で父親とすれ違った。
なぜか父親は母親にもアタシにも勝ったことを言っていなかった。
「渚。――足を出せ。一歩を足を出すことが人生で一番大事なんだ」
「は?」
受け売りの言葉なんて響かない。
だけど、アタシはちょっとトイレで泣いた。

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