坂口修一郎(BAGN Inc.代表 / リバーバンク代表理事) - 価値観で共鳴したコミュニティが熱量を高めていく
価値観での「編集」
僕は現在、東京と鹿児島の二拠点で活動していますが、どちらの価値観も違っていてどちらもよいと思っています。残したほうがいいものもあるけど、古いものをなにもかも残せばいいわけではないし、変わっていったほうがいいものもある。都市も地方もどちらがいい悪いではなく、両方の価値の選択肢があることが大事だと考えています。僕が二拠点に心地よさを感じるのはその選択肢のどちらの良さも理解できるからです。どちらのライフスタイルも楽しいと思っていて、両方の選択肢をもっていることはとても豊かなことだと思います。
最新のものから、ものすごい古いものまで、とにかくなんでもある。ただなんでもあることがすべていいかというと、そうともいえません。東京には編集という作業がないと、どこにも入っていけないぐらい多くのコンテンツがある。そして編集するということはなにかを選ぶということであり、同時になにかを選ばないことでもありますよね。今は選ぶことよりも選ばないことのほうが難しいですから。
価値観で編集するという感覚です。同じエリアでも編集の仕方をもつことで、レイヤーがぜんぜん変わって見えてくるんです。地域もやはり一定の切り口から中に入っていけるかたちがあって、そこからその地域の情報を聴けるという出会い方があるといいですね。誰も聴かないようなレコードをあさってDJのようにつなぎを考えるみたいに。町の中を探し回って、編集して文脈をつくるという楽しみです。
中心をもたない「自立分散型」のイベント
30代半ばまではずっと東京にいて、鹿児島に帰ってきたときには完全によそもの状態でした。自分の居場所をつくるには、自分の仕事が必要だと思ったんですよね。金銭的な仕事=ビジネスだけでなく、みんなに必要とされる仕事です。それこそひとつの切り口をつくろうとして、なにかイベントを開催しようと思いました。
当時、陶芸家や革職人といった何人かの作家がちょうど独立したばかりの頃で、どうやって自分たちを知ってもらおうかと模索しながら、お互いに作家を紹介しあうような雰囲気が生まれていたんです。そのコミュニティの中から音楽、デザイン、クラフト、アート、ダンス、写真、映画、文学、食……など、ジャンルを超えたクリエイティブな活動を自然の中で楽しむクロスカルチャーイベントのGOOD NEIGHBORS JAMBOREE(※1)が始まり、またそれとは別に街なかでお店と作家を結びつける回遊型のフェアも立ち上がりました。それが“ash Design & Craft Fair”(※2)です。14回目を迎えた2021年には83のクリエイターと57のショップが参加しました。このashがずっと続いている理由でもあり、面白い理由でもあるのは、中心をもたない「自立分散型」であることだと考えています。
お店と作家は自主的に話をして、作品を売る場所を決めます。基本的に交渉は各自で行ってもらっていて、作家の選定基準も特にない。事務局はただまとめているだけです。それでもクオリティや秩序が保たれているのはお互いの合意がとれているからなんですよね。ashに集まってくる人々が築いているのは、地縁的なコミュニティではない価値観のコミュニティです。中央集権的なセンターが一手に引き受けて行うのではなく、作家にしてもお店にしても価値観でつながって、それぞれが自発的にやっています。
中心がないからおのおのが自由にしていて、権力構造がありません。価値観が一致して集まっているから合意形成もしやすいのだと思います。合意形成というか共鳴している感じかな。チューニングがなんとなくあっている感じ。それも回数を重ねるごとに自分たちの価値観が上塗り、厚塗りされていく。だから続いていくし広がっていく。僕たちはただ背中を押しているだけなんです。
価値観を伴うビジョンがあれば、場所を越えて人は集まる
作家たちをみていると、バブル世代の以前以後ではマインドが違うように感じます。僕たちはぎりぎりバブルを経験していない世代です。作ったものが右から左に売れていたような時代の人たちはトップダウン型を好むように思います。誰かに権力が集中するトップダウン型のコミュニティはその人がやめるとすべてなくなってしまいますが、ボトムアップ型だとみんな自発的にやっているから継続していきやすいです。そして価値観を伴うビジョンがあれば、そこには場所を超えて人が集ってきます。
参加してくる作家やお店が感じている価値は明確にあって、それはつながり=社会関係資本なんです。作家とお店が自分たちで話をして、こういうフェスティバルを起点としながら、それがきちんとビジネスにもなっていっています。ashに参加する人たちは、売上を第一の目的にしてはいないように思います。参加者も僕たちももうけを全然期待していないんです。なんだかんだ結構みんな売れているのですが、それは結果的に売れたというだけです。それよりもこのコミュニティでつながりができることによって、ほかの場所でお金が生まれて経済が回っていくことのほうが大きいです。作家にとってもお店にとっても僕たちにとっても、いい人とつながりあえることのほうがメリットなんです。なにも狙ってやっていることはなくて、狙っていないからこそ仕事になっていると感じます。
お客さんもクラフトやアート、カルチャーへの興味でターゲティングされた人たちが集まってきて回遊してくれます。ashはどの店に何があるか自分で調べて行く必要があるし、エリアが分散しているのであちこち回るにはそれなりにハードルがあって、意図したわけではなく自発的にコミットしなければ楽しめない構造になっていきました。だからどこか一か所に集中するオーバーツーリズムも起きづらいです。エリアの価値は上がっていると思いますが、資本がそれに気づかないのか、ここでやっても仕方ないと思うのか、あまり入ってこないです。古くて不動産価値の下がっている物件や、すこし治安が悪くなっている競争のないところに自然と入り込んでいって、ぽつぽつと明かりがともるようにお店ができていき、そこにアイデアをもった人たちが集まっていくという構図ができています。ニューヨークのSOHOみたいな感じです。盛り上がるところは盛り上がったままで、あまり浮き沈みがなく緩やかに残っていって。僕たちのコミュニティの中からそういった成功事例がどんどん積み上がっています。
文化の地産地消
ashが自立分散をしていくイベントだとしたら、GOOD NEIGHBORS JAMBOREEは自立しつつ集約していく一体感のあるイベントです。重なりあったコミュニティのなかで、これら二つのイベントを通して、拡散と収縮が並行システムみたいになりながら、10年以上継続していってます。
地域の外への見せ方ももちろん大事だけど、最初から外の人に売り込んでばかりいては響きません。頑張って外の人に積極的にPRしても来ない人は来ないですから、むしろ地域の内側への見せ方が重要です。地域の内側に対して「鹿児島にはこんなにいい人たちがいる」と知ってもらうことで、地域がどれだけ地域の文化をいい意味で消費するか、享受するかということに力を注いだほうがいいと思います。
「文化の地産地消」という言い方を僕たちはしています。たとえば鹿児島はお茶の産出額が静岡を抜いて日本一なんですが、静岡や京都の方がお茶のイメージがありますよね。京都にはお茶屋がたくさんあってよく飲まれている。地元の人がどれだけ地元のものを消費しているかは絶対外に伝わるんです。地域の文化を地域の人が本質的に良いものだと言えるようにしていくことが大事です。そしてその良いと思うものを、良いと言って発信することです。肯定するより否定するほうが楽なんです。自己肯定感を低めて、ひとまず「これはだめだ」と言っておけば、だめなときに「ほら、だめだった」と言えばいいし、うまくいったときにはただ黙っていればいいのですから。なにかを肯定することには責任が伴います。本当に素晴らしいと思ったものを、本当に発信したいという気持ちをもって、良いと言うことです。その結果として、地域の外にも伝わっていくのではないでしょうか。
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