人を褒めることで得られる心の幸せ
素敵な人を目にしたとき「素敵ですね!」と直接伝えることはあるだろうか。
友達がヘアメイクなど外観に気を配り始めどんどん美しくなっていくことを、素直に「可愛い」と言えるだろうか。
おしゃれな着こなしをしている人に「おしゃれ!」と褒めることはあるだろうか。
海外では道ですれ違った他人のファッションを褒め合うことや声をかけることはあっても、日本ではなかなかその光景は目にしない。
誰かのことを簡単に褒めないのはなぜなのだろう。
相手に対するネガティブな感情の正体
"素敵な人に素敵だと伝えること"、私はものすごく大切なことだと感じている。
心の中で思ってはいても言葉にするのは恥ずかしい、ということなら分かる。
けれど中には、人のあら探しをするような人もいる。
人の悪いところを探してそれをつつくことは、何と闇の世界なことか。
心の中では相手を見下しているのに言葉では褒めたフリ、なんてそんなのもだめで
結局それらの「誰かに対してネガティブな感情を抱くこと」は、自分を守る行為なのだと思う。
自分より素敵、自分より可愛い、自分よりおしゃれ、を受け入れられず目にしたくないのではないか、と。
でも実際は逆で、誰かを褒めることは自分も幸せになれる行為だ。
ネガティブな要素は一切ない純粋な気持ちで相手への気持ちの高まりをただ素直に表現することは、自分の心の純度を高めて幸せな空気で包み込むエネルギーがある。
自分のためにも人の良いところ探し
私は常に肯定的で前向きでハッピーな環境に身を置いていたいし
自分がネガティブに浸ることが苦手だから何事もとにかく良い面を見ていたい。
そのため日頃から人の良いところを探すようにクセ付けている。
もし誰かの嫌な面を見てしまったとしても、ずっとそれを引きずるのは疲れてしまう。だから「きっと良いところはあるはずだ」と信じて目を凝らす。
人の良いところを見つけそれを感じることは結局、自分の心の豊かさに繋がるのだ。
図書館で出会った美しい女性
以前図書館で受付をしてくれた、とある女性に出会った。
その女性は私より10歳ほどは歳上で
私とは全くタイプが異なる、ナチュラルメイクにシンプルでさっぱりとした服装。髪も特別なアレンジはなく、自然な感じだった。
そこに、手元で存在感のあるリングが目立っていた。
私のほしいカルティエのリングをつけていたのだ。
それは私がもう少し歳を重ねてから、真の似合うバランスを掴めるようになったら絶対に手に入れたいものの一つ。
目を奪われた。
そのリングがとてもよく似合っていた。
私はすぐさま「指輪!素敵ですね!!」と声をかける。
女性はとても驚いた表情と同時に、とても嬉しそうな照れ笑いを浮かべながら
「ずいぶん昔、円高のときを狙って奮発したんですっ!(にっこり)今じゃとても買えないんですけどね」
と笑顔でこっそり教えてくれた。
ただ「ありがとう」とかのたった一言で済む内容なのに、
初対面の私に教えなくてもいいことを教えてくれるところ、その女性の飾らない美しさを感じた。
メイクは濃いめで派手な着こなしが好きな私とは対照的なその女性と、同じリングがほしいこと。
きっと私にも似合う。でもその女性にもぴったりとはまっていた。
あからさまではなく、さりげない美しさが宿る人は本当に魅力的だ。
人の笑顔は自分の幸せに繋がる
とても良い時間だった。
あの日あのときにしか出会えなかったと思うと、運命の巡り合わせすら感じた。
あの女性に会えて良かったと思った。
ここは外国なのかと思うほどにすぐに知らない人に声をかけてしまう私だけれど、大抵誰しもとても嬉しそうな表情をしてくれる。(本当は嫌だったらごめんなさいしかないのだけど)
褒められて嫌な思いをする人は少ないんじゃないかな。
あの笑顔を引き出せるのならいくらでも声をかけたい。
人の喜ぶ表情は、私の心までハッピーにしてくれる。
あの女性もパッと笑顔が輝き、喜んでくれていた。
私も美しい人と出会えて、手に入れたいものへの憧れの気持ちがより高まり、幸せな時間を過ごせた。
誰かを褒めるだけで、人同士の間にはこんなにも明るい空気が流れ込むのだ。
それならこれからもオープンに、心の内を伝えていきたいと思う。
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