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綿帽子 第二十九話

『ピンチの後には必ずチャンスがやって来る』

それは多分短期間には訪れない。

長く訪れない人だっているはずだ。
もしかしたらチャンスなんてやってこないまま一生を終える人だっているはずだ。

ピンチの後にすぐチャンスがやって来る人は、そこまでピンチには至っていないのだ。

少なくとも俺はピンチ&チャンスの相互作用には疑問を感じている。

ピンチが来て、なんとかギリギリ持ち堪えて、踏み止まっているだけだ。

そしてまた最大のピンチが訪れた。

「家にお金が無い」

入院する前から危機を迎えてはいたけれど、入院して一気にそれが加速した。

今までも信頼していた友人から詐欺に遭い、そのまま逃亡されてピンチに追いやられていたりしたけれど、今回はそれ以上のピンチが訪れている。

十分に身体を労り、回復に全力を注がなければならない時にこの状態。

入院前からずっと思案してはいたけれど、いよいよ親父から預かったこの家を売らなければならない時が来た。

親父が存命中に家で雇っていた税理士さんにコンタクトを取り、不動産屋を紹介してもらう。

その前も半年以上前に、友人を通して不動産会社の知り合いを紹介してもらおうとしたけれど、適当に扱われていたようで今更になって適当な返事が返ってきた。

その友人とはそれ以来会ってはいない。

税理士さんと一通りの話をして、幾つかの不動産屋が家に来ることになった。

そして、その日がやって来た。

初めての経験でもあるし、第一俺はまだ人の言っていることが理解できない部分がある。
認知能力の回復が遅れていて言葉の意味が理解できない時が頻繁にあるのだ。

午前中の約束で、来る前に電話をもらうことになっている。

電話がかかってきた。

ガレージに車を入れさせてくれとの事。
快く承諾して不動産屋を自宅に招き入れる。

お袋を横に座らせて話を進めるが、やはり所々理解し難い。
しかし、それを悟られるわけにはいかない。
足元を見られるわけにはいかないのだ。
少しでも高く親父とお袋の想いが染み込んだこの家を売りたい。

こちらの希望額を聞いた後に、不動産屋が売れそうな金額のラインを提示してきた。

どうやら事前に調査していたようだ。

希望額とは大きくかけ離れた金額に現実を知る。
そして、既に自分が受け持つことになっていると言われる。

税理士さんとの話に食い違いが出てきている。

まあこれは、そういうイメージを植え付けることで、自分の会社が税理士から仕事を請け負う気でいるのだろうと、その時は思っていた。

どんどん具体的に話を進めようとするので、他の不動産屋も来る予定になっていると伝える。

すると「では、改めてお伺いします」とだけ言い残して不動産屋は帰って行った。

お袋は当然納得いかないと言った様子で、不動産屋が帰った後も一頻り文句を言っていた。
自分が提示した金額とのあまりに大きな差にショックを受けたのだろう。

他の不動産屋も来るからと宥めはするが、税理士さんに頼んだのが間違いだとか、お前がしっかり話を聞いて上手く話を纏められないのかとか、やっぱりお前に任せたのが失敗だったとか、好き放題言ってくれる。

「お袋、常にそうだけど、それは何かが間違ってる。それが分からないのは本当に堪えるんだよ」

金額もそうだが、俺は何より言っていることを理解するのに苦労していた。

その上聞いたこともないような業界用語を使われたら、ほとんどお手上げなのだ。
誰か代わりに話を進めてくれないかとさえ思うのだが、そんな人はこの世には存在しない。

70代後半のお袋に、代わりに全てをやってくれと言ったって出来る筈もない。

一緒に住んでいる叔母は我関せずといった態度を崩そうとしない。
それでいて一緒に生活させてもらおうというのだから、もう理解の範疇を越えている。

俺は俺で、感染症を患った直後なので来客がある時にはマスクをしなければならない。
自分の病後の体調管理を自分でしなくてはならないのだ。

リスクを承知で交渉をしなくてはならない。
人と話すのも辛い時期に、不動産屋と話すのだ。

全身の痛みに加えて何とかしなくてはならないというプレッシャーから酷く疲れる。

まだパソコンを触るのも、携帯でネット検索するのもかなり疲労を伴うが、不動産売買に関する情報をしらみつぶしに探してゆく。

一度読んだだけでは頭に入らないので、覚えるまで何度も読み返す。
案外これもおかしくなりかけている頭を回復させるには良いかもなと、自分を納得させる。

夕食後に税理士さんに連絡を取ってみた。

昼間の事情を話してみると他を当たってくれると言う。
親父の信頼していた税理士さんだからと、この時点では安心しきっていた。

彼が元々勤めていた税理士事務所から独立した際に、全く仕事が来ず見かねた親父が手を差し伸べた。

家は代々競馬関係の仕事だったから、祖父は引退してはいたが親戚もその弟子たちも現役で調教師や他の競馬関係の職についていた。

親父は中央競馬界でも名の通った有名な獣医だったので、親戚だけではなく自分の仕事場である美浦のトレセン内の各調教師にも紹介した。

その結果、今では中央競馬会でトップを直走る超有名トレーナーの専属税理士を筆頭に何人もの有名調教師の税理士として活躍していた。

親父が亡くなった時も真っ先に駆けつけて、親父のそばを離れず泣いてくれた、そんな人ではあった。

「だが、そうなんだ」

俺は親父ではない。

ましてや、調教師でもなければ、超有名人だった祖父でもない。

俺はただの、かつてお世話になったことのある人の息子だっただけだった。

時間というのは時には人を美しくもする。

しかし、大体は残酷に終わる。


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