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綿帽子 第十三話

「点滴が一つ減った!!」

何が減ったのか内容は分からないが、気分は少し良くなるものだ。
血圧が100を越えて安定するようになってきた。

まだ時々100以下に落ち込んだりもするのだが、段々と落ち着いてきたようだ。

少し前に先生から心臓のエコー検査の結果を聞いた。

「少々心臓の動きが悪くなってるようです」

「でも、心配するほどのことじゃありませんから」

そう言って先生は立ち去った。

果たしてそれをどう捉えたら良いのだろう。

言葉通りに素直に受け止められたら良いのだが、入院中に物事全てを良い方向に捉えるのは困難を極める。

どんなにポジティブになろうとしても、この白い空間の中では全てが無駄に思えて仕方がないのだ。

夕方またお袋がグレープフルーツを持ってきてくれる。

今の全ての癒しはグレープフルーツであり、俺はそれを昨日から引きずっている。

夜中に心臓の動悸が来て、ナースコールを押した。

しばらくして夜勤の看護師さんが来てくれた。

顔馴染みの看護師さんなので、安心はしたものの苦しいのは変わらない。

看護師さんに脈を測ってもらう。

「ああ〜これは苦しいね、これだけ速いと苦しいよね。ちょっと待って、直ぐに先生を呼んで来るから」

そう言って看護師さんは部屋を出て行った。

「良かった、それにしても苦しい」

「早く先生来てくれないかな、あの看護師さんで良かった」

「もう少し待てば楽になる大丈夫だ」

心の中で何度もそう呟いた。

しかし先生は来ない、待てども待てども先生は来ない。

「看護師さん一体何やってるんだろう?出て行ってから大分経つよな、いつまで待てば良いのかな」

「でも、先生だって忙しいよな、苦しいけど頑張って待とう」

そう思って俺は必死に耐えた。

段々と苦しさで全てがどうだっていいように思えてきたけれど、俺は待った。

それでも先生は来ない。

もう一度ナースコールを押してみるが返事はない。

ここで、俺はようやく気が付いた。

夜中で人は少ない。

普段ならナースステーションにもう少し人がいると思うのだが、この病院この時期ちょっと訳ありで人が少ないのだ。

ある事件で世間を賑わせた後、経営難に陥ったらしい。

一時的に休業状態が続いていたが、ある日突然病院再開の噂を聞いた。

再開はしたけれど、良い噂は聞かなかったので、他の病院の救急外来を選んで何度も足を運んだのだった。

それでも巡り巡って行き着いた先がこの病院。

俺はそういう運命だったのだろうと思ってはいる。

看護師さんだって人間だ、優しい看護師さんもいれば、どこか冷めてしまっているような看護師さんもいる。

さっきの看護師さんだって、今まではとても親切で丁寧に感じていた。

だけど、今ここで、この場面でそんな力発揮しなくていい。

親父も何の因果かこの病院で亡くなっている。

俺にとってはマイナスなイメージしかないこの病院の全体的な体質は、根本的に変わってはいないのかもしれない。

苦しいのに色々な事が考えられるものだなと思いながら、いよいよ危ない気配がしてきた。 

俺はもう一度ナースコールを押しても誰も来なかったら、全てを諦める決心をした。

心は決まったものの苦しさだけは変わらない。

「やっぱり死ぬ前ってこんな感じなのかな?」

滅茶苦茶苦しかったのが良くなってきたと思い始めたら、結局最後は呆気ないものなんだろうか?

多分落ち着いたら良いのだろうけど、落ち着くってどうやるの?

落ち着こうにも呼吸は速くしかならないし、落ち着ける雰囲気なんてどこで手に入れたら良いの?

「コンビニとかで売ってたら良いのに神様」

「嗚呼、いよいよもう意識が飛びそうだ、神様どうにかしてください」

そう思った瞬間、突然体に変化が起きた。

「おや?何故だか少し落ち着いたような」

「本当かな?やはり苦しいか?いや、気のせいかな?それでも少し落ち着いたような気がするぞ」

「いいぞいいぞ、このまま何とか落ち着いてくれ」

俺はもう一度ナースコールを押した。

やはり無反応だったが、人間の体というものは不思議なものだ。

苦しみに反しながら徐々に落ち着きを見せ始めるのである。

そして俺は、自分を騙しながら何とか朝まで持ち堪えることができたのだった。

なんと幸運な事か。

夜勤の看護師さんはというと、遂に戻って来ることはなかった。

その事実を深掘りしたりするとメンタルにかなり影響が出る。

回診の際に、先生に夜中に起こった症状については伝えたが、看護師さんの取った行動については触れるのはやめておいた。

特別何かが変わるとは思えなかったからだ。

やがてお袋がやって来た。

グレープフルーツが入ったタッパーをテーブルに置くと、今日はどうだと様子を聞いてくる。

俺は、少しばかり迷ったけれど、夜中に起こったことをありのままに伝えた。

しばらく「うんうん」と静かに頷いていたお袋だったが、突然堰を切ったように喋り出した。

「酷いな、ここお父さんの時もそうやった、文句言うたろか」

「前からここそうやったんや、この前部屋代わった時な、あの先生も無茶言うてたやろ」

「まあ、そうだけど、言っても仕方ないから」

「そりゃまあそうだろうけど、そんなんあるか」

お袋はなかなか怒りが収まらないといった表情をしていたが、一呼吸すると急に黙り込んだ。

お袋が言うのも一理ある。

入院した日の翌日、俺は担当の看護師さんに部屋を代わりたいと申し出た。

同じ部屋の患者さんのいびきがあまりにもうるさくて、前日は一睡もできなかったからである。

しばらくすると、白衣を着た人が一人病室にやって来た。

俺に部屋を移動する意思が本当にあるのか確認しに来たと言う。

どうやら入院している病棟の診療科の偉い人みたいだったけれど、何が言いたいのか理解すらできなかった。

衰弱しきっていてまともに答える力も残されていない俺に、本当に部屋を移りたいかどうかの意思の確認とは何だろう。

「だから伝えたのではないのか?」

その言葉だけが頭の中でリフレインしていた。

高齢ではあるけれど、一応話すことはできる母もいた。

お袋が言いたいのはそういう事なのだ。

そして、結局移されたのがICU。

ここしか空いていないからと告げられたのだが、そういうことではないだろう。

ICUで数日を過ごしてから、一人部屋の個室に現在は入っている。

入院してから何から何まで全てをお世話になっているのだが、病気を治すために入院しながら起こってしまう矛盾。

諸々言いたいことは沢山あるけれど、なんとか繋ぎとめている命の灯火を消さずに明日を生きることに全力を傾けたい。

それが今の俺の想いだった。

それに理由は分からないのだが、こういうことをなるべく表に出さないで医師や看護師さんと上手に折り合ってやっていった方が良い結果になる。

直感が言っていた。

希望という物は、全てを投げ出した時に初めて生まれ出るものなのかもしれない。


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