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友人と宇宙家族|関西旅行記




三日目
 あいかわらずの、雨。宿でしごとをし、七条へでる。鴨川をながめながらVeg Outで昼ごはん。ひろいガラス窓のむこうの低い山々に、白湯のようなやさしい霧の、おりたまま。

 お会計をし、橋をわたりながらまたきますと、いつものようにつぶやく。また、迎えてください。鳥羽街道まで乗り、ホテルの近くのお米屋さんが米パンを水曜にだしているのを、買いにいく。ドライフルーツ、醤油こうじ、カカオの食パン、バンズをふたつ。米粉じゃなく米からつくるから、もちもちでお米の味が、つよいのだそう。ドライフルーツのを、あっというまにたべた。ほんとうだ、お米の味が、ふんわりして、パンなのになつかしい。



 京都駅から、梅田のにぎわいへ。イギリスから帰省中のこじくんと会う。去年、鎌倉で会ったのが春先だった。もっと昔のように思う。さがしてくれた、玄米食のお店でたんぽぽコーヒーを二杯。こじくんと話すと、とまらない。心がすこしかるくなる。それは、こじくんがかろやかな人だから。爽やかというのもちょっとだけちがう、でも、どこにでもしずかに吹ける風みたいな人。そのうちイギリスを、たずねられたらいいなあ。おみやげに、チョコレートをもらった。

 梅田の駅は、ハリーポッターみたい。連絡橋のある辺りがほんのすこし、ヨーロッパ。ここからなら、どこへでもいけそう。土砂降りがはじまる。伊丹のあやちゃんの家へ。このまえ、四歳だったあゆくんが、もうすぐ十歳。丸坊主で、虫にさされて目を腫らしていた、作りたてのおむすびみたいにかわいい子がすらっと伸びて、ドネーションのために切らずにいた髪もさらっとながくて、ふしぎな気持ち。ちっともすれていなくて、めがねの奥に澄んだ目をもつ、熟れた桃みたいな頬のまま、まっすぐ立っている人。あやちゃんの、息子。

 あゆくんは、たぶんうそをつくことを知らない。会うのは二、三度目で、たまたま鉢あわせたぐらいのきょうの夜なのに、そういうことはぜんぶ伝わる。あゆくんはじぶんをごまかさない。そうなのは、きっとあやちゃんと井田さんが、育てている人なためだろう。この人たちは、宇宙家族。あやちゃんが、太陽。今の世の中がおかしな方にどんどんすれていって、ちゃんとしている顔をしてほんとうはどれだけひん曲がっているのかを、それとは真逆に歩いていこうとするあやちゃんを見るとみるみる、わかる。


 ひさしぶりのあやちゃんの手料理を、おなかいっぱいたべた。なんにもかざらない、ふとい、あたたかい、沁みるごはん。エリンギのステーキみたいに焼いたの、それをうすくスライスしてわさび醤油で刺身にしたの、塩をしたさつまいも、炊飯器で炊くじゃがいもは、ハーブ塩。味のしみた高野豆腐に、煮物のれんこんはとろとろ。あ、糸をひいてるこれ、おいしいんだよと、あゆくんが言った。

 わたしは、ずっと花粉症。鼻がぐずぐず、むずむず。あやちゃんは、菜食をはじめて甘いものをやめたら、かるくなったと言う。みんなで、トランプのババ抜き、スピード、七並べ、うすのろばかまぬけははじめて知った。うれしい疲れで、意識がとびそうなのもあって、今がいつなのかわからなくなり、時間の渦にのまれそう。わたしの家族も、ちいさい頃、ひとりはほとんどいつも海のむこうでいなかったが、よくトランプをしていた。あのうっすらくすんだピンク色のかべの家の、狭いテーブルが目の前にせまってくる。あのじぶんと今のじぶんは、つながらない。

 いつもの畳部屋に、ごろんとねころがる。おやすみをいう前に、あやちゃんにも「やさしいせかい」を渡した。いちばんめの話に、あやちゃんはでてくる人なんだとまた、このときに気がつく。出会えてよかった。いつまでも、おおきな心で、そばにいてくれる人。ずっとしあわせでいてほしいと、心から思う人。





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