見出し画像

食べて治す:回復への道のり

アトピーの療養と気分転換をしに数日間東京を離れ、実家に帰ってきた。ここ数年で一番ひどい顔や首の炎症と痒みが収まらず、正常な気持ちを保てず、何も手につかない状態まで陥ってしまった。食事療法に詳しい母におしえてもらいながら玄米菜食をし、ビワの葉エキスを患部に塗ったり、どくだみ茶や梅肉エキスを積極的に飲んだり、自然療法で無理なく日々できることを模索中。

わたしのからだは、未病の状態なんだなあと思う。アトピーはそのお知らせのようなもの。小麦アレルギーと運動誘発性アナフィラキシー(体に熱がこもると全身にじんましんが広がってしまう症状で、発症してからの放置期間が長すぎて慢性化し、自宅を出て歩いただけでも全身にじんましんが出るようになっている)と診断された四年前からそれは始まっていたのに、わたしはそれでもことごとく体の声を無視してきたから。

精神力の弱いわたしには、お金もかかり、ひとりではなかなか根気もいる食事療法を継続させることがむずかしくて。詳しい方によるマクロビオティック講座への参加、十日間玄米のみを食べる七合食、食事療法を学ぶ施設への宿泊など色々試してみたけれど、それを経て日常に戻るとまたなあなあになってしまう。今度こそは、と挑戦しては挫折を繰り返す毎日。

たびたび体調を崩すことがあっても、しばらく我慢していればまだ若さがあったので回復し、元のしまりのない食生活へと戻っていく。気を付けなければいけないことも、まあ、まだいいか、で何度もおざなりにしていた。からだが訴えている悲鳴のサインを許さず、認めず、信用していなかった。そしてじぶんの食生活や生活習慣を省みることをずっと先送りにしていた。

大病を患ってしまう前に、こうして今からだからの最終的な「いい加減にして」という叱咤激励の声に直面しているんだと思う。わたしはじぶんの体をまったく省みずにきたのに、体のほうはまだわたしのことを気にかけ、サインを出し続けてくれていて、それは辛いことではなく有り難いことなのだと、周囲の方のアドバイスを聞きやっとそう感じられるようになった、この頃。

+ + +


わたしは二歳ごろ~小学一年生まで、中耳炎で溜まった水のためほとんど耳が聞こえなかった。耳鼻科で水を抜いてもまたすぐ溜まって聞こえなくなる、ということを繰り返していた。耳鼻科が死ぬほどいやだった記憶は今でもはっきりある。おそらく補聴器が必要になるので、その手術をしましょう、とお医者さんから言われていた。

そんななか、両親は手術を拒み、「ゆきのした」という薬草を父が各地から摘んできてくれ、それを母がエキスにしてわたしの耳に直接流しいれる、という民間療法を執念深く続けたら、その結果が実ったのか中耳炎は回復し、わたしの耳は聞こえるようになった、そういう経緯がある。

このことから分かるのは、自然療法の秘めたる力みたいなものもあるけれど、同じ治療を施しても、必ずしも万人に効くとは限らないし、わたしはたまたま運が良かったのかもしれない。大事なのは「信じて行うこと」、信念のほうだったんじゃないかな、この場合は両親からのものだったけれど、というのを今思い出す。

その当時のわたしは幼くてよくわからず、両親に言われるままにしていただけで、自分で自分の治る力を信じるなんてできなかったはず。わたしの耳が今でも音を聞くことができるのは、補聴器をつけることに甘んじず、さいごまで諦めないでわたしの中の治る力を信じ行動しつづけてくれた両親の力なんだなあと思う。

母がからだの弱かったわたしのきょうだいのために参考図書としてずっと読んできた、東城百合子さんの『家庭でできる自然療法 誰でもできる食事と手当法』という本がある。母の汗の結晶がしみ込んだ年季の入った二十年物で、書き込みや茶色いシミがそこかしこにある。そこにこう書いてある。

"失われたものを取り戻すことは大変な事です。産みの苦しみがともないます。しかし、そうしたなかから学びとるものは大きいのです。(中略)本当に生きるとはマイナスをプラスにして立ち上がることです。そのために人間は、唯その自然の生命力あふれるすばらしいサイクルの中に飛び込みさえすればよいのです。"

今度はわたしがじぶんを信じる力が試されているような気がする。からだのもんだいは心のもんだいでもあり、わたしはからだだけでなくぼろぼろになったこころも回復させたい。そのために、ただしくよく食べるということを、みずから選んだのだ。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,501件

#振り返りnote

85,089件

お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。