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心をもってうまれた、だから

アメリカで人気の本を読んだ。死についてこれでもかと哲学した本。

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終わりがあるというのは、悲しいことではないと思う。終わりはいつもなにか新しい始まりとセットだった。死は、なにかの始まりとセットなんだろうか。それとも例外で一貫の終わりなんだろうか。

わたしは死ぬことを漠然とこわいと思っているけれど、なにがそうこわいのかを知ろうと思った。それで何がこわいかといえば、どうやって死ぬのかとか、いつ死ぬのかわからないこととか、色々あるけれど、いちばんの死にまつわるこわさの根源にあるのは、じぶんのこの心でいろいろのことを感じられなくなってしまうことだと気がついた。それはとてもさみしい。

心を持ったということは、わたしにとってものすごく大きなプレゼントだ。心のおかげでどうしようもなくなる思いを数えきれないほどするけれど、反対にしあわせでいっぱいに満たされることも、つらいことより少し少ないけれど沢山ある。

そういう経験をもたらす心というものを引っさげて生きてきたのが、ほかのだれとも違うひとつしかない心でいろいろのことを感じながら、うんとこしょどっこいしょでなんとかここまできたのが、これまでの人生。たかが三十年とかだけれど、それだって立派に全然すごい。何をやってきたかというよりも、何を感じて生きてきたかというほうがわたしにはずっとすごいことで、それで人生ができあがっているんだとほんとうに思うし、人生の何よりのおみやげみたいなものだと思うから。

その心を失ってしまう死という状態が、理解も想像できない。

人生において何をやったのかが、この世の中ではものすごく大事にされているけれど、その考え方はあまりにも一方向性すぎるというか、ピーンとしすぎているような感じがする。行動することや達成感は生きる実感や張り合いをもたらすものとしてとても大事だけれど、じぶんじゃない別人として何かをやっても人生がちぐはぐなままで、うまれてきた意味も生きる意味もどこかに忘れ去られて、ずっとさみしいままで生きていくと思う。

じぶんがじぶんであることを感じるために心が用意されていると思う。こだわりすぎると、今度はまたうまくいかなくなるものだけれど、無視しすぎている人はあまりに多い。

心があるというのは、ふしぎな生き物をからだに飼っているみたいな、そういう神秘を抱えていること。心をなくさないことは、神秘に耳をかたむけつづけること。この心はいつだって広い世界、そして自然とつながっている。

ああ、その心でもうなにも感じることがなくなるというふうにみえる死は、すごくすごく惜しい気がする。もったいない、ざんねんでしょうがない。そんな瞬間が生きていった先にあるのかと思うといたたまれないし、くやしい。自分というのは、たまたま生まれた存在だけれど、せっかく、あるいはわざわざ、好き好んでいないけれどこのじぶんにうまれたというのもあるので、じぶんにしかできない何かをやるために心は大切にしたい。

悔いなく死ぬには、自分を使い切るひつようがある。自然からうまれた自分自身をすべて自然へ返すことができたら、それがいのちをまっとうするという作業なのかなあ。そっくりそのままあますところなく返したい。うまれた日を折り返しとして、自分をつくったものを紐解いて、また自然へ戻るプロセスが人生。自分を世界へ差し出すのはとても苦しく、大変なことだけれど、心は生きていく指針としてうまれもったから、なくさないで生きたい。

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