絶対もっといい人が、の「いい人」とは何か

結婚も婚約もなくなったことをある既婚男性に話した結果、「よかった」と言われた。


「話を聞いているときから、その相手はないな、と思ってたよ」


彼には以前ゴタゴタの一部始終を報告していた(というより「これからゴタゴタすると思う」という謎の予言がメインだったが)。
どうやら進捗を気にしてくれていたらしい。そうだよな……
先日飲み会で隣の席になった際、「で、どうなったの」と身を乗り出しながら最新の状況をヒアリングしてくれたというわけだ。
ごめんね報告できてなくて。かくかくしかじかだったんですよ。


「マジでよかった。そのまま結婚に向けて“いっちゃってる”んじゃないかってヒヤヒヤしてたわ。」

「ああ、それは大丈夫。そもそも向こうの希望があるし、もう終わったことだし」

「賢明だと思う。そのまま話を進めていたら、これから何十年と苦労が続くのだから。」

「そうだよね。…それと同じような話を、本人とそのご両親から聞いたけどね。」

「?どういうこと?」

「相手の両親が本人に聞いたらしいんだ。“今はいいかもしれない。でも、この先その子と30年過ごすとなって、あなたは耐えられるの?”って。」

「へえ、それで?」

「で、彼は“あっ、耐えられない”と気づいたんだって(にっこり)。」

「(絶句)」

「それで、おしまい」

白ワインの隣で存在感を発揮するフライドポテトに手を伸ばしながら淡々と話す。

「彼、それをそのまま言ってきたの?」

「うん。“と親が言ってた”って言葉も何回も聞いた。他にも…(略)」

「…………」

「そして私も、別件で前々から引っかかる部分はあった。これはまたの機会に話すけど」

「なるほどね……」

「おそらく向こうのご両親も、まさかすべて包み隠さずバラされているとは思っていないと思うよ」

「そうかもしれないけど―」

「まあこれまで距離を置いていた両親との仲がこの件を機に深まったみたいだし、ひとつの家族を救ったのかもしれないし、もう何でもいいんだけどね」

「なんだか特殊なケースだったね」

私の代わりに苦虫を噛み潰したような顔をした。

「とにかく別れたのは正解だよ。絶対もっと他にいい人がいるよ

「え」

絶対にいるから。


いやいや、ほんとかよ!
何その自信!

思わずフライドポテトにケチャップをつけすぎたわ。


その日は結局何回も「絶対」と強調されたその言葉を右耳から拾っていた。


確かに―
確かにたまにそう言ってくれる人はいるけれどさ。

慰めの意味も大いにあるだろうし、話を締めるきりのいい言葉として使いやすいのもあるだろうし、
とにかく傷つける意味で言う人は皆無だと思っているのでそれは良いのだ。優しさ、ありがとう。

ただ、そう言ってくれる人ほど全然まったく私を恋愛対象に入れる気がない人ばかりなのは気のせいだろうか。

まあ今回の場合は既婚者なのでそれで正解だが、
なんだかなあ。

いい人、かあ。


なんだろうな、いい人の定義って。


もっと優しい人?
もっとスペックが良い人?
もっと私に合う人?

もっと一緒にいて疲れない人、
もっと常識がある人、
もっと受け入れてくれる人?


主語がそもそも「私」にとっての「いい人」であるだけでは、なにかが違うんだよな。


ううん、もっと、
誰から見ても「あんしん」な人ってこと?


そんな素敵なあんしんな人が、果たしてこちらを「対象」に入れてくれるものかねえ。



別れた彼からは結局、あれから何の連絡も返信もなかった(以前の投稿を参照)。
でもなんとなく、そうなることを知っていた。
だからこそ本音を送ったとも言える。


これまで「相手側が急激に燃え上がりすぎ、信じられない勢いで好かれ、それに対応していくものの、急に相手が理想と現実のギャップに気づき、急にやーめた、となる事例」は何度か体験していて、今回もそれに近いと思っている。


そういう相手には、最後にほんとうに思っていることを、
「ほんとう」を晒すと
大抵何も返ってこない。

オフィシャルとして、ギャップの答え合わせとなる本音を発信してしまうわけだから無理もない。受け入れ態勢が整っていないのだ。


罵詈雑言の類は何も書いていないんだけどねえ。
たぶん重すぎるとか、自分勝手に言い逃げ女だとか、なにを言えばいいのか分からずなにも送れないとか、はやく忘れたいとか、さまざまな事情もあるのだろう。
私もそういう事例で自分からなにもできなかったことはあるから。

でも、関係が切れる大半の理由はやっぱり
「思ったのと違った」からだろうな、と解釈している。


私をいったいどういう人だと思っていたのだろう。


少なくとも
「いい人」ではない、なくなったのだろうな。



向こう側もみんな、「いい人」だった瞬間はたしかにあった。
というより、ちゃんと、いい人なのだと思う。

「いや、ダメ男もいたよね?」
そんな友人の声が聞こえる気もするが、そういった相手もおそらく私の知らないどこかでは今でもいい人なのだろうし、或いはダメだったけどとてもいい人になったのかもしれないし、お互い様なので別に恨んだりしていない。
そして、これから誰かにとってのいい人になるのかもしれない。
自分のことばかりを守ってはいけないのだ。


強いて言えば、良くも悪くも純粋すぎる人が多かったけれど。
純粋ゆえに、ギャップに人一倍耐えられない。


スタートは良い部分の私だけを見て、いい人である、この人だ、と確信している。
(なぜか、「ついに理想と出会ってしまった、逃してはいけない」とガチ感を隠さない人が多かった。私はこの時点では割と冷めている)

そこから彼らの中でギャップが生まれ、しかし頑張る第2期が訪れる。
(スタートが頂点なので分が悪い。いっぽう私はスタートが冷めがちなので、そこから相手への印象が上がっていく)

その後、私を「いい人」と定義するだけでは解決できない葛藤が生まれる第3期の誕生。
(やっぱり勝手に理想を作っていたのか、と嘆く私の第3期)

で、キャパオーバーになり匙を投げる最終期へ。

…たぶん大方そんな感じだろう。

このような男性と女性の恋愛ギャップ現象なんて、この世に星の数ほどあるはず。
改めて書いて分析すると恋愛がほんとうに下手なのだなと、なんだか恥ずかしささえ覚えてしまう。


別れ話をすると、友人は私の味方にそりゃあなってくれるけど
きっと私も女の人に理想や夢がある男の人の期待に応えようとしていたし、
私をいい人に、そう、理想のいい人を見せようとしすぎていたのだ。


どんなに悩んでも、最終的にお互いの「いい人」に成り得なかった。


そろそろ自分自身にも問題があると思っている。
というより、それは前からそれなりに自覚している。

なにかがある、なにかが足りない、なにかが多すぎる。
昔からそんなコンプレックスばかりだったもの。


もちろん単純な相性もあるだろうけど、
何回も何回も人を好きになり、その恋が終わってきた現在を考えると
いい人たちの夢を壊したのは私でもあるし
私自身も「いい人」なのかという疑問が残る。


コンプレックスはあっても自分に自信がまったくないわけではないし、常にネガティブすぎるわけでもないのだが、
人との付き合い方や生き方については
もっと考えなければならないと思っている。


理想から離れてもなお、私を私、その人をその人だと認識してくれる人が「ほんとうにいい人」で「ちゃんとしている人」なのかもしれない。
でもほんとうに、それだけでいいのだろうか。


絶対に他にいい人がいますよ、という慰めと少しの事実(星の数ほど人間がいると思えばという意味)を
ただただそのまま、「そんなお世辞虚しいわ」とも「そうだよね」とも受け入れることも勿論できるが

この機会に、「いい人」の定義についてもう少し考えてみよう。


そして他力本願ではない、まずなによりも、自分自身が自分にオーケーを出せる「いい人」になっていけたらいい。


ふにゃふにゃになった僅かなフライドポテトをつまみながら、頭の中を弱くはない意志でいっぱいにした夜だった。


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