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考える力を試してみよう(発想力)番外編~無駄な会議が量産される理由(の一つ)は「学校」まで遡る!?~

前回まで

まずは問題を自分で考てみる
①考える力を試してみよう!(発想編)
  ↓
考える力を試してみよう(発想力)回答編
②回答編1:「考える」の基本は言葉を定義 しているか?
  ↓
回答編2:現状維持にも「成長」が必要
  ↓
回答編3:「変化が厳しい時代」の
 子どもたちに必要なもの

  ↓
回答編4:「考えるの基本」言葉を定義しよう
  ↓
回答編5:「考え方が逆」?順番があるの?
  ↓
回答編6:「考える」ことに「補助が必要」な人との差は大きい
  ↓
回答編7:視点を変えて、アイデアは
 全て捨てない、潰さない!

  ↓
回答編8:「本当に無理なのか?」を
 追及できているか?

  ↓
回答編9:「行動しない」という選択肢
 が大きな結果の差を生む

  ↓
回答編10:「思い付き」と「考える」の違い

【前回(回答編⑩)のあらすじ】
「思い付き」と「考える」の違いが、
結果として圧倒的な差を生む。

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その「差」は毎回、毎日繰り返される。
その積み重ねがさらに差を生んでいく。
思い付きの人と考える人
どちらが重宝されるか?は一目瞭然

今回

会社で日々量産される無駄な会議
たくさんの大人たちが集まって
なんでこんな不毛なことが
量産されてしまうのか?

思い付きの人ってそんなにいる?

さて前回は「思い付きで動く人」は
どんな風になるかを知ってもらうために、
極端な例を出しました。

でも「思い付きで動く人」って、
そんなにいるのでしょうか?
なんでも鵜呑みにしてはいけません。
ここに書いていることももちろん、
鵜呑みにせずに思い返して見てください。

実は結構います。
それをよく見る場面が、
ミーティングや会議です。
ちょっと思い返してみてください。

自分の職場で思い返そう

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自分の職場で少し考えてみて下さい。

「短絡的な答え」で進んでいく場面
いくつ目の当たりにしたでしょうか?
「やること」だけが数個候補として上がり、
そして決められていく

そのやることについて、
「なぜそれがいいのか?」
「それをするとどうなりそうか?」など、
「中身については吟味されず、
 やることだけ並べて決められていく」

=「短絡的な答えで進んでいく」場面

たくさん見てきてないでしょうか?

「目的を見失った会議」
何度参加したでしょうか?

アジェンダ(議題)、サマリーなど、
立派な横文字を使って整えてるけど、
途中で議題やサマリーも消し飛び、
誰かの感想が中心になり、
結局何の話しになったのかわからない、
「目的を見失った会議」
何度参加しましか?

少なくとも私はたくさん経験しました。

なぜ会議ですぐ目的を見失うのか?

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「考える」ことができてないから
↑のように「目的」がすぐすり替わる

会議で話してる最中に、
会議の目的が変わってたり、
目的そのものを忘れたりしているんです。
すり替わったことに気づいていない

気づかないんだから、
脱線したら戻すことは出来ません。
だからアジェンダなんてあっても無駄。
酷い時は端から目的が無いことも…

そのまま会議時間いっぱい。
結局なんなのかよくわからない会議
が生まれていきます。

そしてそんな会議が
たーーーーくさん!
発生しています。

何も考えずに思い付きだけで
進む会議がたくさん発生している。
「思い付きの人」は相当数いる
といえる理由です。
でもしょうがないとも言えるんです。

思い付きの人は相当いる
けどしょうがないのはなぜ?

無駄な会議 アイキャッチ
それは…
「考える」ということ(技術等)を、
学校で学ぶことが無かったので、
どうしようもなかったし、
避けられないことだった。
いまならそう思うからです。

そりゃそうです。
こんなの授業ではしません。
もちろん学校の先生も
「考える」ことについて、
習っていません

だから教えることが難しい。

一部には「考える」ことを
真剣に考え実践している先生は、
間違いなくいます。
(そんな先生は本が出てたりします)

でも結局現状のほとんどでは、
「先生個人の力量」で、
「考える」ことを学ぶ機会が、
大きく左右されてしまう。

「考える力」を付ける機会は、
「学校教育(どこでも学べる)」ではなく
「その先生個人の教育」次第なんです。
その先生に運よく当たった生徒しか、
学ぶことができない。

だから広がらないし、
ほとんどの人は、
習わないまま大人になる。

学校がそんな状況だったのだから、
「思い付きの人」がたくさんいても
しょうがない状況と言えるんです。

「無駄な会議が量産される」理由
の(あくまで)一つ
ではあるんですが、
学校で「考える」という事を
学べなかったツケが、
企業に入って(会議等で)露わになった
と言えます。

そして、
「考える」ことを学べなかった人や、
これから先も自主的に学ばない人は、
この先も「思い付きの人」を抜け出せず、
無駄な会議を繰り返していく確率が高い。

今の時代になって出てきた、
「考える」ことについては
「今から」学んでいくしかない。
大人も子供も同じスタート時期。
なら子どもからの方がいい。

そう思うんです。

子どもを持つ親御様へ

今回は「学校」の差ではなく、
偶然の出会い「先生の差」が
企業等で影響している場面の
1例を述べていきました。

これは、
大人になって就職したり、
社会に入って役に立つこと
だとよく思われます。
が!これこそ
「子どもの頃から知ってほしい」
という内容なんです。
「頭や考え方が固まる前でないと
 学ぶことが難しくなっていく」
と言えるのかもしれません。

その理由はまた次回に!

もちろんこの内容については、
子どもの頃に理解する必要はありません。

子どもの頃に覚えてほしいこと、
世開塾で身につけてほしいことは、
「考える」という行為そのもの。

今は、
「考える」ことで差がどう出るのか?
結果としてどのように変わるのか?を
親御様が想像しやすいように、
企業や仕事場での例として、
今は説明をしている状態です。

このような理屈を覚えなくても、
子どもの頃に「考える」という事を
身につけてもらうことで、
自然に結果が出るになっていく。

そう思ってもらえると幸いです。

しかし、
1回
10回
100回
1000回
10000回・・・
ことあるごとに、
「考えることでの差」が
ずーーっと繰り返され
積み重なっていく
このやればやった分の
「経験」による差によって
ひっくり返すことが出来ない
現実が作られていきます。

だから!
なるべくなら早く
「考える力」
を覚えた方が良い。
大人になってから知るんじゃなく、
学校では教えてくれないけれど、
子どもの頃に学んだ方がいい。
私はそう思っています。

と今回はここまで。

皆様の「スキ」!
それを励みにしています!

今日も世開塾に来ていただき
ありがとうございました!



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