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子連れ美術鑑賞、終了を迎えて。


17年。気がつけばあっという間でした。


2023年9月から息子さんが大学進学のためにカナダのトロントに渡航します。大学の寮に入るので親元を離れて暮らします。気がつけば本当にあっという間でした。
私の書く文章を読んでくださる方は、「子供連れでアート鑑賞をする」というテーマから読み始めてくださった方も多いと思います。ここで子供が独り立ちするので私の中では2023年8月で「私の子連れアート鑑賞」は一旦終了です。

最近こちらに全然更新していないです。アート関係はこちらにまとめようと思っています。


思えばあっという間の17年でした。

そして、今改めて考える「子供連れで美術を鑑賞に行くこと」についてあくまでも、自分のために徒然にまとめてみたいと思います。



1:子供を連れて美術鑑賞で変わったこと、変わらなかったこと

子供連れで美術館に行くこと、はここ数年で本当にスタンスとして変わったと思います。私が子供を連れて美術館に行く様になった17-15年程前は「子供連れで美術鑑賞に行く行為そのものが非常識」という認識の方も少なかったです。ベビーカーがあるだけで、怒られたこともありました。しかし、ここ近年は「教育の側面」として子供の美術鑑賞を推奨する動きが盛んになり数年ごとにブームが起きているような感じがあります。「子供を美術館に連れていくと成績が上がる」「読書する子供は成績が良い」系のブームは数年ごとに来ますよね。
同時に大学進学などに提出必要な課外活動として「美術館関係で活動する」というのも関係してるのかもしれません。日本で学校以外での課外活動はなかなか見つけ辛いのが現状。美術館での活動は課外活動のファーストステップとしてはとても入り込みやすいのかな、と想像しています。

同時に近年、日本における「家族で美術鑑賞」という概念で設定される「子供」が幼年期以外も設定されてきたのは本当に良き傾向だと思います。美術館における鑑賞者の子供の定義が幼年期だけではなくなってきた結果、美術を鑑賞する行為から何をどうするか(しないか)に多様性が強まってきた感があります。ワークショップも明らかにお子さん向け、または大人向け、というものが10年ほど前は大半でしたが近年は青少年向けというのも増えてきました。とても良いですね。
青少年向けとしては2023年秋では東京都現代美術館の「あ、共感とかじゃなくて。」展はとてもオススメです。

青少年向けのWSが増えた理由。これは幼年期にスマートフォンを持ち、少年期、青年期に使いこなしている今の少青年期の若者たちは自分たちの自撮りや動画撮影などで「表現に対してのハードルが低い」ので表現をするWSに興味を持ちやすいというのもあるのではないかな。とても良きよ。ぜひ参加してみてほしい。

これは個人的な想いなのですが、現代芸術はある意味「今生きてる人の奇行、または破天荒」です。奇行。最近見かけたらすぐ通報されるのでなかなか見かけません。破天荒、最近聞かない言葉ですね。

私が子供の頃はお正月に親戚で集まり、その中に「何をやってるんだかよくわからないしずっと酔っ払ってるけどでもなんかめっちゃ面白いことを教えてくれるおじさん」がいました。今はそのような親戚のおじさんは天然記念物レベルでいないと思いますし、そもそも親戚大勢で集まって飲み食いする、っていう行為がCOVID-19で激減しました。
その様な「よくわかんないおじさんがこっそり教えてくれる超面白いこと」が現代芸術な気がするんですよね。そういう斜めからの危なっかしい囁きがこのクソつまんない日常生活に違ったグルーヴ感を与えてくれる様な気がするんです。このグルーヴ感って本当に必要だと思うんですよね。

そして「子供さんの教育で美術鑑賞しているのですか?」と本当によく聞かれましたが、そんなこと全然なかったです。じゃあなぜ行き続けていたのか。それは「私が行きたかったら」それだけです。正直、息子さんは

「僕の母親は本当に友達がいない。でも絵や彫刻がある場所には出かけるし、楽しそうだ。ここで泣いたりしたら母親はどこにも出かけなくなってしまうから、泣かないでおこう」

と思ってくれていたのではと思っています。つまり私は赤子&幼な子時の息子さんから「可哀想だから」と思われていたのだろうと思っています。その後、息子さんと向き合ってくれるアーティストに数多く出会えたことで彼自身がアートに向き合う様になった感がありますね。彼自身は8歳の時に初めて作品を買い、17歳で自分のバイト代で作品を買いました。今後も自分のできる範囲で良い出会いがあったら買いたいそうです。

なので現在時々見かける「教育と美術鑑賞を結びつける動き」からは距離を感じています。っていうか向こうから来てくれないと思うけど。


2:「子供の美術鑑賞」変わったのはどこなのか、誰なのか

ちなみに私、13−15年ほど前は「子供を親の趣味に付き合わせていくなんて虐待だ」って言われたこともありました。子供は美術館など行きたいわけがない、公園に行くべきだって。そのくらい、赤子や幼子を美術館に連れて行くことを敵視してる人がいました。じゃあ公園行けば良かったか。公園はママ友グループが本当に怖かったので行けなかったです(ヘタレ親でした😭)。でもね別に美術鑑賞だけに振り回してたわけじゃないですよ。サッカーの少年団はずっと参加してましたし、少年団やスクールで仲良くなった子とはちゃんと遊んでました。でもそういうのってSNSがない時代だからもちろん見えない。個々の活動以前に「子どもはこうあるべき」という思い込みも強かった時代でした。

しかし、時代は大きく変わりました。アート思考とかエリートとアート鑑賞とか、そういう言葉が定期的に出てくる様になりました。私はその時期日本にいなかったので、結局アート思考とは何なのか?というのを理解できていない感があります。

美術鑑賞をすることで何かを得られる、いや、得なければいけないという恐怖観念の様なものを持つ人がある一定数いらっしゃる感。なので教科書などに掲載されている作家や作品の展覧会の方が人気である、というのが現状ですよね。

人間の行動って、そんな全てにおいて「何かを得なくては意味がない」ものなのか。これを「そんなことない」と言えるのはその人に余白があるからだと思うのですね。日本の美術館において幼児のWSが多いのは「幼児は余白を設けやすいから」だと思うのです。私的には子供が学校に行ってる間にお母さん向けのWSとかあったらいいのに!といつも思っていたのですが、今ならわかります。そういうWSに来れるお母さんは余裕があるので自分で美術館に行くんですよ。

子供と美術鑑賞に関して子供を受け入れる側は確実に変化してる。これは時マジで素晴らしい。でも。子供も連れて行く大人も、そして青少年も近年明らかに余裕がなくなってる。これは経済的や環境的な問題なので、誰が悪いってわけではありません。でも、この「参加者側の余裕のなさ」を自覚しないと、いつまでも美術館側は「はじめての美術館で⚪︎⚪︎しよう!」を言い続け、その「初めて」に参加した人はそこで終わってしまう。だって、余裕がないんだもの。
私が家族の仕事の理由で転居した東南アジアから10年前からずっと同じ「美術館に行く人を増やしましょう」という試み。10年前からずっと同じことだけ言っていたら、多くの人は最初の「行ってみた」で終わってしまう。だから私はまず行ってみた「次」を考えてみたいのです。余裕のない自分のできる範囲で。

なんでそんなに、っていうのか。それにはちゃんと理由があります。

私は人間的に本当にダメ人間です(なんなのこの突然の告白)。じゃあなんでなんとか生きてるのか、それは美術に救われた、そして救われ続けてきたからなんですよ。別に何に救われてもいいんですけど、でも私は美術に感謝してるので、このように救われ続けてきた体験を今苦しんでる人の解放のきっかけになったら嬉しいのですよ。ただそれだけなんですよ。



3:「子供の美術鑑賞」という行為の変化

美術鑑賞という行為はCOVID-19で明らかに変化がありました。これはオンライン鑑賞と、鑑賞行為の階層化が挙げられると思います。オンライン鑑賞は裾野を広げた感はありますし、私も外国から出れないのに鑑賞出来た等、とてもありがたかったです。同時にオンラインアートフェア、オンラインVIPビューイングなどで異様な価格高騰なども誘発した感もあります。

そして今回、私がここで語りたいのは「鑑賞行為の細分化(階層化)」です。

美術展における予約での訪問、内覧会の招待時間の細分化などが挙げられると思います。予約や訪問時間の細分化は安全面や鑑賞環境面では向上するけど、かつてあったそこに存在する突発的コミュニケーションは無くなります。だって体は1つですからね。
もう1つとしては、「他者が鑑賞者の理解度を判断し、鑑賞の機会を分断化する」。この「他者の環境についての過度な判断」というのは近年激しくなっている感があります。具体的には「子供の鑑賞時においての破損トラブル等で他者が「鑑賞出来る層を定義しようとする」動きと定義します。つまり「子供の干渉時に器物破損があった際に「子供に芸術鑑賞させてもわからないだから鑑賞の機会そのものを無くすべきだ」という動きです。
この声については深く懸念しています。この動きは私自身はとても驚いたんですね。なぜなら私がいた東南アジアでは子供連れで美術鑑賞する人がガンガン行って、そして器物破損もそれなりにある。でも第三者が「子供禁止にしなさい」的な動きはそこまで発見できなかったんですね。「鑑賞を階層化したい(大人以外を追い出したい)」という思想は日本にはまだ根強いかなという感触を感じました。
美術鑑賞と破損(そしてコロナ)に関しては熱く語っておりました。


4:別に美術鑑賞をやめないんだけど

なんかこんなふうに書いてると、私自身が美術館に行かなくなってしまいそうな雰囲気ですがそんなことないです。今まで以上に行くと思います。しかも今まで以上にあちこち行くと思います。そして静かに静かに行くつもりです。内覧会とはではなく、できれば会期中の一番空いてる時間帯とかに行くと思います。
なぜなら私自身が3で書いた「心理的に余裕のない人」になるからです。今って時間やお金があっても心理的に余裕がないと感じる人が明らかに増えた気がするのです。そう、私自身も。
だからこそ、一旦自分にちゃんと戻ってお金払ってしっかり鑑賞したい。そして自分でじっくり考えて「動作は鈍いけどフットワークは軽い生きるのに余裕のない大人」としてどの様に感じたかをしっかり残したい。

その「書き残す」という行為は本当に微力なんだけど、今の現代芸術を残す行為としてとても重要だと思うんですよね。その表現にどう思ったかという記録はその表現が次世代に残るための資料にもなるので。


5:最後に本当に感謝を送りたい方々へ改めて御礼。そしてone more thing

息子さんの渡🇨🇦前の数ヶ月、美術関係の方々には本当に本当にお世話になりました。楽しい時間を過ごさせて頂きましたし、得難い体験も沢山させて頂きました。私たちは本当に美術で表現という行為に関わってる多くの方に見守って頂いた、救って頂いたと思っています。
同時に今回お話をする機会を頂けた多くの方に「あなた達、美術が好きだって気持ちが本当に純粋だったよね、だからこんなに続いてるんだと思うよ」旨のお話をして頂き嬉しくて、感激して泣きました。

冒頭にも書きましたが私は今後はさらに美術の現場に「鑑賞者として」フラフラ出没しますので、暖かく見守って頂けたら幸いです。

そして今後は息子さんは北米という新たな場所に向かいます。今まで本当に縁のなかった場所です。息子さんが20歳までに親子でニューヨークは実現したいっと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。


あれ・・・?まだ続く・・・?