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印象と表出 【漢方と医者の本分】

 「先生には困ってることを遠慮せずに言えるんだよ。あまり緊張しないんだ。」

 そういって彼は笑いました。

 私の診察室には色々な方がいらっしゃいます。大きな体格のその人は、心臓も腎臓も肺も患っていました。西洋医学を用いて肺の症状をかなり緩和することができて、ずいぶん楽になったと喜んでいた矢先、胆石発作で緊急手術となりました。もし肺の状態が改善していなければ全身麻酔は困難でしたから、危機一髪であったと振り返ります。

 手術を終えて随分経ってからも、どうにも食欲がないそうで、たびたび腹痛を起こしては「また胆石発作ではあるまいか」と不安な日々を過ごしていたといいます。肺が専門の先生にこんなことを相談したら悪いかも、と気にしている様子でしたが、話すように促すと様々な身体の不調があることがわかりました。

 では東洋医学の診察をしてみましょうといって、問診に続いて診察を進めます。みますと、随分ひどい胸脇苦満きょうきょうくまん(注:漢方の腹部診察で肋骨のすぐ下の部分に抵抗があって苦しい感じがするもの)がありました。腹をみても脈をみても、著しいかんの失調があることは明らかでした。

 肝とは漢方医学の臓器機能単位で、解剖学の肝臓とは異なる概念です。肝臓に近い機能も含みますが、さらにエネルギー(気)や血液と栄養(血)を巡らせる作用と自律神経系の機能を包括します。

 柴胡さいこを使う処方が良かろうと思いながら問診を追加します。柴胡は特に肝の治療に用いられる生薬で、柴胡の働きを期待して調剤された漢方を柴胡剤と呼びます。気管支炎症状と四肢の冷えも参考に、四逆散しぎゃくさんを処方しました。

 四逆散とは、気を巡らせて肝の不調を治す「柴胡」に、気を巡らせ気管支にも作用する「枳実きじつ」と気を伸びやかにしながら血を補い痛みを和らげる「芍薬しゃくやく」を加え、「甘草かんぞう」で調和をとるように配合した漢方です(類薬との鑑別は複雑なため省略いたします)。他剤と組み合わせで使うこともしばしばありますが、このときは単剤処方にしました。

 二週間以内に腹痛は消失し、食事量も安定して体調は快方に向かいました。1ヶ月もすると睡眠の質が相当に向上し、不安や苛立ちは激減して四肢の冷えも気にならなくなったそうです。

 私は呼吸器内科医であると同時に漢方医であって、ひとりの医者です。「自分の専門ではないから」という理由で逃げるようなことをしたくないのです。専門分野が次々と細分化し発展している昨今の医学情勢では、専門外まで網羅することは不可能です。わからないことには手を出さないという選択肢もあるでしょう。しかしそれをしてしまったのでは、目の前にいる人は路頭に迷ってしまいます。人が心や身体の不調を抱えていたら、なんとかしたいと思うのが医者だろうと私は考えます。自分の手に負えないかどうか、その判断は医者自身がすべき事柄です。自分の能力を超える病態に手を出して余計に悪化させたり手遅れになったりしたら大問題ですが、かといって突き放すようでは風情がありません。しっかり見極めて、必要に応じて然るべき専門診療科に紹介するのが筋でしょう。

 難しいのは、こうした診療は時間がかかるわりに保険診療の点数にならないことです。国の定める診療報酬は高額で最先端の検査や治療手技に傾倒し、伝統医学の居場所はどんどん狭くなっているのが実情です。致命的で不可逆的な病態の、しかも超高齢な方々の寿命をわずかに延ばすために膨大な税金が投入されている現状は、およそ健全な社会とは思えません。本人の命を本人の希望で延ばすなら批判される筋合いはないかもしれませんが、それにしても医療を支える血税を納めている国民には、その使い道を議論する権利があると考えます。さらに倫理的な問題は、多くの場合、延命治療の背景には現実を受け入れられない家族の混乱があるように感じることです。

 今世の命は有限です。

 私は何時そのときを迎えても後悔のないように今を精一杯生きたいし、不可逆的で致命的な状態なら延命は望みません。家族の最期は本人の希望に、と丸投げするのは無責任に感じますから、やはり家族にも「そのとき」には治る見込みのない延命治療などせずに苦痛緩和を中心に据えて、人生を全うして欲しいと願います。

 死を考えることは生を考えることと同義です。

 今この瞬間に、後悔のないように。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方と貴方の大切な人の命が美しく輝きますように。



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