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人にものを教えるとはどういうことか?

私は「人にものを教えることができるかどうか」は、「他者への想像力があるかどうか」に尽きるのではないかと思っている。

相手の頭の中で何か起こっているのか、どういう理解の仕方になっているのか、どういうことに喜ぶのか、それを想像することさえできれば、どう教えれば良いかは自ずと見えてくる。

「カチッ」という音が聞こえる程、生徒さんの中に「理解が入ったな〜」と思える瞬間がある。そういう理解の瞬間を得た生徒さんは、まずそのことは忘れない。

そして、そういう瞬間は、先生と生徒の間に電気が走るみたいな瞬間でもある。

たいていの人は、先生が生徒に教える、という風に思っているかもしれないけれど、それは違うと思う。

「先生はしゃべるのが仕事だ。」という言明も、確かに正しい。

でも、授業の主役は、先生じゃない。

ある学会の講演で、ある先生が言っていた。

これから必要になってくる力は、「聴く力」である、と。

そして、それはただ単に聞くことを指すのではない。

人が言っていることを本当に「聴く」というのは、容易なことではない。

その先生は、学生とのアポがある時でも、自分の体調などできちんと「聴く」ことができないと思った時は、延期してもらうとさえ言っていた。

私は、話すのはそんなに得意なほうではないかもしれない。

でも、聴くのは誰よりも得意なぐらいに得意。

その講演を聞いた時から、私は「話す先生」ではなく、「聴く先生」になろうと思って、生きてきた。

「聴く先生」にも、できることはたくさんある。

いやむしろ、先生こそ聴かなければならないのではないかと思う。

生徒さんの声に耳を傾けることによってしか、彼女/彼らがどのような理解の仕方をしているかは想像できないし、知ることもできないのだから、「聴く」ことができなければ、真の意味で教えることはできない、と思う。

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