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奇跡〜中学生のカプセル〜

 少し自宅内で探し物をしていたところ、本当に自分でも奇跡的な発見をしてしまう。
 SDカードを詰め合わせたガマ口があり、
『試しにセットして読み込んでみよう』
とサブ端末で読み込むと…そこには衝撃の写真がたくさん見つかった。
 今回はその写真の中から1つ。
 かつての阿漕駅を紹介しよう。

 阿漕駅は、和歌山県の『和歌山』から三重県の『亀山』までを結ぶ全長380キロ近い鉄道路線である。
 太平洋沿いに線路が張られ、途中の多気で参宮線と合流する。路線の全通は明治24年の出来事だ。
 そんな紀勢本線の中に阿漕駅は存在している。
 阿漕の次駅は『津』であり、平仮名にすると日本一短い駅なのは鉄道ファン、そして全国の駅の豆知識として周知されているところである。
 『津』の駅名として短さの方が際立つこの駅周辺であるが、そんな『津』から1駅多気方面に進んだこの『阿漕』も全国的にかなりマニアックな人気を誇る駅であった。

 阿漕駅の有名だったポイントに、この大きな『木造の駅舎』がある。
 しかし平成24年頃に老朽化を理由にして解体され、現在は残存していない。
 と、そんなウリである木造駅舎に関してだが写真は発見したものの肝心の駅舎は軽自動車のフレームインによって到底使い物にならないので、ホームの跨線橋から撮影したコチラの写真で代用していく。
 阿漕駅にかつて存在したこの木造の駅舎は、昭和23年に完成した2代目の駅舎である。
 初代の駅舎は空襲による戦災で消失し、写真に映る駅舎はそれ以降の物である。

 現在では駅舎と共にこの大きな上屋も撤去された。
 かつてこの阿漕駅では貨物列車の取り扱いもあったという。
 隣駅の津駅が旅客の拠点だったとすると、こちらは物資の輸送で紀勢本線を支えていたのであろうか。
 路線を走行する特急列車・快速列車たちはこの駅を通過するか行き違い待ちの為に停車しているだけの中継地点にしか使用されない駅である。
 ここまで大きな上家があると、さぞ特急列車や華のある観光列車が停車するのだろうかと思ってしまうが、そんな事は一切なく。
 紀勢本線・参宮線の普通列車たちをただ出迎えているだけであった。

 列車が停車するとこのようになる。
 戦災を潜り抜け建設された駅舎の中に停車する国鉄車両の姿。
 古き良き日本の郷愁、そしてありふれたかつて全国の都市に広がっていた情景の一部である。
 この駅舎とキハ48形気動車の共演という、もう二度と叶わない共演を撮影していたのを知って、自分は本当に驚愕した。
 写真を撮影したのは小学生〜中学生の頃である。
 まさかこうして記録を残しているとは、よく成し遂げたものだ。

 駅の柱には、こうして戦災から復旧し昭和の紀勢本線を見続けてきた証拠のようなものが残されている。
 塗装は既に剥がれかかり、木の地肌が見えている中に凛々しく残る『昭和23年』の文字には、当時幼かった自分も感嘆し、その中に微かな時間の長さや年輪の深さを感じさせるに充分な貫禄を見せてきたものである。
 この駅舎が令和になった現代に残っていないのは、非常に寂しい限りだ。
 歴史的な駅舎だっただけに、改めて色々な思いなどが募ってくる。

 阿漕駅駅舎の中から、改札の方面を向いた様子である。
 かつての窓口が広がっていたヶ所は閉鎖され、臨時の駅員や車掌が改札を行うラッチのような部分がある。
 そして切符を入れる箱のようなモノが確認でき、この駅は既に無人駅としての時間を刻んでいた。
 この駅を通学に利用していた母によれば、駅員が管理していた時代を覚えているそうだがその様子は今の寂れた哀しい時代と比較すると隔世の感覚を覚えるものだ。

 駅舎内部。
 ただただ広い天井が解放的で快適な空間を作り出している。
 写真は少しだけ加工したモノだが、この写真に映り込んでいない部分にはベンチが何脚かあったように思う。
 しかしこの駅舎の時代の阿漕駅を利用した時間は殆どなかったので、記憶は本当に乏しい限りだ。
 実は母と同じ学校に妹も下宿進学をし、この駅舎であった時代の阿漕駅を経験している。
 実に家族の中で母と妹が羨ましくなる限りなのだが、荘厳な木造駅舎と過ごした時間をどのように思って過ごしていたのだろう。

 駅舎内から外を見る。
 駅の周辺は何といった開発も大体なく、ロータリーが広がっているだけであった。
 時々、祖父の仕事で使用していた軽トラックでこの駅周辺まで送り届けてくれた経験があった。
 写真の先に見える道路を進んでいくと自動車の通りが多い道に出て、そこで一気に街の空気を浴びる事になる。
 そんな周辺の情景を思い浮かべて記していると、阿漕駅の木造駅舎があった空間は何処かそうした喧騒から切り離された特殊な空間だったのかもしれない。

 阿漕駅に入線するキハ11形。
 阿漕駅にはこうして1両のレールバスのような車両が入線してくる事も珍しくはなかった。
 参宮線の列車として各駅に停車し、伊勢・二見方面へ向かっていく。
 写真は恐らくであるが、祖母と二見浦にある水族館、二見シーパラダイス(現在・伊勢シーパラダイス)に向かう際に乗車した車両の撮影だったように思う。
 脆弱な記憶の中に思い出したが、この時期は小学生だったので祖父母によく孫らしいワガママを見せて困らせていたモノだった。
 この時は祖母の仕事を祖父が代わり、夏の思い出作りに祖母が駆り出された格好となっていた。
 そうした小さな記憶が微かに頭を過っている。

 最後に。
 本当に奇跡のような発見だった。
 この阿漕駅はかつてNHKのテレビ番組でも取り上げられ、その際には大喜びして番組を見た思い出が残っている。
 しかし、解体されて以降は
「もうこの阿漕駅の威厳を感じさせる駅舎には会えないんだろうなぁ」
なんて思いつつ日々を過ごすばかりであった。
 そうした中、自宅の中にあった1つのガマ口の中に見つけた奇跡の発見。
「あの駅舎を残している!!!」
という感動をいち早くお伝えしたく。共有したく今回の記事を創作した。
 少しだけだが、自分の感じた木造駅舎の思い出とその一部。
 そして、もう出会い、乗車する事の叶わない紀勢本線の仲間たちに想いを馳せるキッカケになれば幸いである。

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