抱負のような雑記、雑記のような抱負

今日は起きてからの体調もよく、(昨日は地獄だった)なかなかにヤル気が満ちあふれており、思わず朝からこんな文章をしたためております。

僕は本を読むとき、1冊の1章読んだら別の本を読み、その本でも区切りがついたらまた別の本を読みかじる、という反復横跳びのような読書スタイルなのですが、(たまに1冊一気に読める本もあるが)

現在は、中島らも氏(アル中でコピーライター出身、元フーテンの作家)の処女作、『頭の中がカユいんだ』を読みかけながら、労働についての新書、仏教思想に関する専門書、税金などについての本、などをちょっと読んでは横に飛び…と浮気性な読書をしています。(それぞれいつか書評をここかブログに書くかもしれません)

今自分の中には表現・芸術などの虚業…桜庭一樹氏の小説を引用するなら『砂糖菓子の弾丸(世界に対し実効力の無いもの)』と、労働、お金稼ぎ、などの実業…やはり彼女の言葉を引用すれば『実弾』の、2つが両輪となって人生を廻してゆかなければな、という感覚があります。
それはシャム双生児のように1本の根本から分かちがたく繋がっているものだと思うのです。

これまで僕は昔の文学青年もどきのような感じで、仕事しては挫折して、病気になって、でも表現はやって、生きる力…生命力が弱くて。でも詩や文章は書いて。と過ごしていく内に、
「仕事で挫折して病気になったし自分はお金を稼げない」
「芸術…表現だけが残ったからそれだけをしたい」
という思いに囚われていました。

しかし、それは『リアル』なのか??
『人間の生き様』として『精一杯』なのか?
とずっと自問自答していて。
村上龍の言う『肉体的であること』、中上健次の言う『働くことと書くこと』、僕が聴いてきたラッパー達の言う『リアル』…『等身大のリアル』…。

僕は、芸術だけに逃げる事を辞めました。
「出来ることはやってみよう。」
という思いで、ブログ、note、twitterを開設しました。
ここから何かが変わるかも知れない。
単価は安くても、ライティングの仕事がもらいやすくなるかも知れない。
お金を稼ぐ糸口になるかもしれない。
色々な出会いがあるかもしれない。
何より『経験』になるじゃないか。
無駄な経験などない。それが僕が人生で学んだ事です。

これからの文筆活動は、プロになれたらいいな、と大それた思いを持ちつつ、ただのPV稼ぎに終始しない、『言語職人』として『面白い』記事を書いていきたいと思っています。

意識せず何故か抱負を書いてしまいました。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
これからも何卒よろしくお願いします。

梶本

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