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我が骨法の正しきを見よ。ビジネスのあり方の日本と米国の違い

昔の人は「我が骨法の正しきを見よ」と言って弓を引いたという。

弓は骨格で引くことが基本中の基本であり、うまく骨が組み合わさっていれば、余分な筋肉を使わずにラクに引ける。つまり、矢をつがえた弓を打ち起こし、それから前後にゆっくりと引き分け、ピタッと会(矢が的を狙えている状態)が決まると、口割れ(口の線)より矢が下がらない。

骨を基準に身体が使えると、そういう型が自然とできるのだときいたことがある。これができないうちは、腕力に頼った打ち方しかできない。腕力だけで弓を引こうとしても限界がある。

ところが西洋のアーチェリー(洋弓)の場合、腕や背中の筋力で引く傾向がある。同じ弓でも身体の使い方が根本的に違っている。

なぜそうしたことが起きるかというと、矢をつがえる位置が正反対であることが最も大きな要因かもしれない。アーチェリーの場合、弓を持った手の左側に矢をつがえるが、それは的が真っすぐ、何の障害もなく見えるからだ。日本の弓のように矢を右側につがえると的に弓がかぶってくる。つまり西洋の弓は「的が見えやすい」ことを優先している。

なんだかこれは日米のビジネスの考え方に似ている。私がニューヨークでMBA留学をして、シリコンバレーの会社で働いていた時に感じたことだが、アメリカのビジネスは対象を細分化してそれぞれの部分で分析を重ね、それらを集計した形で全貌を捉えようとする

対して日本では、個々のデータの寄せ集めではなく、ちょっと離れたところから全体を俯瞰するように見て統括的な戦略を立てていく

日本の弓の凄いところは身体の動きを最大限に活かして引こうとするため、実際の弓以上の威力が生まれることだ。

昔は名人級の人が引くと、弱い弓でも、非常に大きな貫通力が出た。つまり、日本の弓は、弓という道具を借りて自分の身体に備わっている力を上手に使うことができる。弓で矢を飛ばしてはいても、実際には弓の使い手が主役であるということだ。

一方のアーチェリーは、あくまでも弓と矢が主役であり、人は余計な邪魔をしないで、マシンに近づけば近づくほどいい結果が出る

ここには西洋人と日本人の発想の根本的な違いを感じる。  日本ではあくまでも人が主役なので、道具はとても簡素になるということだ。

この考え方は、AIやメタバースにも通じるかもしれない。日本はどちらも世界に遅れをとっているが、日本の精神性は、いくらAIが高度になっても保たれるという希望的観測がある。

そのそも標的へのアプローチが欧米とは違うのだから、そのマネをせず、歴史的、文化的な見方に根差した、そして革新的な動きへと移行していくのではないだろうか。




画像は映画「弓」より引用

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