バルセロナの秘められた恋(フランス恋語㊻)
Mañana
6月24日、バルセロナ旅行2日目の朝。
私はホテルで出かける準備をしながら、昨夜のイヴとの出来事を思い出していた。
・・・なんでイヴはあの時、キスをしてきたんだろう?
思いがけず抱き合う態勢になってしまったから!?
二人ともアルコールが入っていたし、ライトアップされたサグラダ・ファミリアやお祭り騒ぎの喧騒とか・・・非日常な雰囲気も手伝っていたかもしれない。
でも、日本式の礼儀をわきまえたイヴが、一時の気の迷いであんな情熱的なキスをするだろうか・・・。
そんなことを考えているうちに、ロビーで待ち合わせの時間が迫ってきた。
私は一度思考をリセットし、イヴに対して何事もなかったように振る舞おうと思った。
「おはようございます。」
8:30ピッタリにホテルのロビーに降りると、昨日初めて会った時と同じ、とても礼儀正しい観光ガイド・イヴの姿がそこにあった。
昨夜キスした時のセクシーな雰囲気を纏ったイヴとは別人のようだ。
・・・やっぱり、あれは気の迷いだったのかな?
宿泊先のホテルからサグラダ・ファミリアまでは、歩いて15分ほど。
昨夜はイヴに肩を抱かれながら送ってもらった道を、今朝は節度ある距離を保ち、逆方向に歩いている。
同じ道なのにその違いを実感し、ちょっぴり寂しい気持ちになる。
イヴは歩きながら、これから観に行くサグラダ・ファミリアの説明をした。
【Sagrada Família】(サグラダ・ファミリア)
建築家アントニ・ガウディが1882年に設計を引き継ぎ、生涯をかけて取り組んだ教会。
生誕のファサードと地下聖堂はユネスコの世界遺産に認定され、毎年世界各国から観光客が押し寄せるスペインが誇る観光スポットである。
ガウディが亡くなった1926年以降も彼の構想が尊重され受け継がれており、ガウディ没後100年にあたる2026年の完成を目指している。
せっかくの説明も上の空で、私はイヴとのことばかり考えていた。
隣を歩くイヴの顔を見ても、サングラスをかけた顔からその表情は読み取れない。
昨日サングラスをかけることを許した自分を、ちょっと後悔した。
Sagrada Família
開場時間の9時少し前に、サグラダ・ファミリアに着いた。
事前にチケットを予約してくれていたので、私たちはスムーズに入場することができた。
いつもは並ぶといわれるエレベーターも空いていて、自然と私たちは二人きりになる。
・・・またキスをしてくれないかな?
わずかな期待を賭け、サングラスを外したイヴの瞳をじっと見つめてみる。
イヴは私から視線を外して、館内の説明を始めた。
やはり、これはもう諦めろということか・・・。
悲しいけれど昨夜のことは忘れて、普通の客として接することに決めた。
エレベーターを降りてさらに階段を昇ってゆくと、バルセロナ市街を望む絶景が私たちを待っていた。
遠くの方には海が見えて、朝日に照れされてキラキラ輝いている。
こうして見てみると、バルセロナの街は碁盤の目状に道路と建物が造られているのがわかる。
後ろから、イヴの説明の声が聞こえる。
「バルセロナは計画都市として拡張されていったので、整然としているんですよ。
もちろん、旧市街など例外もありますが。」
私は、”この声も安心感があって好きだな・・・”と、新たな魅力を発見してしまった。
景色を見終わると、塔の中の螺旋階段をぐるぐる回りながら降りて行った。
長細い隙間から見える外の景色に気を取られているうちに、思わず足を踏み外し転んでしまった。
イヴはすかさず手を差し伸べ、軽々と私を抱き起こしてくれる。
そこからは私の手を引いて、階段の一番下まで導いてくれた・・・。
その対応は、レディーファーストの国で生まれ育った彼にしてみれば、当然のエスコートなのだろう。
そんなことはわかっていても、私はドキドキする気持ちを抑えきれなかった。
地上に下りると、サグラダ・ファミリアの堂内に入った。
工事中の建物を観光地として訪れるのは不思議な感じもしたが、ある意味「今しか見られない貴重な現場」を見せてもらった気がする。
それを逆手に取った、”工事現場で作業をするお兄さんやおじさんたちをカッコよく写したのパネル”がそこかしこに飾ってあり、「ヨーロッパは裏方の見せ方が上手いな」と感心した。
なんでこちらの男の人は、いくつになっても魅力的なのだろう?
堂内を出ると、サグラダ・ファミリア内部の美術館に入り、ガウディオリジナルの模型や、彼にまつわる写真を見学した。
説明文がわからなくても、イヴが全部訳してくれるからありがたい。
最後にギフトショップで、ガウディの本やポストカードを買い、サグラダ・ファミリア見学は終了した。
建物を出ると、イヴが私に感想を尋ねた。
「サグラダ・ファミリアはどうでしたか?」
私は、将来の希望も含めてこう答えた。
「私がサグラダ・ファミリアの存在を知ったのは、バルセロナオリンピックの時にTVで見たのがきっかけです。
それからずっと行ってみたい所だったので、未完成の状態でも、本物を見ることができて嬉しい。
でも今回だけじゃなくて、2026年に完成したらまた見に行きたい。」
2026年・・・その時予約したらまたイヴに会えるのかしら?
そんなことまで考えてしまう私は、もう末期だと思った。
Palau de la Música Catalana
イヴの車に乗って、私たちはカタルーニャ音楽堂へ向かった。
車を運転しながら、イヴはカタルーニャ音楽堂の説明をした。
ここは、ガウディのライバルと言われていた建築家”リュイス・ドメネク・イ・モンタネール”の最高傑作らしい。
【Palau de la Música Catalana】(カタルーニャ音楽堂)
建築家リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー(Lluís Domènech i Montaner)によってムダルニズマの様式で設計されたコンサートホール。
1905年から1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした合唱団、ウルフェオー・カタラー(Orfeó Català、1891年設立)のために建設された。
この音楽堂の建設によりドメネクは1909年にバルセロナ市より賞を受けた。1997年、カタルーニャ音楽堂はユネスコの世界遺産に登録され、今日では毎年50万人以上の人々が交響楽や室内楽、ジャズ、伝統音楽などを楽しむためにこのホールを訪れている。
ガイドブックに載ってる写真も素敵だったし、イヴもお薦めと言っていたので、ここの見学もすごく楽しみにしていた。
館内見学希望の場合は見学ツアーの予約が必須で、事前にイヴが今日の13時のツアーを申し込んでくれていた。
館内に入ると、ガウディの作品とはまた違った、超ロマンチックな世界にうっとりした。
もし、もう少し自分がバルセロナに滞在できるのなら、ここで開催されるコンサートに行ってみたいと思った。
その時、イヴも一緒に来てくれたらいいのにな・・・などとつい妄想してしまう。
「イヴは、ここでコンサートを聴いたことはありますか?」
私の唐突な質問に、イヴは思わず正直な回答をした。
「そうですね、数年前に当時の彼女と一緒に行ったことがあります。」
私は、その彼女を嫉妬せずにはいられなかった。
7portes
ランチは、バルセロナで有名なカタルーニャ料理の老舗レストラン、7 Portes(セッタポルタス)へ。
このレストランは1836年創業という歴史を持ち、サービス係はホテルマンのようにパリッとした制服で、高級レストランのような落ち着いた雰囲気だった。
セッタポルタス特製のパエリアを食べながら、イヴは、カタルーニャとスペインとの複雑な関係について詳しく説明してくれた。
「カタルーニャ州は、バルセロナを州都とした、スペインの自治州です。
カタルーニャ人は、カタルーニャ語を話して暮らしています。
バルセロナを観光していると、スペイン語・英語とともにカタルーニャ語の表記を見かけたでしょう。
スペインは、複数の国が結合してできた国で、様々な民族の集合体なんです。」
私は、スペインへの旅の憧れが強いだけで、国の成り立ちや事情を知らない自分を恥じた。
私がスペインの一部しか知らないように、今、目の前にいるイヴのこともまだほんの少ししか知らない・・・。
Barri Gòtic
フライトまでまだ時間があったので、ゴシック地区と呼ばれる旧市街に連れられ、王の広場や、カテドラルを散策した。
イヴと一緒にいられる時間もあと少し・・・。
私は残された時間を噛みしめるように、バルセロナとイヴの風景を目に焼き付けた。
旧市街散策を終えると、イヴは私を空港まで車で送ることになっていた。
Confesión
私たちは空港の出発ゲート前にいる。
とうとうイヴともお別れだ。
「Merci beaucoup, Yves!! J’étais heureuse d’être avec toi.」
(ありがとう、イヴ。私はあなたと一緒にいられて幸せでした。)
最後の挨拶は、心を込めて彼の母国語であるフランス語で言ってみた。
その言葉を聞いたイヴは表情を変え、感極まったように私を抱き締め、熱いキスをした。
長いキスの後、イヴは意を決したように、自分の想いを語り始めた。
「レイコさん・・・。
昨日から言おうかどうか迷っていましたが、最後だから言います。
一緒に過ごしているうちに、私はあなたを好きになってしまいました。
昨夜キスした後も、本当はもっと一緒にいたかった。
仕事とプライベートを一緒にしてはいけないと思い自分を抑えていましたが・・・やっぱり、もう会えないのは辛いです。」
「イヴ・・・!?」
イヴの表情は真剣そのものだ。
強い意志を感じる琥珀色の瞳に、また吸い寄せられそうになる・・・。
「レイコさん、またバルセロナに来て会ってくれませんか?
休みの日に私がパリに会いに行ってもいい。
もう二度と会えないなんて、耐えられません。
私はあなたを失いたくない。」
イヴの告白に私は驚いた。
さっきまであんなにビジネスライクに接していたのに・・・。
イヴの気持ちは本当に嬉しかった。
私も彼に惹かれている。
でも、私は遠距離恋愛できる女ではない。
それはトゥールのラファエルとの失敗で経験済みだ。
私は心を落ち着けてから、正直な気持ちを話した。
「私もあなたに惹かれているし、できることならずっと一緒にいたい。
でも・・・私はすごく寂しがり屋だから、遠距離恋愛は無理なの。
バルセロナは大好きな街だけど、私はビザもないしスペイン語も話せないから、ここに住むことはできない。
パリで仕事もあるから、ずっと離れていられないし。
だから・・・ごめんなさい。」
気が付いたら、涙が溢れていた。
イヴはしばらく黙っていたが、最後にこう言った。
「わかりました・・・。
でも、メールを送るくらいはいいですよね?
パリに行く時は連絡するので、また会ってほしいです。」
そんなことを言われても、先のことなど考えられるはずがない。
「メールをくれるのはいいけど、パリで会えるかどうかはわからない・・・。」
イヴは名残惜しそうに私を見つめた。
しかしフライトの時間は迫っており、私たちは離れざるを得なかった。
Paris
パリのシャルルド・ゴール空港に着くと、ロワシーバスに乗って終点のオペラ・ガルニエに向かう。
私はバスの中で、デジカメに収められたバルセロナの写真を眺めていた。
たくさんの風景写真と、イヴが撮ってくれた私の写真、そして、私がふざけて撮ったイヴの写真も数枚あった。
それらは楽しい思い出だが、パリに戻った今、全ては過去のこととして置き換えられてゆく・・・。
「私の現実はパリであって、バルセロナではないのだ。」
・・・まるで夢から覚めた心地だった。
数時間前、涙を流してイヴとの別れを惜しんだ自分が、別人みたいに思えた。
数日後、イヴからメールが届いた。
それは、ガイド利用に対するお礼を述べた儀礼的なものだった。
私心を捨てて、日本式のビジネス仕様に戻ったのだろう。
・・・きっと彼も、ひと時の夢から目が覚めたのに違いない。
私はそのメールに返信はしなかった。
こうして、たった2日間のバルセロナの恋は終わった。
イヴとの思い出は、甘くて切ない旅の思い出として、私の胸に刻まれている。
7月、自分の”現実”であるパリで、またしても様々な出会いが私を待ち受けていた・・・。
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