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等々力渓谷でサボタージュ(フランス恋物語110)

及川類との電話

1月7日、ひょんなことから及川さんと連絡先の交換をすることができた

その夜の初電話で、彼は私にこう言った。

「俺だったら、ずっと玲子ちゃんを大切にするのに。」

・・・それって、愛の告白と受け取っていいのだろうか?

でも、チャライ及川さんのことだから、その真意はわからない。

このままだと夜の電話の雰囲気に呑まれそうで、私は早めに切り上げることにした。


せっかく教えてもらった電話番号なのに、彼のことを好きになるのが怖かった私は、自分から電話をかけることはできない。

及川さんも気を遣ってか、それ以来かけてこなかった・・・。


しかし、同じ職場の私たちは、毎日不動産屋で顔を合わせる。

そこで、二人が親密になる出来事が再び起こるのだった。

招かれざる客

1月18日、月曜日。

私と及川さんは、ある一人の男性客を内見案内することになった。

その人は誰もが聞いたことのある超有名企業の社長で、私が苦手とするタイプのエラそうなおじいさんだ。

彼が来店時、他のスタッフはみんな接客中で、仕方なく私が対応することになった。

接客を始めると、私が女と言うだけで不愉快な態度を見せる。

あぁ、イヤだな、すぐに帰ってくれないかな・・・。

それでも部屋は内見したいと言うので、さっき接客を終えたばかりの及川さんも、一緒に同行することになった。

憂鬱だった私も、彼も付くと聞いて少しは気が楽になった。


自由が丘のある店舗から案内先の尾山台まで、三人は車で向かった。

尾山台は、昔から政治家や芸能人が多く住む高級住宅街だ。

いかにも金持ちそうなこの老人も、尾山台という土地に目を付けていると言っていた。

車での移動中、彼はずっと及川さんにばかり話しかけている。

「いや~、初めから君が接客してくれれば良かったのに・・・。

部屋を借りるという大きな選択をするのに、女の言うことなど信用ならん。」

え~、今時そんなこと言う人いる!?

あまりの時代錯誤ぶりに、私は腰を抜かしそうになった。

「いえいえ、彼女も結構活躍してるんですよ。」

及川さんはフォローをしてくれたが、そのジジイは全く聞く耳を持たなかった。

La colère

実際に部屋に案内してみると、それは彼の気に入るものではなかった。

「部屋の雰囲気が思っていたのと違う。」と言い、明らかに不機嫌な態度に変わった。

私が部屋の説明を始めると、それが気に入らなかったようで、激しい剣幕で怒鳴りだした。

「お前、俺を誰だと思っているのか!?

俺がこんな部屋に住むわけがないだろう!!

こっちは忙しい中、わざわざ来てやってるんだ。

わかってるのか、おい!!」

・・・え!?

私は今までこんなに怒鳴られたことがないので、驚きのあまり固まってしまった。

「まぁまぁお客様・・・。」

及川さんがなだめようとすると、それは彼の怒りに火を注いだ。

「もういい、もう二度とお前らの店にはいかん。

一緒にいると不愉快だ。

俺はもう帰る。

送っていただかなくて結構!!」

そう言うと、さっさと出て行ってしまった。

部屋には、茫然と突っ立っている私と及川さんが取り残された・・・。

La vallée

「イヤイヤ、あのジジイは特別だよ。

玲子ちゃんは何も悪くない。気にすることないよ。」

帰りの車中、及川さんは落ち込む私を励ましてくれた。

なおも私が無言でいると、彼は思い付いたようにこう言った。

「そうだ、いい所に連れていってあげるよ。」


連れて来られたのは、尾山台と隣接する等々力渓谷だった。

「ほら、あんまり時間ないから。早く車降りて。」

及川さんに促され車から出てみると、そこには都心と思えない豊かな緑が広がっていた。

「すごい・・・何これ!?」

その景色に見とれていると、彼は私の腕を引いて言った。

「そこの階段を降りると遊歩道に出て、渓谷が見えるよ。

ちょっと散歩して気分転換しよ。」

気が付けば、私は及川さんに手を繋がれていた。

さっきのショックで気が動転している私は、言われるまま彼に付いて行った。


自然に囲まれ、川のせせらぎを聞いていると、だいぶ気分も落ち着いてきた。

そして今、私は及川さんと手を繋いで歩いている。

私の好きな彼の香水の香りが、ふんわりと鼻腔をくすぐった。

いつからだろう、彼に対してこんなに安心感を持つようになったのは・・・・。

彼と出会って1ケ月以上経ち、チャラ男じゃない面もたくさん見てきた。

気が付けば、及川さんへの警戒心もほとんどなくなっている。

「どう?少しは落ち着いた?」

「はい・・・。」

「それなら良かった。」

及川さんはホッとしたような笑顔を見せると、私の顔を覗き込んで言った。

「玲子ちゃん、せっかく番号交換したのに、なんで電話くれないの?」

「それは、あなたを好きになるのが怖いからです。」と言いたくなるのを飲み込み、私は適当な理由を言った。

「ほら、社員の方は毎日夜遅くまで仕事してるし、電話したら迷惑じゃないかな?と思って・・・。」

彼は切ない表情で言った。

「迷惑な訳ないだろ。それなら番号教えてなんて言わないよ。

俺はもっと玲子ちゃんを知りたいし、仲良くなりたいんだよ。」

・・・それって、どういうこと!?

今手を繋いでいるのだって、”私だけ特別”だと思っていいのだろうか?

及川さんがイケメンすぎて、つい誰にでもしてるんじゃないかという疑念が沸いてきてしまう。

「玲子ちゃん・・・。」

彼が何か言いかけようとした時、仕事用の携帯電話が鳴った。

それは店長からのもので、及川さんは「すみません。すぐ戻ります。」と返事すると、「車に戻ろう。」と私を促した。


帰りの車中で及川さんは言った。

「仕事中だと、なかなかゆっくり話す時間なんてないね。

・・・玲子ちゃん、明日の仕事帰りって空いてる?」

え、それって何かのお誘い?

「はい・・・空いてます。」

すると、軽い感じでこう言った。

「ならさ、ご飯食べに行こう。

俺、玲子ちゃんに話したいことたくさんあるんだ。」

及川さんに食事を誘われるのは、これが初めてだ。

私だって、もっとあなたのことを知りたい。

もう逃げるのはやめて、ちゃんと及川さんに向き合おうと思った。

「はい、私も行きたいです。」

・・・こうして私たちは、翌日のディナーの約束を交わしたのだった。

Le rendez-vous

その夜、及川さんから明日の待ち合わせについてメールがあった。

明日の夜の待ち合わせだけど、20時に渋谷の××××っていうビストロでどうかな?

あ、ここ前から言ってみたかったお店だ。

さすが、モテそうな彼はよくアンテナを張っているなと感心した。

そのお店、行ってみていたかったお店なので嬉しいです。
では、20時に待ってます。

彼からはすぐに返事が来た。

仕事終わりすぐに駆け付けるけど、もし遅くなるようなら、先に入ってて。
好きな物注文してくれていいから。
「及川」で予約してるよ。

やっぱり社員さんは忙しいんだな・・・。

及川さんを待っている間、フランス語のテキストを読んで待っていようと思った。

わかりました。
本読んでいるので、待つのは大丈夫です
では、また明日。
おやすみなさい。
明日楽しみにしてるよ。
おやすみ。

私は、及川さんとのデートが楽しみすぎて、ニヤニヤが止まらなかった。


明日の今頃、私たちは仕事を離れて、初めて二人っきりの時間を過ごす。

そこで私は、及川さんの知られざる苦悩を知ることになるのだった・・・。


ーフランス恋物語111に続くー

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