佐藤久

舞台演出家。ギター弾きます。HR/HM聴きます。偏愛するもの=人形/ロボット/ハードS…

佐藤久

舞台演出家。ギター弾きます。HR/HM聴きます。偏愛するもの=人形/ロボット/ハードSF/ステージ上の美しい人

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活動(演劇/音楽/文芸)

その① 演劇活動 演出家。1982年生まれ。古典や小説を、人形の体の一部を使う『擬人体』という特殊な手法(ほぼどんな場面も上演可能)で上演している。 演出作品 2016年1月 幻想擬人劇『志賀寺上人の戀』 作 三島由紀夫 池上・古民家カフェ 蓮月にて 2016年9月 「擬人体」クローズド試演会② 2015年8月 「擬人体」クローズド試演会① 2012年11月 The Three WithHISA『瀕死の王』作 イヨネスコ『瀕死の王さま』より 東中野RAFTにて 2012年7

    • 舞台芸術(音楽ライブ含む)の一回性について

      昨今、音楽ライブを中心に、観客のスマートフォンによる静止画・動画の撮影およびネットへのアップロードが増えてきた。 禁止にする公演(主催者の意向かアーティストの意向かはケースバイケースだ)もあり、むしろプロモーションのため推奨する公演もあり、対応は別れている。どちらも間違いと正しさを含んでいると思う。また、禁止ではないが、できるならやめてほしいというニュアンスのお願いを出している公演もあるし、禁止にはしないが個人的には好きではない、と公言するアーティストもいる。 そのお願いや、

      • 丘の上の異界〜寺崎英子の写真によせて

        宮城県北部にある、とある鉱山跡。 ここは、小学校高学年〜高校生までのわたしの大切な異界だった。 わたしが生まれ育った農村では、わたしは完全に余所者だった。彼らが悪いわけではない。人の笑顔や手作り料理のやりとり、地元への愛着、家族など、ふつう安らぐものが、なぜかわたしは気持ちが悪く、不安になり、少しでも離れたいものだったというだけだ。 その時間は隔絶されていられるので、読書と、詩や小説を書くこと、高校生になってからは戯曲を書き演出することに没頭していた。気持ち悪いものに取り

        • 【絵】20231120

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        活動(演劇/音楽/文芸)

          好きすぎて名前も言えない

          わたしには敬愛するギタリストがいる。 別に隠す必要はないのだが、ファン仲間以外の前で彼の名前を言うことができない。言わなくてはならない場面では、彼の名前ではなく単なる音の連なりだ、と一旦自分を説得してから言う。 そうでないと、呼吸が詰まってしまって名前が言えないのだ。戸惑って、でも話を続けるためにあの呪わしい言葉を使う。「推し」が、と。 理由はいくつか思い浮かばなくもないが、呼吸がつまるほどのことではない。恋か。恋なのか。まあ恋心に似たものが全くないと言えば嘘になるが、それに

          好きすぎて名前も言えない

          星が堕ちたとき

          あまりに心の穴が大きくて書き殴る。 こういう使い方はしたくなかった、でももう、だめだ。 hideが亡くなったとき、中学生だった。私にBLUE BLOODを貸してくれた友達が泣き崩れていて、隣で手を握った。 ピンクスパイダー。GOOD BYE。beauty&stupid。心の大きな部分にhideの形の穴が空いていた。自ら死を選ぶわけがないと私にはわかっていた。なぜなら、ピンクスパイダーを、聴いていたから。聴いて、彼の心に触れていたから。 TVでコメンテーターがピンクスパイダー

          星が堕ちたとき

          41歳の声変わり

          41歳2ヶ月で声変わりした。 コロナ禍によるライブの無い期間、および声出し禁止ライブ期間を経て。約3年。全力で叫んだことがなかった。 わたしは一番好きなバンドのライブではメンコ(好きなメンバーの名前を呼ぶこと)とアンコールに命をかけていて、ちょっと叩かれるくらい常に絶叫してきた。アンコールは本編終わってからメンバー出てくるまで本当に絶叫する主義だ。レスが欲しくてやっているわけではないが、指差しとかされるとガッツポーズだ。 声出し解禁ライブ初回は、もう二度とメンコできないかもし

          41歳の声変わり

          ピグリマリオン

          人間に似た人間でないものが好きだ。 人形、ロボット、屍体。同じ理由で俳優もミュージシャンも、プロ野球のピッチャーも好きだ。磔刑のキリストも、天使や悪魔も好きだ。 人体はとても美しいと思う。とくに十全でないときの。つまらない芝居を観ていなければならないとき、わたしは俳優の足首から下を眺める。足だけは、どんな人でも面白いから。視覚で切断して見ていれば美しいから。 絵の才能はないが、美術解剖学の教科書を眺める。 身体の延長になる楽器も好きだ。弦楽器が好きだ。音楽の才能はないが

          ピグリマリオン

          恋愛詩①

          ごく暗い部屋 私はあたたかい他人に守られている 侵さないという点で 他人はとてもやさしい 毒のある花を部屋に入れなくなり わたしは死にたくならなくなったが 宇宙の腹を切り裂く力を失ったような気がする 私は二度と彼に会わない 恋はすぐに頭をもたげる もし彼が今にも死にそうな顔をして 抱きしめてくれと泣き出したら 私はそれに抗えない 苦しみとストーリーがあれば 私はたやすく人を愛しうる でも、抱きしめたら焼け死んでしまうのだ、ふたりとも 嗚呼、あなたに愛があるように祈ろう

          きみどり〜新古今和歌集仮名序より

          (だいぶ前にご依頼いただいて上演されたことばが出てきたので載せます。気に入っている作品です。) 人間が森の中で死んだ うずくまり すべてに恥じ入るように身体を曲げて 森の中の死体はいずれ苔むし 無数の芽を吹く 心にあらかじめ植え付いた種が芽を吹く 種はしろい根を出し 筋肉の隙間に 爪の隙間に びっしりと すきまなく張り 内側に詰め込まれた親の世代のエネルギーを吸って それを守っていた殻をずらし ずらし  生きていた人間には大量の枝が繁っていたので 風が吹くた

          きみどり〜新古今和歌集仮名序より

          両手に持ったままでは何も手に入らない

          引っ越すことにした。二人から一人になったのと、異動希望を出したら叶ったので、異動先の近くに住もうと思ったのと、20年前に住んでいた街に最近行く機会があって、都心に近い下町に住んで、劇場やライブハウスやミニシアターに行きまくっていた生活をもう一度送りたいと思ったからだ。 それを誇るような気持ちは本当に微塵もないのだが、何度も何度も、持っているものを全て手放して状況をナイフで切り裂くようにして外に行くということがあった。人間関係リセット癖ともいう。もちろん損得で考えれば大損だし

          両手に持ったままでは何も手に入らない

          『此処が底か?』

          これはDIR EN GREYの名曲、“VINUSUKA”の歌詞の一節。 これ以上悪いことは起きないだろうということが数珠繋ぎにどんどん起こって、善くしようと思ってやったことが尽く悪い方に転がって、悪いことが悪いことを呼んで、本当にもう何もしないことが一番よいのではないかと思うときがあった。鬱なんてものじゃない、自分が諸悪の根源で、腐った生ゴミに少しずつ変わっていくような感じ、そういうときがあった。 あまり記憶がないが、その頃にこの曲が入っているアルバムを買ったらしい。

          『此処が底か?』

          絵「優秀さ」

          絵「優秀さ」

          死ぬ練習

          何回か死のうと行動したことがあり、その中で一番やばかった時は、少しずつ3ヶ月くらいかけて身辺整理をした。ただ元々物が多かった上にコレクションに依存していたので、整理しても整理しても身辺整理が終わらず、そのうち入院することになり、入院したら回復して死なないで済んだ。物が多いと死なないで済むことがある。 でも持っているものが少ないといつでも飛べる。 最初に上京した時は、服と本とCD、段ボール5箱で来た。4畳半、ベッドと机とクローゼットと小さい水道がついている女子寮。生活がわか

          死ぬ練習

          Schadenfreude

          Schadenfreude

          帰れる場所の話

          新木場スタジオコーストが閉館した。 ここは一番行ったライブハウス。人生の一部であるDIR EN GREYのホームともいえる箱で、なんと74回もの公演回数を誇る。そのラストライブ2DAYSの1日目、プラチナチケットが幸運にも手に入り、ライブに行くことができた。 初めて行ったのは04年。大学を中退して演出の見習いを始め、昼はバイトをして夜は稽古、その後自分の作品を書くという生活をしていた。夕飯は稽古場に行く途中で食べるコンビニのおにぎり。ずっと怒られていて、もう最低最悪な使え

          帰れる場所の話