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両手に持ったままでは何も手に入らない

引っ越すことにした。二人から一人になったのと、異動希望を出したら叶ったので、異動先の近くに住もうと思ったのと、20年前に住んでいた街に最近行く機会があって、都心に近い下町に住んで、劇場やライブハウスやミニシアターに行きまくっていた生活をもう一度送りたいと思ったからだ。

それを誇るような気持ちは本当に微塵もないのだが、何度も何度も、持っているものを全て手放して状況をナイフで切り裂くようにして外に行くということがあった。人間関係リセット癖ともいう。もちろん損得で考えれば大損だし、それがなければできたことがたくさんあるだろう。
それでも持っているものを手放してでも見知らぬ世界に身を投げ出したいと思うことがあるし、行動する。かつて繰り返していた自傷行為や自殺未遂も、そういう気持ちの発露だったんだろうと今では思う。

大切にしていたものを自ら粉々にして、粉々になったものをじっと見つめている時間がある。そして粉々になってしまったのだから、先に行かざるを得ない。

一番古い記憶では、たぶん3歳くらいか、お気に入りの陶器の水色のスプーンがあった。それでないと食べないというくらいお気に入りだった。ある日私は何かで食事中に癇癪を起こし、そのスプーンを勢いよく投げた。スプーンは粉々になってしまった。ものすごく悲しかったし、それを自分がやった行為の結果だということに深く傷ついた。けれど確かそれをきっかけに私はフォークやお箸を使うようになった。あのスプーンのことは今でも忘れられない。大好きなスプーンだった。

高校生のとき、高校演劇をやっていて大切な仲間ができて、積み重ねでそれなりの作品を作れるチームが出来た。受験校だったので2年生の3月が卒業公演になったが、そこで私は、そこまでの積み重ねを安全に実行できる作品を上演すればよかったものを、「全編アドリブ劇」というのをやった。もちろんメンバーの許可を得たことだったが、結果は(もちろん価値のあることだが)作品としては失敗だった。大切なメンバーの高校生活の思い出を粉々にしてしまったと思い深く落ち込んだ。挑戦の結果だったと正当化するにはあまりに重い罪だ。30歳くらいまで本当にずっと申し訳なかった。

好きになって付き合った人とも、一人として穏便に別れていない。

人にはけしておすすめしないし、自分もそうでない人生を送れたらどんなに良かったかと思う。

今回も、本当に許せない出来事があって、たぶん普通の人ならもう少し穏便に済ませるようなことを、かなり粉々にした。運も悪くて、本意でない方向からコテンパンにやっつける結果になってしまい、味方もいたが、その中であいつは敵だ味方だとなるのがあまりに嫌で、一人で抜け出してきた。これ以上は差し控えますと言って。

壊さないといられない。両手に持ったままでは何も手に入らないのだ、わたしは。死ぬ時はスーツケース一つすら持っていけないのだ。

次に粉々にするものは何だろうと怯えてもいるし、その先で手に入る未知のものに期待もしている。

混合状態で、とにかくこのギターだけは壊さないよう、引っ越しトラックに載せずに自分で背負って行こうと思った。

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