好きすぎて名前も言えない
わたしには敬愛するギタリストがいる。
別に隠す必要はないのだが、ファン仲間以外の前で彼の名前を言うことができない。言わなくてはならない場面では、彼の名前ではなく単なる音の連なりだ、と一旦自分を説得してから言う。
そうでないと、呼吸が詰まってしまって名前が言えないのだ。戸惑って、でも話を続けるためにあの呪わしい言葉を使う。「推し」が、と。
理由はいくつか思い浮かばなくもないが、呼吸がつまるほどのことではない。恋か。恋なのか。まあ恋心に似たものが全くないと言えば嘘になるが、それにしても。
何度も、彼を称える文章を書きたいと思った。彼のことを知らない人、もしくは、知ってはいるがギタリストとしての印象が薄い人に素晴らしさを伝えたい。でもどうしても言葉にならない。論理的に事実を積み上げて紹介しようと書くと、なんだか彼よりも小さくなってしまう。熱量で感動を伝えようと書くと、熱狂的ファンの一人語りになってしまう。そうじゃないんだ。世界の宝なんだ。儀式を司る司祭なんだ。ほら、狂った賛辞しか出てこない。
あるとき、配信で、彼が、彼の敬愛するギタリストについての話を振られていた。
彼は、そのギタリストの名前を言うのに一瞬躊躇った。呼吸を飲み込んでから、なんでもない単語を言うようにその人の名前を言った。
そうか。
そうですか。
そして私はこれを書いてもなお、最後まで彼の名前を出せないのだった。
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