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しあわせとは

1月31日までに何か記事を書くといいらしいのですが、学期末の忙しさから解放されたばかりで筆が進まないので、ジェンダーの授業で書いたレポートを載せてみます。

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 授業では、李琴峰さんの「独り舞」を扱った。「独り舞」のあらすじの一部を、レジュメより引用する。

 初恋の人である施丹辰と出会った小学生の頃、台湾の彰化県で生まれた「彼女」は、生まれてきたときにつけられた「迎梅」という名前で呼ばれていた。「彼女」は、「物心が付いた時から、自分が人と違う」と感じており、「お姫様と王子様が結ばれる童話」ではなく、「オズの魔法使い」に登場するドロシーに自分を重ねて、美しい北の魔女への憧れを抱いている。

 「お姫様と王子様が結ばれる童話」というのは、いわゆる「ハッピーエンド」の物語だ。しかし、「独り舞」における「彼女」が心惹かれたのは、そのような物語ではなかった。このことから、「ハッピーエンド」とは何かということを考えさせられた。

 「お姫様と王子様が結ばれる童話」のように、男女が結ばれたり、結婚したりして終わる物語は、「ハッピーエンド」の物語とされがちだ。しかし、様々な性的指向をもつ人がいる中で、「男女」が結ばれるというのは、必ずしも当たり前のことではない。また、同性婚が認められていない日本において、「結婚」に至る権利すら与えられていないカップルがいるのも事実だ。男女が結ばれたり、結婚して終わったりする物語を「ハッピーエンド」だとする考えにおいて、そのような人々の存在は排除されている。

 ただ、そのような終わり方をしない物語もある。2016年に放送されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」は、津崎平匡と森山みくりの関係を描いたものだが、最終回は、2人が未来のいろいろな選択肢を想像するシーンで締めくくられた。2人が結婚して終わるのではなく、将来の選択肢の 1 つとして「結婚」が提示される形になっていた。平匡役を演じた星野源さんは、自身が出演するラジオ番組でこの終わり方に触れ、次のように話している。

 世の中に「自分は幸せじゃない」って思ってる人ってめちゃくちゃ多いじゃないですか。で、社会が提示する幸せに対して「それが幸せなんだよな」って思いつつ、どうしてもそこに行けない人たちがいて。で、やっぱり「物語の中とかメディアの中に自分の姿があるっていうことがどれだけ救いになるか?」って話だと思うんですよね。

 物語は、小説・漫画・映画・ドラマなど、様々なメディアを通して提供される。その影響力は、非常に大きい。特に童話や絵本は、幼少期の段階から触れるものであり、人々に特定の考えを植え付けてしまう可能性もある。マジョリティーに向けた物語ばかりが紡がれてしまうと、そこに描かれている「幸せ」といった価値観が、あたかも全ての人間にあてはまるかのような錯覚を、物語の受け手が抱くかもしれない。星野さんが言うように、物語の登場人物に自分の姿を重ね合わせることができれば、それが救いになることがある。マジョリティーの人々だけでなく、様々な人が救われるように、多種多様な物語が紡がれていってほしい。また、物語の受け手は「他者も自分と同じように物語を受け止めているだろう」などと安易に考えてはいけない。

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最後に、このテーマにまつわる言葉をいくつか置いておきます。

私が幸せなのは 夫がいるからじゃない
好きになった人に 好きになってもらって
一緒に暮らしてるから 幸せなの
私が幸せなのは 子どもがいるからじゃない
うちの子が世界一素敵で 大好きだから幸せなの
何かに属しているから幸せなわけじゃない
姉ちゃんの恋人/岸本沙織

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