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短編小説『Hurtful』 第11話 「第一の手紙、そしてコメダ珈琲」

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部屋にはベッド、棚付きの箪笥、丸椅子が一脚あるが、机がない。また、ちょっとした台になりそうな気の利いた余分なものも一切置いていないので仕方なく、大学の教科書をベッドまで持ってきてそれを下敷きにして手紙を書くことにした。
 拝啓、岩倉先生、と書いた。
私はもう、六年か七年くらいカウンセリングに通っている。
ここハピネス・ウィル・サンクチュエール精神科病院とは別の機関で、そこは病院ですらなかった。私がみてもらっている岩倉先生という人も、精神科医ではなく臨床心理士だ。
書くことは特に決まっていなかった。

状態はあまり良くなっていないし、酷い日もあり、薬も変わらないので日々不安だという旨を少し書いたが、そこから先の内容は入院生活に関係のないことばかりになった。脱線していくままに任せた。
しかし何も考えずに適当に書いているかというとそうではなく、私のなかにあるものを忠実に形象することを真面目にやっていた。この手紙を出しても、返事を貰えるわけではないことは分かっていた。届きましたというメールがくるわけもないだろう。

もとより私は、パソコンや携帯電話が得意ではなかった。
私は紙に書くことが一番楽しかった。体を使って直接出てくるようなものが良かった。これまでのカウンセリングでも、書いたものを見せたときのほうが上手く伝えられるときが度々あった。見えにくいものを目で見えるようにできると嬉しかった。そして私は常に出来るだけ、美しいものをつくりたかった。

出来上がった手紙は、塗りつぶしばかりで字も美しくはないが、私の痕跡がそのままあった。

言葉が連鎖していく様を見て、岩倉先生が私を認識してくれる。



その日の午後、黒田さんが、
「ここに入院してる人達、外出とかしてるよね?患者同士で外出することもできるの?」
と、私に聞いてきた。

そうか。黒田さんはこういう病院のルールあんまり知らないんだよなぁ。

「いや、それは禁止されているんですよ。そんなことバレたら大変です」

「ああ、そうなんだ」

「でも実は、あっち行ったとこにファミレスあるじゃないですか。例えば、誰かが外出届を出してそこに行く。それでもう一人の誰かが、少し時間をおいてから外出届を出して、実はそのファミレスで落ち合って、ドリンクバーしながら内緒で一緒に過ごしたりする人も、結構多いみたいですよ。戻る時間もずらしてるから、バレないんです」

これは事実であった。しかし、何で私はこんなオウンゴールをかましてしまったのだろうか。

「あー。そうなんだ。え、じゃあ、今度一緒に行かない?」
 こうなるよね。
「まぁ、もしお互い調子が良い日があったら」

情報を聞いて以来、黒田さんは行きたくて堪らなくなったようで、話をどんどん前に進めていた。


結局。
「明日行く時さぁ、俺、まず自分の部屋から壁をトントン、って軽く叩いて、合図するよ。そしたらさとみも、十五分くらい経ったら外出届出して、横の駐車場のあたりに来てよ。俺、居るから」

またも猪口才な計算をしやがる。
しかも、なぜ駐車場のあたりから一緒に行くのか。先に行って店に入っていればいいじゃないかと怪訝におもったが、とにかく明日が憂鬱だった。
何より嫌なのは壁を叩く合図のことで、つまり、黒田さんと一種の緊張状態の共有をしなければならないという気持ち悪さだった。

かくして次の日がやって来た。

午後。私は壁をノックする音を耳にし、しばらくしてから約束通りに外へ出て、駐車場のほうへと向かった。気が重かった。ドリンクバー。これ以上何を話すことがあるのだろう。しかもこんな規則違反、したくない。
他の患者達がこっそりと秘密裏に、外出先で密会しているようなことは以前から知っていたけれども、私はと言うと今回を含め四回の入院でただの一度もそのようなことをしたことをしたことはなかった。

これが結構な上級者テクだということを黒田さんは知らない。
もう背負えない。私は、毎日奥さんが面会に来るたびにパチンコ行ってる登郷さんとは違うのだ。

駐車場に、黒田さんの姿はなかった。
あれ、とおもって見渡すと、路肩に一台の車が止まっていた。
エンジンをかけたその車の中に、黒田さんが居た。


「あ、来た来た。乗って乗って。何も問題なかった?」

言ってたことと全然違う。黒田さんは涼しい顔をしている。
とりあえず、乗るしかなさそうだった。

「スポーツカーなんだよね」

「スポーツカー乗るの初めてですよ」
茫然自失状態から言葉を絞り出すと、黒田さんのテンションは上がった。ニヤニヤしながら、

「じゃ~スポーツカー処女貰っちゃっていいですか~?」
などと下品なことを言う。私は、己が口惜しい。

「はは。黒田さんウケる」
ウケねぇし。

黒田さんは、とある地名を挙げて説明をはじめた。
「あそこにさ、コメダ珈琲があるの分かる?そこならさぁ、静かだし、ゆっくり落ち着けるし、珈琲も美味しいしさぁ。いいとおもったんだよね」

なるほど。そんな地名知らぬが、とりあえずこの人と二人きりでそんなとこまでスポーツカーで行く。私は本当にショックを受けていた。ファミレスよりかはやや照明が暗いコメダ珈琲。薄気味悪い。

けれど私はもう、何も口を挟まなかった。心の中ではこの因果を嘆き、黒田さんを罵り、こんなことになるんならあんなに優しくしなければ良かった。と、自らのアガペーの精神を粉々に打ち砕き、これ悩むのも何度目だよとかおもいながらも、良い人面をやめることが出来なかった自分を悲しみ、滑稽にすらおもい、けれど全ては自分が悪かった結果だ。黒田さんをここまで調子に乗らせたのは私だ。身から出た錆だ、などと自責、愚行を振り返っていた。

そんなことを考えているとはつゆ知らず、黒田さんは、私の優しさもどきに包まれながら毎日を生きていた。私のことを女神か何かのようにおもい込み、今日この日は奇跡であり、何かからもたらされた恩寵であり、純愛デート中みたいな顔で運転をしていた。

「俺さぁ、会社経営してるって言ったじゃん?部下が三百人居て。でも本当は、警察官になりたかったんだよね。で、何でそれをやめて経営の道にいったかというとね」

話があまり理解できない。私の頭は自分の思考でいっぱいだった。

「俺の主治医の先生さ、めっちゃ良い人で。俺の考えとか嫁との問題とか、いつも同感してくれて。ほんとに、頼れる人で良かったよ。だから俺さ、先生、俺先生と飲み行きたいっすよ、今度飲み行きましょうよって言ったんだよね」

なんたる愚言。医者が患者とプライベートで会うわけがない。
黒田さんは適応障害といわれていると言っていたが、躁病とか躁うつ病とか、早く本人に告げてくれないその先生のことを、私は訝った。
そして、この依存に目を付けているはずなのに、なんとなくやり過ごしている看護師達にも、こういう時こそ仕事しろよと胸のうちで毒づいた。

黒田さんはすぐ隣に愛の女神の存在を感じ、目を細めていた。
この世の全ての理がとても美しく輝いていることに、やっと気付いたんだ。君と出逢ってから。アナザースカイ。

「まぁさ、いつも院内に居ても気が晴れないし、今日はリフレッシュした気分でいこうぜ」

私は、黒田さんが創り出したこのイノセントワールドに、いつの間にか組み込まれてしまっていた。ここを一刻も早く出る必要があった。なぜなら私は全然、黒田さんが考えているようなイノセントな人間ではなく、腹黒い悪人であるからだ。で、そういう腹黒い悪人がそのような世界に行くとどうなるのかと言うと、その光溢れる園の、あまりの神々しさによって、己の体全体に、薄汚い垢がびっしりとこびりついていることに気が付く。

驚いている暇もなく、園の光は「悪」成分がこびりついた肌を焼き始め、次第に体全体を焼き、広がる炎に包まれながら、己は破滅する。

「いやぁ、リフレッシュリフレッシュ。いやぁでも、さとみとこんなリフレッシュができて嬉しいよ」

私は自分の身体から悪臭の煙が立ち上り、すでに肌の表面がヒリヒリし始めていることに気付いた。

こんなことバレたら。
私は恋人のタイチに申し訳なくおもった。
私はここ数年来、たとえただの男友達でも、差し向かいで呑む、会う、なんてことは一度もしてこなかった。
それにこんなことがバレたら、別病棟送りになるか、最悪、退院が延びたりしますよ。私かもしれないし、あなたかもしれないけどね。でも私には過去三回の入院遍歴があるから、たぶん私でしょうね。はは。もしバレたとしてもあなたの場合、

「そんなにいけないことだったんですね。全然、知りませんでした。本当に、知らなかったとはいえ、すみませんでした」

と、ピュアな顔で言えばそれで責任免除。私はと言うと、大久保先生の前にまず看護師。

「相原さんさぁ。今までの入院で、どんなことしちゃいけないか分かってたはずだよね」

と、キツい真顔で言われ続け、病棟移動は免れたとしても要・監視になり看護師の冷酷な視線にビリビリ晒されながら居心地悪い入院生活を継続しなければならない。精神状態も最悪になる。

「リフレッシュリフレッシュ」、一時間ほど車で。



コメダ珈琲店内。

「さとみ。好きだよ」

最近はこういうことも普通に言われるようになった。
私はそういう時には何も返さず黙っているようにしていた。ただ顔だけは、一応笑って。

「俺さ、さとみのこと好きなんだよね」
みたいな、ちょっと投げかける感じで言われた場合は軽い笑顔で、
「うんうんうん」
とだけ言い、同意はしないけれども一応は分かった。みたいな体(てい)を保ち、細心の注意を払いながら曖昧模糊としたところにとどまった。

しかしながら喫煙所と違って、こんな遠い喫茶店にまで来て、こんな近い距離に向かい合って座り、顔を見られながら言われると、もうどうにもならないような気がした。

先日私は、病院内で二十七回目の誕生日を迎えた。

私は、この期に及んでいい人間をやめられない自分にうんざりし、自分の詐欺的なところにいちいち反応しては落ち込んだりするんだけれども、でも、そんなものは今更出てきたものではなく、とうの昔から自分でありありと分かってたもので、そのまま二十七歳まで生きてしまった自分が、今になって急に焦りだし、修復を試みたところですぐにどうにかなるような生易しいものじゃなかった。


私は、黒田さんのスマホの写真を二百枚ほど一緒に見ながらへらへら笑って珈琲を飲んでいた。
自分の薄汚さが痛烈に襲ってきても、いまとなってはある種の麻痺のようなものでコーティングされつつあった。いったいどこらへんか分からぬが、同じ部分がグサグサと連続して刺され、血が流れていることに気付いた。
しかし、それもなんだかよく分からなかった。
痛い。という感覚に直結しない。どうやら自己防衛の本能がそうさせているらしかった。

とすると、私は自分の本能さえも、白々しくおもえはじめた。


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