Kazuhiko Sato

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読書ノート 32 ウエイワードの魔女たち

時代を超えた魔女たちの物語  洋の東西を問わずいつの時代にも魔女と呼ばれる女たちがいた。彼女たちは姥捨て山に置き去られる物わかりの良い女たちと違い、森の女、山の女として逞しく生きてきた。まるで森の樹木や獣のように。  魔女たちには逞しさに加えて同郷の住民たちから尊敬される知恵があった。薬草や樹木や草花、昆虫や菌類などの生理や活性に精通し、求めに応じて病人に薬を処方し、回復の手助けを引き受けてきた。「魔女」の語感にはこうした先人たちへの畏敬の念が込められ、親近感を与える。  本

    • 読書ノート 31 たんぱく質

      生き物たちと人の生き方についての84の断章  さまざまな生き物たちが見せる驚きの世界、生物の本源的な宿命、そして人生にまつわる喜怒哀楽、神の存在と宗教、小説と小説家など、長短さまざまな断章が84つづられる。読点のみで句点のない文が思考をやや困惑させるし、横書きの文を下からめくる不慣れな道行ながら、著者の語り口に耳を傾けるのも一興である。順不同に印象を記してみたい。 生き物たちが見せる驚きの世界  最初の驚きはヒエやアワと水のみで生き続ける鳥かごの中の小鳥。これだけで生きられ

      • 読書ノート 33 偽りの空白

        晴れの日に起きた弟の死、真相の解明に立ち上がる姉  高校最終学年の卒業記念パーティ。有名レストランで友人たちに囲まれ祝福されていたはづの弟のデニー。しかし晴れの日に彼は天に召されてしまった。一体何が起きたのだろう? シドニーの南西30kmにあるカブラマッタで起きた1996年の出来事である。姉のリー・キエンは大学入学とともにメルボルンに転出し、そこで就職したのでカブラマッタには5年帰っていない。両親に再三請われて帰郷したキエン。真相の解明に乗り出そうとするが、まるで砂漠で蜃気楼

        • 読書ノート 34 六色の蛹

          6編の短編を収めた作品集。  題名が示すように間もなく空に舞う蝶を予感させる。主人公は昆虫好きの青年魞沢泉(えりさわ いずみ)。心優しいがスイス登山ナイフのように必要に応じてピッタリの仕事をする優れものの片鱗も想像してしまう。  6編の短篇は「白が揺れた」「赤の追憶」「黒いレプリカ」「青い音」「黄色い山」「緑の再会」。6色の蛹たちはどのようにつながるのだろうか。見ての楽しみ。 「白が揺れた」  猟銃の所持は厳しく規制されている。各地の猟銃協会は講習会の開催を義務づけられてい

        読書ノート 32 ウエイワードの魔女たち

          読書ノート 35 笑う森

          神森(かみもり)での多彩な出遭い  小樹海の中で迷子になり、救出された少年が出会った切なくも心温まる物語。主人公は山崎真人、5歳児。保護者はシングルマザーの岬(みさき)と叔父の冬也。真人は発達障害(ASD)を持つ。救出されるまでの1週間神森で出会ったであろう人について訊いても「くまさん」としか答えない。岬と冬也は森を踏破することで手掛かりを得ようとする一方、この期間に真人に逢ったであろう人を探すことにした。ゴールはまったく見えていない。が真人のため、さらにASD児たちの未来に

          読書ノート 35 笑う森

          読書ノート 30 ポアロのクリスマス(新訳版)

          名探偵ポアロへの協力依頼  老当主からの招待状で富豪の邸宅に集まった 家族。知らされたのはクリスマスを家族で祝福したいという希望。しかし集まった当主の4人の息子と孫娘1人にはその隠された真意が分からない。しかも子どもと孫には屋敷を去ってから20年ぶりの帰郷、国外からの訪問など、近況さえ分からない状況の再会や初めての来訪だったことから、相互にも疑心暗鬼が働く。  当主の目的の一つは遺言状の更新であろうことは想像できた。しかし実際にクリスマスの前夜の起きたことは家族全員を震撼させ

          読書ノート 30 ポアロのクリスマス(新訳版)

          読書ノート 29 姉妹のように

          記憶を風化させないための旅  舞台はフランスのモンタルジ、ボーヌ・ラ・ロランド、そしてパリ。いずれもフランス北東部に広がる平原にあり、春にはアドニスの花が風に揺らぎ、夏にはニワトコが小さな赤い実をつけ、秋には麦が頭を垂れる。そんな長閑な地を訪れたのは作家で高校教師で、二人の子供の母親でもあるクロエ・コルマン。旅の目的はあの大戦さえなければ生きていたであろう「はとこ」に会うためだ。時代は第2次世界大戦中の10年余と、戦後60年あまりの隔たりをはさんだ最近の10年ほど。神に召され

          読書ノート 29 姉妹のように

          読書ノート 28 関心領域

          英国人作家が再現したユダヤ人強制収容所のリアル  英国人作家マーティン・エイミスによる著作「関心領域」。同名の映画が話題となり、注目されている。原本で扱ったのはナチスの台頭から退場までのドイツで行われたユダヤ人強制収容というジェノサイト。舞台はアウシュビッツがある強制収容所(ブナ-ヴェルケ)。ナチ全国指導部の指令に基づき強行されるユダヤ人の強制収容とこれに従った有名・無名のユダヤ人たち。ほとんどの人が帰らぬ人となった。人類に消すことができない汚点を残した歴史的出来事を、英国人

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          読書ノート 27 ポケモン読者よ信ずるなかれ

          新規な構成のミステリー小説  大部分のミステリ小説は、鋭い推理力を持った私立探偵や捜査力を持った警察官(または保安官)によって、犯行が解き明かされ、犯人が特定される。読者は一時ミステリの密林で道に迷うが、最後はジャングルを脱することができる。だから安心して著者に信頼を託す。  ところがである。この作品に関しては著者と読者の信頼関係は成り立たない。題名にあるように著者は「読者よ信じるなかれ」と注意を呼び掛けている。期待と不安が同居するアンビバレントな前置きだ。 舞台は会員制狩

          読書ノート 27 ポケモン読者よ信ずるなかれ

          読書ノート 26 Timer

          練達の作家が覗き見た異次元の世界  誰もが抱く疑問の一つは死後の世界。宇宙の始まりや終わりと同じ類の疑問だ。残念ながら死後の世界から現世に送られてくる音信はない。宇宙に関する解明も道半ばで宙ぶらりんになっているのと似ている。死後の世界も手探りで探すしかなさそうだ。この疑問に練達の作家が面白い着想と仕掛けをもって答えようとしたのがこの本である。  着目したのはTimerという発想(以下タイマーと記す)。目覚まし時計や外出先からの家電製品のオン・オフで日ごろ世話になっているあのタ

          読書ノート 26 Timer

          読書ノート 25 モンティチェロ 終末の町で

          バージニアの片隅で起きた事件  バージニア州議会が南北戦争の功労者ロバート・リー将軍の銅像を撤去するという決定に怒りを顕わにしたKKKなどの白人至上主義者が全米からシャーロットビルに集まる。時は2017年。抗議の行動はエスカレートし、黒人住民の排除に向かう。白人と黒人の間に衝突が起き、死者3人を含む多数の犠牲者が出た。肌の色に現れた人種問題に加えて、経済格差の拡大も悲劇の背後には見え隠れする。1960年代に燃え盛った公民権運動で黒人の地位や権利は拡大したはづが、その内実はまだ

          読書ノート 25 モンティチェロ 終末の町で

          読書ノート 24 ともぐい

          新しい次元を開いた孤独な猟師の物語  「清浄島」など詳細な現地踏査と鋭い観察で良質な作品を発表してきた作家が、野生動物と孤独な猟師との濃厚な格闘を描き切った。  全国でクマが山里から人里へと姿を現し、農場や牧場を荒らし、地域住民にも危害が及ぶにつれ、適切な対応が急がれている。クマが棲む山野の環境変化、旧耕作地や果樹園の放棄、住民の退去に伴う廃屋の発生など、複雑な要因が蔦のように絡まっている。専門家や研究者が原因と対策を唱えるものの、対応の遅れは否めない。  作者の河碕明子は自

          読書ノート 24 ともぐい

          読書ノート 23 終わりなき夜に少女は

          「われら闇に天を見る」の著者が放った事実上のデビュー作  米国ミステリー界に彗星のように現れたクリス・ウィテカー。今も「われら闇に天を見る」が放つ光芒は衰えることがない。成層圏を超える遥かな宇宙から見える青い地球のように。  本作品はその著者の事実上のデビュー作で、米国アラバマ州の田舎町を舞台に、沈滞した大人社会とそれを打破しようとする少女たちを対比した物語である。 不穏な雰囲気を醸すアラバマ州の架空の町  舞台はアラバマ州ブライア郡グレイス。時は1995年。グレイスも郡部

          読書ノート 23 終わりなき夜に少女は

          読書ノート 22 女たちの沈黙

          英国ブッカー賞作家による「イリアス」の語り直し  今からおよそ3000年前の古代。エーゲ海に面したトルコ北西部にあったトロイアと、ギリシャのミュケナイ・スパルタ・ピュロス・イタカの4国連合軍が相まみえ、10年余にわたって戦闘を繰り広げたトロイ戦争。「トロイのヘレン」や「トロイの木馬」でその一端は広く知られており、B.C.800年ころには詩人ホメロスにより「イリアス」と「オデッセア」に記され、世界の古典として親しまれてきた。本書はそのトロイ戦争の最後の51日間を扱った「イリアス

          読書ノート 22 女たちの沈黙

          読書ノート 21 マザー・ツリー

          森林に隠された「知性」をめぐる冒険  著者はカナダ・ブリティシュコロンビア大学森林学部の女性教授。森林にある樹木は地下に延びる「菌根菌」で互いを結びつけるネットワークでつながり、成長に必要な養分や水分をやりとりし、成長ばかりでなく火災や病害虫などの災害からの防護にさえ協同で対応している。最近テレビなどでも森林が持っている互恵のネットワークに注目した番組が放映され、人間が獲得した知性にたとえて、森の「知性」として受け止められるようになってきた。この概念を初めて見い出したのが著者

          読書ノート 21 マザー・ツリー

          読書ノート 20 われら闇より天を見る

          アメリカの自然と隣人たち、社会の土台が支え合う極上のドラマ  本の題名は宗教色を放つ。宗教はさまざまな様相に彩られてドラマに深みを与える。教会や宗教施設のように社会の土台ともなり、また隣人たちを結び合わせ、日々の暮らしに安定と安らぎをもたらす。その核心は健全な保守性であろう。  この作品は読み手に多くの示唆を与える。私が注目したのは三つある。 一つ目はアメリカの自然である。そのスケールの大きさ、カリフォルニアから1600km離れたモンタナの手つかずの自然まで、その多彩なランド

          読書ノート 20 われら闇より天を見る