読書ノート 34 六色の蛹


6編の短編を収めた作品集。
 題名が示すように間もなく空に舞う蝶を予感させる。主人公は昆虫好きの青年魞沢泉(えりさわ いずみ)。心優しいがスイス登山ナイフのように必要に応じてピッタリの仕事をする優れものの片鱗も想像してしまう。
 6編の短篇は「白が揺れた」「赤の追憶」「黒いレプリカ」「青い音」「黄色い山」「緑の再会」。6色の蛹たちはどのようにつながるのだろうか。見ての楽しみ。

「白が揺れた」
 猟銃の所持は厳しく規制されている。各地の猟銃協会は講習会の開催を義務づけられている。魞沢が参加した講習会では、ベテラン猟師の講演に留まらず、実際に猟場となる山に入り、起きがちな誤射をいかに防ぐかについても実地に指導する。講師の直伝である。
 最も懸念されるのは山菜取りや小動物の捕獲を目的に山に入る住民を誤射することである。笹藪や灌木、野草などに紛れた住民に銃が向けられるのである。各地でツキノワグマが出没する近年はとくに警戒を要する。題名の「白が揺れた」はクマではなく鹿(お尻が白い)に遭遇する機会が多いことを示している。特に山の斜面の谷側から尾根側にかけてが要注意だ。しかし魞沢はまさか講師当人が誤射を引き起こしたとは知る由もない。真相は後日談で。

「赤の追憶」
 1年前のことである。カフェに花屋を併設した碧(みどり)の店に季節外れのポインセチアを求める少女が訪れた。店の近くには市立総合病院があり、外観からはそこの入院患者風だった。なにか事情がありそうだが碧には想像がつかない。そんなある日魞沢がふらりとカフェに現れた。手作りケーキーのサービスに舌鼓をうちながら、ポインセチアの少女の話に耳を傾けた。
 魞沢の推理は碧が思いもよらないものだった。ポインセチアは少女自身のためではなく、だれか例えば日ごろお世話になっているお母さんとかに贈るつもりかも知れませんよ。過日その母親が店を訪れた。少女は難病で天に召されたと告げる。碧の狼狽は目に見えるようだ。

「黒いレプリカ」
 北海道南部の噴火湾沿いには縄文時代の遺構が点在する。あたかも青森県で発見された三内丸山遺跡のように。北海道の考古学研究センターではセンター長と研究員が地道に発掘調査と採集した資料の保存と記録、分析を進めている。魞沢はこの研究チームにアルバイトとして加わり、趣味の考古学の一端に触れている。採取した史料を現地からセンターまで運ぶ仕事は肉体的にもきつい。が、辛さよりも喜びの方が勝ってしまう。充実の毎日だ。
 ある日ふと魞沢の頭に赤ランプが明滅する。この地域に三内丸山遺跡に匹敵する遺跡は存在するのだろうか? 古代の交易路は実在したのだろうか? センター長やスタッフに直接尋ねるほどの勇気はない。しかし真相は後日自らを明らかにする。
 考古学の発掘調査には不文律がある。発見者はいずれも一廉の研究者であり、その発見は尊重されなければならない。フェイクもポスト・トルースもあり得ない。実証が極めて困難な世界だからだろう。センター長もスタッフも発見の誘惑、付随する名誉への欲望には抗い難いものがあったのだろう。

「青い音」
 ピアニストとして端正な生き方を貫いたであろう彼の軌跡は大量の楽譜に記されていた。楽譜には簡単な説明が添えられており、作品の背景や想いを読み取ることができた。しかし一枚の楽譜のみ解釈がつかないまま残されていた。
 本人の生前の希望と家族からの強い要望により、遺体は日本に帰ってきた。遺品の里帰りも待って葬儀がしめやかに行われた。個人の遺言により、葬送曲として演奏されることになった件の楽譜。ここで魞沢の直感が働いた。日本の山寺で衝かれる梵鐘の響き、あるいはかの地の教会もしくは聖堂で鳴り響く時鐘を連想させる。それは遠くの青い山並みへと響く梵鐘、かの地でアパルトマンの窓辺に聞こえてくる時鐘そのものではないか。故人の故人による参列者への感謝と別れを告げるレクイエム。言葉を飲み込み、それを噛みしめる。

「黄色い山」
 「白が揺れた」の後日談。結論から言えば、魞沢の指導役を務めたベテランハンターはお尻の白い動物を誤認して住民を殺めたとのこと。魞沢はその微かな匂いを嗅ぎ取ったらしい。怖るべし。ベテランハンターは償うために塀の中で償いをしてくると告げる。道連れになったのは地元の猟師会理事長。自分の息子がやはり山中で誤射したことを公言し、それまでのダンマリを覆したこと。ことほど左様に誤射は多いようだ。

「緑の再会」
 久しぶりに碧のカフェを訪れた魞沢。再会した碧が「緑」ではなく碧だったことを知り仰天。魞沢にも死角があったことに気づく。微笑ましい。

データ:作者は作家の桜田智也。日本推理作家協会賞を受賞した連作短編集「蝉かえる」など作品多数。
出版社は東京創元社、2024年4月、262ページ。
朝日新聞書評欄「好書好日」に掲載の記事(2024年8月5日)が参考になりました。



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