読書ノート 32 ウエイワードの魔女たち

時代を超えた魔女たちの物語
 洋の東西を問わずいつの時代にも魔女と呼ばれる女たちがいた。彼女たちは姥捨て山に置き去られる物わかりの良い女たちと違い、森の女、山の女として逞しく生きてきた。まるで森の樹木や獣のように。
 魔女たちには逞しさに加えて同郷の住民たちから尊敬される知恵があった。薬草や樹木や草花、昆虫や菌類などの生理や活性に精通し、求めに応じて病人に薬を処方し、回復の手助けを引き受けてきた。「魔女」の語感にはこうした先人たちへの畏敬の念が込められ、親近感を与える。
 本作品は英国の女性作家によるデビュー作で、時代を超えた3人の魔女たちの物語である。舞台は英国のスコットランドに接する風光明媚な湖水地方ウインダミアである。3人の魔女たちの個性、400年に近い歴史を貫いて引き継がれた精神、これらを認めようとしなかった家父長的な権威主義との対立を撚糸に、フィクションが織り上げられている。

3人の魔女たち
 一人目はアルサ。時代は1619年まで遡る。今はピーターラビットの聖地として観光客を魅了するこの地、ウインダミアで不測の事態が起きる。飼っていた乳牛が突然一斉に暴れ出し、不運にも牧場主と牧童が巻き添えを喰らって死んでしまう。犯人捜しで疑われたのがアルサ。根拠はアルサが森に棲む獣や鳥たちと会話し、彼らを操ることができるからと。牧場主と牧童の死に際してもアルサはその能力を買われて助力を求められたが、怪我の程度が重く、手の施しようがなかった。
 しかしアルサは拘置され、裁判にかけられる。証言に立った信頼が厚い地元の医者はアルサには何の落ち度もなかったと無罪を主張。陪審員は全員最初の意見を翻して無罪を唱える。冤罪が覆されたのである。晴れて自由の身となったアルサがその後も森の魔女として仕事し続けたことは言うまでもない。
 二人目はケイト。時代は2019年。アルサから400年近く時間が飛ぶ。ケイトは夢見るような恋愛の末、サイモンと結婚する。しかし恋愛と結婚は天国と地獄ほどの違いがあった。この苦境を脱するにはサイモンから離れるほかに方法はない。さてその方法は? サイモンの追跡は執拗で、ケイトはその魔手に怯える。携帯端末はすべての情報が入っているので手放せないが、ハッカー顔負けのサイモンにとってはこれを機能不全にするなど朝飯前。
 ケイトが逃れた先はウインダミアにある祖母の重厚な邸宅。ランカスターから東、深い森にすっぽりと包まれて佇む、格好の隠れ家だ。孫想いの祖母が招いてくれたようだ。しかしサイモンも馬鹿ではない。やがてこの隠れ家も見つかってしまい、サイモンが辿り着く。このときケイトを救ったのは森に棲む昆虫たちや鳥たちだった。昆虫たちはいやがるサイモンにまとわりつき、鳥たちはサイモンを不眠に追い込む。不思議なことに昆虫も鳥たちもケイトには何の害も加えない。サイモンは退散に追い込まれる。
 そして三人目はヴァイオレット。ケイトの祖母に当たる。ヴァイオレットはウインダミアの領主で名門貴族の当主の箱入り娘として育てられる。住み込みの女性家庭教師、数人の小間使いが当主の教育方針に則って躾けに関わる。
 ヴァイオレットの理解者は弟のブレイクと広大な領地に棲む野生生物たち。巨木や樹林や咲き誇る花々はヴァイオレットを包み、あたかもヴァイオレットが籠の鳥のようだ。その幸せに不穏な影を落とすのが父親とナイジェリア戦争で参戦するフレデリック大佐だ。どちらも家父長制の権化なのだ。

三人の魔女たちが大切にしていたもの
 三人三様の魔女たちに共通する思いの丈は自主自立。自分の生き方は自分が決める。単純なことながらこれが難しい。アルサの時代やヴァイオレットの時代も実現は難しかったし、ケイトが生きる現在ですら易しくはない。しかしケイトの母親が不運な結婚によって犠牲になったのを目の当たりにしたヴァイオレットは決断する。ケイトには母親の轍は踏ませない。ケイトは好ましい相手を見つけ、新しい生命を宿す。またヴァイオレット自身も父親が決めたフレデリック大佐との縁談は無効にし、自分が探し求めた男性との間に子どもを授かる。困難な状況のもとでも未来につながる新しい生命を誕生させたのだ。祝福すべきことである。 
 女性たちが#MeToo の名の許に、声を上げ始めてからまだ日が浅い。ウインダミアの魔女たちがどんな感慨をもって眺めているだろうか。訊いてみたい誘惑に駆られる。

作品で描かれたウインダミアの自然
 ウンブリアの森の匂い、小川の煌めき、鳥や虫たちの羽ばたきの気配、夜空に瞬く星屑、深い緑と澄み切った青空。魔女たちに力を与えたカラスやヒヨドリたちの群れや森の賢者フクロウ。舞台も脇役たちも時と所を得ている。

データ:作者はエミリア・ハート。オーストラリア・シドニー生まれ。ニュー・サウス・ウエールズ大学で英文学と法律を学んだのち、シドニーとロンドンで弁護士として働く。2023年に本作でデビュー。同年 Goodreads Choice Awards の最優秀デビュー小説賞と最優秀歴史小説集をダブル受賞。
日本版の訳者は府川美恵、出版社は集英社。2024年6月。421ページ。
この本に出会ったのは市立図書館の新刊案内。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?