読書ノート 30 ポアロのクリスマス(新訳版)

名探偵ポアロへの協力依頼
 老当主からの招待状で富豪の邸宅に集まった 家族。知らされたのはクリスマスを家族で祝福したいという希望。しかし集まった当主の4人の息子と孫娘1人にはその隠された真意が分からない。しかも子どもと孫には屋敷を去ってから20年ぶりの帰郷、国外からの訪問など、近況さえ分からない状況の再会や初めての来訪だったことから、相互にも疑心暗鬼が働く。
 当主の目的の一つは遺言状の更新であろうことは想像できた。しかし実際にクリスマスの前夜の起きたことは家族全員を震撼させるものであった。地元警察は事件解明のために名探偵ポアロの協力を依頼する。アポロの明采配ぶりが作品の題名にもなっている。

リー・シメオンとその家族
 老当主はリー・シメオン。子どもとその同伴者、使用人、地元民にも怖れられる曲者。古風なゴーストン邸の所有をはじめ、州で1、2を争う資産家だ。お金と女へのこだわりを隠そうともしない。キリスト教の7つの大罪の全てを犯した堕天使と言われても弁解のしようがない。
 長男のアルフレッドは頑固で偏屈な父親と同居し、家系を継ぐために妻リディアの協力も得て切り盛りしている。次男のハリーは父親そっくりな性格で20年前に家を飛び出し、妻はいない。三男のジョージは州議会議員として名を成しつつあるが、依然として親の脛齧りである。妻のヒルダーは正直者だがリー家とは無縁の出自である。四男のディヴィッドは母親への思慕が強く、逆に父親への反発も根強い。この度も妻ヒルダの説得により重い腰を上げての訪問だった。孫娘のピラール・エストラバドスは参集者の中で唯一の若く華やいだ雰囲気がある女性で、老当主も一目ぼれした様子。

クリスマス前夜に起きた事件
 静かに迎えるべきクリスマスの前夜、当主シメオンの2階にある居室で突然机や椅子がひっくり返る音が鳴り響き、大きな風船が避けたときのような爆発音が炸裂。続いて異様な叫び声が絞り出された。屋敷に集まっていた家族、使用人、たまたま訪問していた州警察署長が一斉にシメオンの部屋に駆け付けたものの、部屋の内側から鍵が掛けられており、入ることができない。やむなく体当たりを繰り返して入室する。シメオンは暖炉前のカーペットの血の海に横たわっていた。喉元を掻っ切られた惨たらしい死相が目に焼き付く。警察署長は直ちに殺人と断定し、この夜屋敷にいたすべての人への取り調べを始めると予告。ポアロも協力することに同意。
 「あの老人にこんなにたくさんの血があったなんて、だれが考えたでしょう」(「マクベス」)。リディアのつぶやきである。

殺人の動機
 殺人の動機は3つあるという、警察署長。「ダイヤモンドに絡む複雑な事情、遺言状の書き換え、純粋な憎しみ」。対してポアロは「人間は自分でも気づいていない、ありとあらゆる種類の本能を持っている。血への渇望、---
--- 生贄を欲する本能もあるでしょう!」と絞り込みを牽制している。さらに「神の碾き臼はゆっくりだが、どんな小さな粒も挽く」と慎重な捜査の実行を促す。
 結果は驚くべきものであった。ミステリ小説なので読者の味わいを損なわないよう行方は措きます。ポアロは関係者全員からの入念な聞き取りはもとより、家人や来訪者たちに割り当てられた部屋の立ち入れり検査、一見関係なさそうな物証の押収、殺人当夜に起きた音響や大立ち回りな争いの騒音と、老人が発したと思われる絶命の恐怖に染め抜かれた音声の物理的説明、さらに当主が金庫には関していたダイヤモンド原石の岩片が持ち去らていたことの事実について、過不足のない解釈を示した。全員納得である。

女性たちのたくましさ
 印象深いのは女性たちの姿勢である。論理的な洞察力、感情を抑えた柔軟な受け応え、家族を思いやる人間的な温かさ、家族の結束を願う健気な愛情、一言でいえば自立した女性として凛とした佇まいを感じさせるのだ。新訳版のもとになっている作品は1939年に発表されたという。それから
約100年の歳月を経ても女性たちの瑞々しさは変わらない。女性の活躍がさらに進むことを願ってやまない。

データ:作者はアガサ・クリスティ。英国人、1890年ー1976年。生涯約100編の作品を発表。世界中で現在も根強い人気がある。日本度の改訳版は2023年に出版された。訳者は川副智子、2023年11月、456ページ。巻末に訳者による解説があります。参考にしました。


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