読書ノート 26 Timer

練達の作家が覗き見た異次元の世界
 誰もが抱く疑問の一つは死後の世界。宇宙の始まりや終わりと同じ類の疑問だ。残念ながら死後の世界から現世に送られてくる音信はない。宇宙に関する解明も道半ばで宙ぶらりんになっているのと似ている。死後の世界も手探りで探すしかなさそうだ。この疑問に練達の作家が面白い着想と仕掛けをもって答えようとしたのがこの本である。
 着目したのはTimerという発想(以下タイマーと記す)。目覚まし時計や外出先からの家電製品のオン・オフで日ごろ世話になっているあのタイマーだ。設定は満90歳の誕生日をもって生涯を停止する。そんな!と思わず絶句する。

90歳までの健康寿命を保証する夢の装置ー「タイマー」
 発明されてから100年以上が経ち、利用者もちらほら。主人公のアヤコもその一人。現在81歳である。アヤコが利用を思い立ったのは伴侶に先立たれた61歳の時である。おしどりのように生涯を添い遂げた夫婦が判で押したように口にするのが、ぽっかり出来てしまった空白であり、人生の底が抜けたような寂しさ、侘しさである。アヤコは「タイマー」を契約し、とりあえず人生をリセットすることにした。幸いドイツ文学の大学教授と再婚し、現在は年齢よりも10歳くらい若く見える。
 「タイマー」の発明に戻ろう。発明者は原子物理学者のサカモト博士。新領域エネルギーを利用した心臓埋込み型の装置である。しかし博士自身はこれを利用せず、また家族にも勧めなかった。サカモト博士は姿をくらまし行く不明となったままである。心臓の心筋を駆動するペースメーカーを連想するが、タイマーの電源は新領域エネルギーであり、電源の交換は保証期間中不要である。

「外し屋」と「死なせ屋」
 「タイマー」の発明と普及は二つの闇商売を生んだ。一つは90歳を過ぎても生き続けさせるという詐欺。もう一つは90歳前に死なせるという詐欺。「外し屋」と「死なせ屋」である。何やら違法薬物の売買を連想させる怖い話である。もちろんアヤコは闇には半歩も近寄らない。

アヤコの冒険
 しかしアヤコには探求心が芽生える。いったい90歳を超えたとき、自分の人生はどうなってしまうのだろう? 振り出しはサカモト博士のゆかりの地を訪ね、「タイマー」発明にまつわる情報を集めること。博士の導きではないのだが、ゆかりの地で博士のスピリチュアルらしきものに出会う。100年以上前に姿を隠しているので、五感で感知できる姿ではない。透明なのだ。
さらに川畔にアヤコを直感させるそれらしき、博士が足を運んだであろう場所を見つける。そして率直に問いかける「死後の世界について教えてください」と。博士の答えは「あなたの心がそっくりほかの誰かの心に置き換わっているでしょう。あなたの心は普遍性を持つことになります」。アヤコは一瞬答えをはぐらかされたような気がした。しかし冷静に考えると、ハカセの答えは彫琢した箴言のような趣がある。「そうだよね」納得である。
 アヤコの探求の旅は終わり、帰路に着いた。ここまで同行してくれた夫へは「死後の世界はめいめいが見つけることでしか分からないようだ」と告げる。

「ライフシフト」に事寄せて
 2016年英国ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授が提唱した「人生100年に向けたライフシフト」は日本でも大きな反響を呼んだ。
これまでの考えと異なるのは「教育」「仕事」「退職」という人生の区切りを見直し、順序を変えるなり、並行するなり、めいめいがデザインすればよいという考え。交通や物流、通信のインフラも整備され、ソフト面でも充実してきており、ライフシフトの条件が整ってきているという見立てだ。
 「タイマー」が投じた関心領域とは重なる部分が少ないが、多くの人にとっては死後の世界よりも「生きる現実」への関心が強い。生きる現実と死後の世界とのあわいは霞がかかっており、気がついた時には雲の下にあった現実の世界が、雲間を抜けたらその上空に青空が広がっているのではなかろうか。

データ:作者は作家の白石一文。毎日新聞出版から2024年5月に出版。186ページ。本の副題が「世界の秘密と光の見つけ方」
市立図書館新刊案内で出会いました。

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