読書ノート 20 われら闇より天を見る

アメリカの自然と隣人たち、社会の土台が支え合う極上のドラマ
 本の題名は宗教色を放つ。宗教はさまざまな様相に彩られてドラマに深みを与える。教会や宗教施設のように社会の土台ともなり、また隣人たちを結び合わせ、日々の暮らしに安定と安らぎをもたらす。その核心は健全な保守性であろう。
 この作品は読み手に多くの示唆を与える。私が注目したのは三つある。
一つ目はアメリカの自然である。そのスケールの大きさ、カリフォルニアから1600km離れたモンタナの手つかずの自然まで、その多彩なランドスケープには圧倒される。二つ目は家族愛をはじめ、アメリカが独立以来育んだであろう隣人愛である。自由、平等、幸福を追求する権利を地域と連邦で重層的に織り込み、それを実現するために不断の努力を払っている。三つ目は
高校同窓生の紐帯の強さである。隣人愛のなかにも確認できるのだが、高校同窓生が差し伸べる友情は特筆さる。本書はミステリ小説なので、あらすじは最小限に留めます。

登場人物たち
 本書の主人公はダッチェスとロビンの姉と弟である。姉弟は異父姉弟で、母親スターの手で育てられたものの、その頼りの母スターも銃弾に倒れ、帰らぬ人となった。家族はすでに解散状況で、頼れるのは祖父のハル独り。ダッチェスはまだ高校生であり、ロビンは未就学である。
 自らを「無法者」と名乗り、友達を近づけず、アルコール依存症に陥った母親へのいかなる非難も中傷も退け続けた。隣人たちの同情や関心すら拒絶するかのように。弟のロビンは好対照で、まるで天使のよう。
 姉弟はカリフォルニアの西海岸にある海辺の町、ケープ・ヘイブンに住む。一方祖父は1600km離れたモンタナ州の大自然の中に住む。2泊3日の車による移動を助けてくれたのは州警察官のウォーカーである。彼が重要な登場人物の一人となる。

アメリカの自然
 ダッチェスはカチコチに自分の殻に閉じこもってしまっていた。心の窓はロビンにしか開いていない。脱皮を促したのはモンタナの大自然である。見上げる空の青さ、暗い針葉樹の森の中にぽっかり顔を覗かせる緑の一画(ハルが一から切り開いたものだ)、野鳥の鳴き声、吹き渡る風の音、天空を埋め尽くす夜空の星群れ、どれもこれも新鮮な驚きだった。畏敬の念を起こさずにはいられない。
 カリフォルニアの海岸とモンタナが同じアメリカでつながっていることなど、これまでのダッチェスの考えの外だった。この覚醒によりダッチェスは
蛹から蝶へと変わることを確信する。ダッチェスに祝福あれ。

アメリカの隣人愛
 ダッチェスが自らの殻を脱出するうえで、祖父ハルの忍耐と愛情が胸に迫る。ハルの許に身を寄せたときのダッチェスは、ハルの言葉を借りれば、荒馬と同じだった。調教を退け、折あらば柵を越えて原野に逃げ出したい。ハルの人生経験は、あるがままに受け入れること。ダッチェスが自ら納得するまで、自由にさせておくこと。これに尽きる。忍耐と愛情がすべて。樹木の成長と同じように、樹は大きくなるにつれて自ら根を拡げ、枝を伸ばし、幹を太くし、樹形を整える。
 ダッチェスを驚かせたのはハルの隣人たちの反応である。転校した地元の高校で新しくできた級友は、桁違いの資産家の息子で、お招きで訪れた屋敷で、おしゃべりと音楽に熱中する。そして驚くべきことに両親はダッチェスのなかに固有の美質を見い出している。これを何とか伸ばすために、自分たちが力になれないか。そして手を差し伸べるのである。建国以来アメリカが育んできた隣人愛の深さに気付かされる。
 近隣の医師夫妻が天使のような無垢のロビンをわが子として受け入れたのも、ダッチェスを受け入れた資産家と同様、隣人愛の発露であろう。ロビンがハルの家から医師夫妻に引き取られ去っていく日、ハルは神の祝福として見送り、ダッチェスは惜別と再出発への祝意の折り合いに咽る。印象的なシーンである。
 州警察官のウォーカーをハブとするネットワークの人びとも幼い姉弟に手助けを惜しまなかった。事件の発端となった姉弟の母親スターへの銃撃はまだ真相が解明されていない。いよいよ物語は核心部に入る。

アメリカの高校同窓生の絆
 すでに見てきたように隣人愛のなかに、アメリカの高校同窓生の支え合いが見え隠れしている。ウォーカーが当たっているスター殺害事件の捜査や法廷での証言のために、スターと高校が同期だったウォーカーのほかに、フェアモント郡矯正施設長のカディン、弁護士のマーサ・メイが協力を惜しまない。高校同期生や同窓生の連帯はアメリカに住んでみないと分からない。季節折々にパーティーやイベントで集まり、親交を深め、連絡を取り合う。ミネソタとツインシティ、デンバーやツーソンで垣間見た日常生活の一端から想像すると、心が和む。

われら闇より天を見る
 ウォーカーたちの懸命な努力が実って、事件の真相が解明されていく。
州警察が内々に挙げていたのはスターと高校同期のヴィンを犯人とする仮説である。その証拠として先ず動かしがたいのは、ヴィンが事件当夜ただちに自首したことである。ヴィンは当夜、30年の刑期を終えたその足でスターを訪ね、スターの妹のシシーを交通事故死させたことを詫び、母子家庭を陰で支えたいという意向を伝える。しかしこれが裏目に出たわけである。警察の思い込みは激しいが、ヴィンには不利極まりない。
 ヴィンが無罪であることを確信するウォーカーたちの反撃が始まる。法廷では州警察が挙げた証拠が一つひとつ覆され、陪審員による審議はは振り出しに戻る。ウォーカたちがいわば背理法で息を吹き返したのである。
 それではスター殺害の犯人だったのはだれか? 真相は驚くべものであった。ストーリーは悪夢のような夜を再現していく。この後の核心部は割愛します。
 本書は著者を一躍米国の有望なミステリー作家に加えた記念碑的な作品。そのテイストをぜひ直に本をひも解き味わっていただきたい。
 作品のタイトルは「人は誰でも過ちを犯す。そして犯した罪は償わなければならない」「過ちを犯した者は、どうすれば許されるのか。どうしたら罪の意識から解放されるのか」を問いかける。「天使」の記憶のなかから、あの夜の光景が一日も早く消え去ることを願わずにはいられない。

データ:作者は作家のクリス・ウィタカー、訳者は鈴木恵。原題は「We Begin at the End」。出版は早川書房、2022年8月、520ページ。
英国推理作家協会賞最優秀長編賞ゴールド・ダガー賞受賞作品。
  

 

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