読書ノート 28 関心領域

英国人作家が再現したユダヤ人強制収容所のリアル
 英国人作家マーティン・エイミスによる著作「関心領域」。同名の映画が話題となり、注目されている。原本で扱ったのはナチスの台頭から退場までのドイツで行われたユダヤ人強制収容というジェノサイト。舞台はアウシュビッツがある強制収容所(ブナ-ヴェルケ)。ナチ全国指導部の指令に基づき強行されるユダヤ人の強制収容とこれに従った有名・無名のユダヤ人たち。ほとんどの人が帰らぬ人となった。人類に消すことができない汚点を残した歴史的出来事を、英国人作家が膨大な資料を20年余の歳月をかけて読み込み、洞察し、分かったこと、依然として未解明なことに分けて読者に語りかけ、考察を促している。

主要な登場人物
 作者はナチスの指令を執行する側を3人に代表させている。
 一人目はアンゲルス・ゴーロ・トムゼン。ブナ-ヴェルケ勤務の連絡将校。中尉を任官。叔父のマルティン・ボルマンはナチ全国指導者/統括秘書(総統直近)。ボルマンの妻はゲルダ。
 二人目はパウル・ドル。強制収容所司令官(所長)。親衛隊少佐。妻はハンナ、双子の姉妹(14歳)がいる。
 三人目はシュルム・ザハリアシュ。特別労務班長。ポーランド系ユダヤ人。
 ほかにディーター・クリュウーガーがドイツ共産主義者としてナチスに追われている。ハンナは若い一時期、クリュウーガーに想いを寄せていた。

ナチの指令に忠実なドルとトムゼン
 ナチから下りる指令には司令官のドルと連絡将校のトムゼンは無条件に従うことが義務付けられている。ドイツ人の鏡として。しかし、指令に全幅で賛成しているわけではない。このイラつきを解消するために、強いアルコール飲料、薬材に依存しており、気晴らしとしてパーティーを頻繁に開き、音楽会や観劇にもよく出かける。ただし同情は無用であり、有害でさえある。
 いただけないのは女性の摘まみ食いだったり、人妻への横恋慕だったりと、ナチスが求める人倫とは真逆な行動だ。とくにトムゼンの執拗なハンナへの秋波は滑稽でもあり、迷惑でもある。
 その点シュルムは驚くほど指令に自分の判断を差しはさまず、ただただ忠実に強制収用を執行する。こちらも人間性に疑問符が付く。

著者からのメッセージ
 私が受け取ったメッセージは二つ。
 一つは極めて稀な生存者の教訓である。曰く、生存者に必要だった条件を列挙すれば:「まず運、すみやかに徹底して適応する能力、注意を引かない才能、ほかの個人またはグループの連帯、品性を保つこと(どんな性質のものであれ、拠って立つ信条を持たない人々は、------倒れるのが常だった)、無実だという確信を絶えず育むこと(ソルジェニーツィンの”収容所列島”で繰り返し強調された本質)絶望にに対する免疫、そしてやはり運だ」という。(p.459)
 二つ目はナチの再来を防ぐための方策に関してである。最初の分岐は「ヒトラーは正気だったのか、それとも狂人だったのか?」もし狂気であれば、これ以上の検討は不要となる。なぜなら狂気には普遍性が認められないから。もし正気であったとすれば次の質問は「いつ、いかなる条件でヒトラーは登場したのか?」である。本人は芸術家(絵画)に憧れ彷徨している時分に、ナチの党首として集会で演説と音声を通じて民衆が熱狂するさまに過信し、民衆が「ハイル・ヒットラー」と連呼するに及び、独走を許してしまったという解釈だ。すでに膨大な研究が行われており、本作品でも作者のあとがきで触れている程度である。

ホロコーストが映し出した鏡のなかの像
 鏡に映し出される像に関する寓話がある。「鏡は視ている人の顔ではなく、心の中を映し出す」。この寓話をホロコーストに当てはめると、映し出されたのは人間の狂気、欲望、そして人間の本質」であろう。(本の帯より引用」)

データ:作者は英国人作家、1949年ー2023年。日本語版の訳者は北田恵理子。早川書房から2024年5月に出版された。477ページ。
朝日新聞書評欄「好書好日」に掲載された翻訳家の鴻巣友季子さんによる書評「関心領域との向き合い方」(2024年5月30日)を参照しました。また訳者による訳本の解説も参考になりました。記して謝意を表します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?