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動物のお医者さん


もう十数年前になるだろうか。

我が家で暮らす2匹の猫さん、チャコひなたもまだいないころ。
ロシアンブルーの葉月を家族の一員として迎え入れることになった。

ロシアンと言っても高級な猫ばかりではない。
ペットショップで売れ残り、ショーウィンドウに特価で展示されていたのを不憫に思い引取った仔猫だ。

彼女はあまり丈夫な仔猫ではなかったらしい。
店員からは「もう完治していますが」と前置きされた上で数種類の塗り薬と飲み薬を渡され、何かあってもショップが責任を取らない承諾書にサインさせられた。
だから私はこの仔は長く生きないのではないかと心配していた。

しかし予想に反して葉月はすくすく成長する。
家に迎えたときは生後5カ月にしては弱々しい体つきだったのに、1年経つ頃には線は細いけれど元気に家中を走り回るようになっていた。

ゴハンはよく食べるしイタズラもする。
渡された薬を使う機会もなく私はすっかり安心していた。


だが、好事魔多し、とでも言うのだろうか。
アクシデントは不意にやってくる。

ある晩、葉月はリビングでいつものように駆け回っていた。
そして私が寝そべっているソファの背もたれに飛び乗って、綱渡りのように歩き始めた。
私はテレビの連続ドラマに夢中になっていた。


「ギャッ!!」
不意に、背後で今まで聞いたことが無いような哭き声がした。
驚いて振り返ると、葉月がソファ脇の床で丸くなっている。

「葉月、どうした!?」
私の呼びかけに彼女は叱られたと思ったのか隣室のケージへ逃げて行った。
ズルズルと脚を引きずるようにして。

異常に気がついた私は、ケージの中から葉月を抱きかかえて脚を調べた。
どうやら背もたれから飛び降りたときの着地が悪かったらしい。
彼女の左前脚はグニャリと折れ曲がっていた。



私は動揺した。
もう深夜に近い時間であり、近くの動物病院はすでに閉まっている。
でもこの怪我はすぐに治療しないといけないレベルなのは一目瞭然だった。

ネットで調べると車で行ける距離に夜間営業の動物病院を見つけた。
私は葉月をキャリーケースに入れ、急いで家を飛び出した。



病院に着くと待合室は何組かの先客がいたが、窓口で症状を伝えたら診察室へ通された。
レントゲンを撮った画像を見せてもらう。
獣医師に説明されなくても、左の前腕骨の1本が折れているのは素人目でも判った。

「もともと骨の弱い仔のようですね」
獣医師は、これは骨に穴をあけてボルトで固定する手術をしないと治らない、と私に言った。
私にも理解できる説明だった。

「じゃあ、それでお願いします」
「ですが、いまは出来ません」
「え?そうなんですか?」
「手術の時間は午後2時~6時と決まっているのです。それに明日は他の手術で埋まっていますので明後日以降になります」
「では、手術までどうすればいいのですか」
「ギプスで固定をしておきますから、なるべく動かさないように」
「・・・わかりました」

帰宅後、脚に巻かれた白いギプスを窮屈そうにかじっている葉月を見ながら、明日いつもの病院で手術出来ないか頼んでみようと私は思った。



そこは老獣医師が1人で近所の患畜を診ている小さな動物病院だ。
ぼさぼさの白髪と髭面の獣医師を、私は心の中で「ライオン先生」と呼んでいた。

ライオン先生は「大丈夫か、痛かったろう」と葉月に声をかけ、バリバリとギプスを外した。
そして、レントゲンを一瞥すると

「こんなの、手術しなくても治る」
そう言ってギプスを新たに巻き直した。

私は驚いて、
「本当ですか!?、でも・・・」
「動物の自然治癒力ってのは凄いんだ。ギプスの巻き方さえ正しくすれば綺麗にくっ付くよ」

正直、私には半信半疑だった。
ライオン先生を信用しないわけではないけど、レントゲンで見た葉月の骨は手術しないでまっすぐ付くようには思えなかったからだ。



だが結果はライオン先生の言う通りになった。

1カ月経ってレントゲンを撮ると、折れた骨は本来の位置に戻っているように見えた。
やがて3カ月後にはギプスを外し、テーピングで普通に歩けるくらいに回復していた。
レントゲンを見ても、もはや素人にはどの骨が折れたのか判らなかった。



私は夜間病院の獣医師が下した診断を誤っていたとは思っていない。
おそらく手術が最も確実に早く治すための方法だったのだろうし、私もそう考えたのだから。

けれどもライオン先生は違っていた。
葉月の生命力を信じ、彼女の体にかかる負担を最小限にするための選択をしたのだろう。

葉月とライオン先生のおかげで、正しい診断が1つではないことを私は学んだのだった。





葉月は彼女が13歳のとき、腎臓の病で永い眠りについた。

病気が進行してライオン先生でも手の施しようがなくなり、もうほとんど食べ物を受け付けなくなっていたのに、最期は私の手からチュールを舐め取った翌朝、還らぬ猫となった。



来年チャコは葉月と同じ13歳、ひなたは5歳になる。
どちらも葉月以上に元気一杯だが、毎年お盆の時期になると何故か何もない空間を2人して見つめている場面をよく目にする。

埃でも追っているのが実際のところだろう。
けどもしかしたら里帰り中の姐さん葉月に挨拶をしてたのかもしれない、なんて想像してみるのも案外楽しいものなのである。








人間のお医者さん、渡邊惺仁さんの記事を拝読し、似たような体験を思い出して書きました。

記事ではセカンドオピニオンに関する体験談が興味深く、そして面白く描かれています。
渡邊さん、ありがとうございました。




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