白猫と私
年の瀬が近づいて来ると、仕事と私事の双方が慌ただしくなる。
昨年は疫病禍で予定が軒並み中止になり、自宅で静かにnoteを読み書きしていたものだった。
その反動か、今年の暮は例年になく気忙しい。
休日でも何かと駆り出され、ぼさぼさの髪を切りに行く都合さえつかなくて伸び放題な状態が続いている。
前髪程度なら自分で切ってしまえるのだけど。
それでも猫さんたちの健康診断は年内に済ませたくて、いつもの獣医さんへチャコとひなたを連れて行った。
診断結果は概ね良好。
今のところ去年のような騒ぎもない。
そういえば、私が猫さんと健康診断に行くようになって何年経つだろう。
思い起こせば人生の半分くらいはそうしているような気がする。
初めて猫を保護したのは大学3年の春だった。
ヒーローショーのバイトで地方のスーパーへ行ったとき、リハーサルをする駐車場の隅に置かれた段ボール箱の中にその仔たちはいた。
体長10センチにも満たない仔猫が、寒空の下で4匹集まってミャアミャア哭いている。
まだ目も開かず毛も生え揃っていない様子から生後あまり経っていないのは明らかだった。
このまま放置しておくわけにもいかず、私たちはその段ボール箱ごと楽屋に持ち帰った。
猫好きなMCの娘がスーパーで必要そうな物を買ってきて、ストローを使いミルクを与えると仔猫たちは争うようにそれを飲んだ。
「チーフ(私)、この猫たちどうします?」
皆で仔猫を取り囲んで、飼えそうな者を募るとバイトの2人が手を挙げた。
MCの娘も1匹なら引取ると言い、残り1匹は否応なくチーフの私が引受ける流れになった。
私のアパートはペット不可なのだがこうなっては仕方ない。
バイトが終わり、近くの動物病院がまだ開いていたので仔猫を連れていく。
私が引き取った仔猫は真っ白で最も体が弱そうだったが、生後半月前後の雌でそれほど衰弱はしていないという。
ひと通りの診察が終わり、獣医さんは
「この仔、君が飼うの?」
私に訊いた。
そのつもりです、と答えると
「じゃあ診察料まけてあげるよ」
そう言って仔猫の飼い方や注意点を教えてくれ猫用ミルクや飲ませるためのスポイトを無料で譲ってくれた。
この日から仔猫中心の生活が始まった。
私は仔猫をノエルと名付けた。
白い姿に雪とクリスマスをイメージしたから。
フランスはクリスマスをノエルと言うらしい。
3時間おきにミルクを与え、排泄を促す。
アラームをかけて夜中でも起きて飲ませるのは結構しんどい。
でも私にはそれより昼間のほうが大変だ。
ノエルを連れてアルバイトや大学へ行くわけにいかず同じアパートの友人に預かってもらったり、それも無理なときはこっそりバスケットに入れてゼミへ出席したりした。
もちろんバレた。
幸い、ノエルはどこに行っても人気者だった。
ゼミ仲間はいつも彼女を可愛がり、教授でさえ
「ケイ君、今日はノエルちゃんは留守番かね」
と気遣って(?)くれた。
ノエルの目が開いてしばらくすると私は彼女の眼の色が左右で違っているのに気がついた。
片方が水色でもう片方が金色をしている。
病気かと思って調べたら、白猫などによくある眼色で病気ではないようだ。
オッドアイとか金目銀目と言われるらしい。
彼女にはその眼の色がとても似合っていた。
カリカリを食べるようになると、私の生活は漸く以前の状態に戻って来た。
でも泊りの仕事はノエルが心配で断るようになり、繁華街で夜遅くまで飲む機会も減った。
数ヶ月で仔猫中心の生活がすっかり染み付いてしまっていた。
ノエルは変わった猫だった。
幼少時より沢山の人が関わって育てられた。
だから人見知りしないし、寧ろ自分はヒトだと思っているフシもあった。
なのに私がいないと他に誰がいても私を探してミャアミャア哭いた。
私を親か、あるいは親友だと思っていたのかもしれない。
また、ノエルは私と話が出来た。
私の問いかけに、ヒト語を理解しているような返事をした。
大部分が『ミャア』だったけれど、ニュアンスが微妙に違うのだ。
でもそんな私を見た人はきっと猫と会話する変な奴だと思っただろう。
そして、彼女は優秀な気象予報士であった。
ノエルは時々長いあいだ空を見上げていることがある。
すると、数時間後か遅くとも半日後には必ず雨か雪が降った。
猫が顔を洗うと雨が降る、と言われる。
低気圧が近づくと湿気が多くなり、ヒゲの表面に水分が付着し重たくなってハリが失われ、そのハリを取り戻すために顔をこすってヒゲの手入れをしているからだそうだ。
真偽の程は定かでない。
ノエルは顔を洗ったりせずにただ空を見上げるだけで、その的中率はほぼ100%に近かった。
テレビに出したら人気猫になるんじゃないかと本気で考えた程だ。
大学4年の冬、ノエルと(無断で)暮らしたアパートを引払い実家へ戻った。
彼女はあと数ヶ月で2歳になろうとしていた。
犬は人に付き、猫は家に付くという。
物心ついてからずっとワンルームで生活していたノエルにとって、2階建の庭付き一軒家は驚きの広さだったようだ。
最初の数日は2階の部屋から出てこなかったが、やがて好奇心が勝ったのか恐る恐る階段を降り、広い1階のスペースに出ると半日もしないうちに家中を探検して周るようになった。
動物が苦手な母は嫌な顔をしていたが。
ノエルが新しい家に慣れ、両親も少しずつ猫に慣れだしたころ、私と彼女が別れる時が来た。
一時的に実家へ戻っていた私は、春から東京の社員寮で生活する。
もちろんノエルは連れて行けない。
彼女はここで両親と暮らすのだ。
私はノエルを実家に置いて上京した。
新しい仕事と生活が始まり、何もかもが忙しい毎日にノエルのことは忘れてしまっている日々が続いた。
1ヶ月ほどした頃、母から電話があった。
私がいなくなってからノエルは毎日私のベッドの上で哭いている。
たまには帰って来て顔を見せてやってほしい。
そう母は言った。
家に付くはずの猫がずっと私を忘れずにいると聞いて、私は無性にノエルに会いたくなった。
でもその後暫くして帰省した頃には、もう私を見ても知らんぷりしていた。
母からノエルの訃報を受取った翌日、私は実家へ帰る新幹線に乗っていた。
あれから両親に可愛がられて10数年を過ごしてきた彼女は、最後を2人に看取られて虹の橋を渡った。
庭の端っこに父が作った小さなお墓の前で、私たちは手を合わせた。
母がもう2度と猫なんか飼わない、と目を潤ませながら呟く。
私はすっかり両親の猫になったノエルが、間違いなく幸せな生涯を送ったと確信していた。
いま目の前にいるチャコとひなたが幸せな猫生を送っているかは判らない。
でもおそらく私を親とも親友とも思っていないであろうこの猫さんたちが、私にとってかけがえのない存在であるのは間違いない。
あの頃のノエルがそうだったように。
見上げていた空に行った君へ
メリークリスマス ノエル
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