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なぜキャンプに行くの?と問われ、人生には遊びが必要だと気づいた話し。

なぜ、あなたはキャンプにいくの?

そう聞かれて、改めて考えました。

生きていることを感じるために

と答えました。


普段の生活では生きていることを感じれていないのでしょうか。キャンプではなぜ生きていることを感じるのでしょうか。生きていることを感じるってどういうことでしょうか。生きるってなんでしょうか。

その質問をいただいてから自問自答が続きました。



▫️キャンプに行く理由

私はキャンプに何を求めているのか。自然に触れること、おひさまの光を浴びること、鳥や海、山、雨の声を聞くこと。自分で身体を動かし、寝床や食べものを作ること。テントを張らなければ屋根のあるところでは寝れない、火を起こしてご飯を作らなければ温かいご飯は食べれない、食器も自分で洗わなければならない、トイレは遠い、、そんな不自由な状況が生きていることを感じることなのか。

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普段の生活では、とことん便利さ、効率化を追求しています。通勤はほぼなくなり家で在宅勤務しています。ご飯作りは圧力電気鍋、電子レンジを駆使してパパッとやっています。炊飯器が予約時刻にお米を炊き上げてくれます。洗濯も食器洗いも機械にお任せしています。お風呂もボタン一つで溜まります。ルンバが掃除してくれます。コープでまとめ買いを配達してもらっています。便利な家電やサービスとの共同生活により、自分の手間を省き、他のことに使う時間を捻出して暮らしています。

では、捻出されたその時間で何をしているのでしょうか。仕事、子どもと遊ぶ、Duolingo (英語アプリ)、散歩などです。わたしの場合、一日15、6時間の半分、起きている半分の時間は仕事をしています。あと半分は家事や子どもと戯れたり、お風呂など生活の時間です。

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▫️生きるって何?を考える

生きるって なんでしょうか。

キャンプで感じることができて、普段の生活では感じていないものは、なんでしょうか。

普段の生活では、皿洗いやご飯作りが仕事のように感じます。しかし、キャンプではそれ自体が楽しみなのです。

キャンプでは、キャンプ飯をうまく作り、みんなで美味しく食べることを目的に取り組みます。火を起こし、竈門を作り、火加減を調整する。それは実験であり、うまくできるかどうかわからない中でのチャレンジです。ご飯を食べた後は、美味しかった〜、うまくいった〜の余韻に浸りながら食器を洗います。外で食器を洗う、これも実験の続きだから楽しいのかもしれません。

そう考えると、キャンプは全てが実験です。日常生活を離れたところで「生きる」実験。

毎日便利な家電に囲まれて暮らしているけれど、それがなくても自分たちで生きれるってことを確かめたい実験?

キャンプでは、やっぱ自分たちで作って食べると美味しいね〜って言葉が出てきます。もちろん炭火で焼いたトウモロコシやイカは格別、飯ごうで炊いたご飯もたまらなく旨い、なぜでしょうか。

自分のご飯を自分で調理して食べる

その行動がサブではなく、メインの目的になっているからなのでしょうか。

少なくとも私の日常生活では、ご飯を作って食べることがメインの目的にはなっていません。私と夫は働き、子どもは保育園に行く。一日の空腹を埋めるための手段として、もしくは食事の目的を意識もせずにこなしている感じです。

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普段の生活は、メインに「仕事、保育園」があり、それを週5で無事継続すること目的として、一日の生活を組み立てていることがわかりました。明日も仕事と保育園で朝が早いから、早く寝るよ〜。から逆算して、わたしの生活が作られています。仕事が終われば急いで夕飯の支度、後片付け、お風呂、歯磨き、ほんの束の間のひとタイム。よし、そろそろ寝るよ〜明日も仕事と保育園だからね、を繰り返しているのがわたしの普段の生活です。

キャンプでは、もちろん休日なので、仕事も保育園もなく、時間の使い方が違います。

普段の生活は、やはり、何よりもまず、

無事に仕事と保育園に遅れないように、

生活を送ること、それが生きることの大目的になっています。わたしの仕事に付随して、子どもの保育園も必須目的となっています。

その連続した緊張感から解放され、料理自体を、食事自体を、片付けさえも楽しめる時間、空間がキャンプなのです。

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▫️生活の中のMUSTはどれくらいあるか

わたしの普段の生活には今MUSTが多いです。起きている時間でMUSTが占める割合が多くなると苦しくなるようです。

仕事はMUSTです。明日以降の面談予定がギッシリ詰まっており、自分が休むことで他の人に迷惑かけれないとの緊張感があります。

家事もMUSTです。娘を起こして、支度して、ご飯を作って、、やらないと一日が始まらないし、終わりません。

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以前、2つ上の姉から言われた言葉を思い出しました。

子どものことを「しなければならないこと」って思ってやってるのはもったいないね。本来は楽しいことじゃない?●●ちゃん、かわいそう。。

姉の言葉は心にグサっと刺さりました。

保育園送迎を巡り夫と喧嘩。よく考えると、保育園に自ら希望し入園したわけでもない子どもにすれば、送り迎えはそんなに嫌なの?って感じるだろう。いってきます!って元気に園に入っていく姿を見送り、ただいま!のお迎えの笑顔を想像しただけで、幸せな時間なのに。

保育園送り迎えって幸せな時間なんだよな。わたしと娘にとって、今しかない大切な時間。

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▫️人生をWILL /CAN /MUSTで考える

家族笑顔で楽しく生きるってWILLがあるなら、送り迎えはそこに繋がるMUSTであり、WILL そのものなんだ。

人生のWILL、CAN、MUSTの設定が狂うと苦しい状況になる。

Will⇒やりたいこと
Can⇒できること
Must⇒やるべきこと

「Will Can Must」とは、リクルート社が人材育成のために開発したフレームワークです。リクルートの従業員は、半期に一度、Will Can Mustシートを用いて自分のキャリアを見直す時間を持ちます。 Will(本人が実現したいこと)・Can(今後生かしたい自分の強みや克服したい課題)・Must(能力開発につながるミッション)について上司とすり合わせることで、高いモチベーションで仕事にあたることができるといいます。            引用https://www.kaonavi.jp/dictionary/will-can-must/


保育園の送り迎えを夫と押し付け合っている時、私だって、俺だって仕事がある…の会話になる。頭の中で、WILL(家族で楽しく生きる)を実現するためにやるべきMUST(仕事)が、WILL(やりたいこと)にすり替わっている。

逆だ。

【WILL】家族笑顔で楽しく生きたい。

【CAN】わたしに出来ることは、美味しくご飯を作る、遊ぶ、イベント計画、収入源となる仕事をする

では、【MUST】は何か?

WILLを実現するために、わたしにしか出来ないこと、わたしがやると家族が笑顔になることをやること。家族の笑顔がわたしの笑顔の元になり、わたしの笑顔が家族の笑顔に繋がる。

今はそれを最優先【MUST】に生きていく。

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▫️人生に必要な遊び

【MUST】の割合が多くなりすぎると人生がくるしくなる。

人生には遊びが必要だ。

【MUST】が多くなると、遊びの時間が、遊びの余力がなくなります。

遊びとは、失敗の許される実験。

遊びとは、成果に直結しない時間。

遊びとは、生産性を問われないもの。

遊びとは、他人に評価されないもの。

遊びとは、自らが満たされるもの。

遊びのない【MUST】に占められた一日の繰り返し。それはわたしにとって地獄。。

【MUST】を絞り、遊びをもちながら、【CAN】を磨き、【WILL】を実現していきたい。

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日常の作業一つ一つを「遊び」として楽しめる時間、それがキャンプなのです。

だからわたしは、キャンプに行くのです。


わたしに、良き問いをくれた友人に心から感謝します。


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