フォローしませんか?
シェア
武埜 山水
2023年7月2日 17:55
二〇二三年四月二十九日から六月二十五日まで墨田区は押上の「たばこと塩の博物館」にて『没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界』が催されている。私はそこに赴いた。五月九日火曜日のことである。天気は終日快晴にしてやや汗ばむ程度の気温であった。この展覧会は彼の没後節目となる本年に合わせて個人蔵、大学蔵、或いはその他蔵、問わず様々な場所からコレクションを集めた展示内容となっている。セクション
2023年7月1日 13:17
天明六(一七八六)年、幕府の財政を管理する組織の組頭・土山宗次郎が公金を横領していたことが発覚し死罪となった。彼は大田南畝のパトロンである。土山は「行状よろしから」ざりし故に死罪となった。さらに、その二年後(南畝四十の歳)、貧しいながらも育ててくれた父親と学を授け彼の未来を信じてくれた師・内山賀邸を相次いで無くした。もはや、世を笑う事はできなかった。そんな気力もないのだ。自分がいかに不真面目だった
2023年6月29日 16:44
三 大田南畝とは誰か大田南畝(本名・太田直次郎。しかしこれは通称であって、字は耜子、名を譚となす。晩年に至り第十一代将軍・徳川家斉の息子と同じ字を用いている事に恐れ多いと憚り、大田七佐衛門と改めた。筆名は数多く四方山人、寝惚先生、巴人亭等々。最も有名な号・蜀山人は彼が五十歳を超えた頃に使い始めたものである。)は寛延二(西暦一七四九)年三月三日、江戸は牛込に生まれた。彼は大田家の長男であり、