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日本文学について

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日本人とは如何なる民族か。日本人とは如何なる精神を持っているのだろうか。日本文化とは如何なるものなのか。日本的なる人は如何なるものなのか。日本というものを知るには如何なる事を学べ…
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#人生

大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第三章 大田南畝とは誰か 後編』

大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第三章 大田南畝とは誰か 後編』

天明六(一七八六)年、幕府の財政を管理する組織の組頭・土山宗次郎が公金を横領していたことが発覚し死罪となった。彼は大田南畝のパトロンである。土山は「行状よろしから」ざりし故に死罪となった。さらに、その二年後(南畝四十の歳)、貧しいながらも育ててくれた父親と学を授け彼の未来を信じてくれた師・内山賀邸を相次いで無くした。もはや、世を笑う事はできなかった。そんな気力もないのだ。自分がいかに不真面目だった

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大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第三章 大田南畝とは誰か 前編』

大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第三章 大田南畝とは誰か 前編』

  三 大田南畝とは誰か

大田南畝(本名・太田直次郎。しかしこれは通称であって、字は耜子、名を譚となす。晩年に至り第十一代将軍・徳川家斉の息子と同じ字を用いている事に恐れ多いと憚り、大田七佐衛門と改めた。筆名は数多く四方山人、寝惚先生、巴人亭等々。最も有名な号・蜀山人は彼が五十歳を超えた頃に使い始めたものである。)は寛延二(西暦一七四九)年三月三日、江戸は牛込に生まれた。彼は大田家の長男であり、

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大田南畝伝 花のお江戸を遊ぶ人 第一章「私と大田南畝との関わり」

大田南畝伝 花のお江戸を遊ぶ人 第一章「私と大田南畝との関わり」

第一章 私と大田南畝との関わり

大田南畝という文人を知っている同輩は多くはない。否、知っている輩はいないのだ。そう断言しても差し支えはあるまい。少なくとも、私の狭い交友関係の中で談話が大田南畝に及んだ事は未だかつてないのである。
ならば何故に、私が大田南畝なる現在においては消えかけている文人の存在を知っているのだろうか。それは、高校生の時代に遡る必要がある。

森鴎外は高校を出ていれば、誰しもが

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